09
ドーム技術棟の外階段は氷で縁取られ、夜間照明が切れたままだった。
私は胸ポケットの小型ライトを何度も叩き、かろうじて点いた光で足場を探す。
——透さんが地下へ降りて二時間。停電アラートは復旧したのに、連絡は途絶えたまま。
取材先のコピーライターとしか知らない人を、なぜこんなに捜しているのか。
理由を考えるたび、指先が冷えて握ったロープが滑りそうになる。
吹雪が止み、代わりに静電気めいた耳鳴りが耳介をなぞる。
空気が薄くなる前兆。0.7 秒、少し伸びた無音。それがここにも迫っている。
私は非常ハッチにカラビナをかけ、深呼吸で肺を満たした。
*
梯子を降りきると、黒い縦穴に微光が渦を巻いていた。
床面まで二十メートル。そこに散らばる鋼材──そして、白いコートの影ふたつ。
「透さん!」
声は吸われ、反響は返ってこない。それでも肩が動くのが見えた。
ロープを握り直し、反対側の支点にプルージックをセットする。
下降器の金属音がやけに鮮明で、無音域がまだここを呑み込んでいないと告げた。
着地。
透さんは膝をつき、肩に小柄な女の子を抱えている。
少女は息を荒げ、ヘッドセットが赤い残光を点滅させていた。
「大丈夫?」
手首を取ると、脈拍は速いが乱れていない。温度は低い。
私の手袋越しでも感じる冷えに、咄嗟にカイロを押し当てた。
透さんの目が驚きと安堵で瞬く。
「……助かった。美琴さん?」
「受付の美琴です。覚えていてくれて光栄。ロープ、登れますか?」
冗談めかした言い方に自分で驚く。こんな極限で軽口が出るなんて。
でも彼は少しだけ笑い、少女を背負う体勢を整えた。
*
昇り始めると、無音が縦穴を下から押し上げてきた。
0.8 秒、1.0 秒。金属の軋みが途中で切れ、残りは振動だけになる。
私はクイックドローをかけ替えながら、透さんの背中越しに声を投げる。
「あと六メートル!」
返事は途切れた。でも彼の肩に回された少女の手が、しっかりハーネスを掴んでいる。
最後の段で鼓膜が真空に吸われた。
世界が泡立ち、視界が白へシフトする——その時、少女のヘッドセットが緑に転じた。
無音のフチが虹色に縁取りされ、遅れて空気が戻る。
私はプラットフォームへ身を乗り上げ、二人を引き上げるロープを巻いた。
床に崩れた途端、サイレンが正常音程で鳴り、照明が返る。
氷塊みたいだった少女の頬に、うっすら朱が差した。
透さんが私を見る。口を開きかけ、言葉を探す顔。
その前に私は手袋を外し、彼の手を握った。指先がまだ震えている。
「続きを聞かせてください。コピーライターさんの“無音の夢”が、どう終わるのか」
彼は少し目を伏せ、けれど逃げずに握り返した。
温度が行き交い、残響がやっと音へ戻る。
少女が小さく囁く。「ありがとう」
声は細いのに、無音の縁をきっぱり断ち切る強さがあった。
私はロープを解きながら、やっと胸の奥でサイレンを聴いた。
——世界はまだ鳴っている。