表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/26

19

 制御中継室の補助灯が青く脈打ち、霧の粒が鼓動に合わせて浮き沈みする。

 隔壁は締まったが、島全体の真空はまだ飢えた肺のように拍を探していた。

 僕は壁パネルから非常電源ケーブルを引き抜き、美琴と宙の手を握ってドアを蹴り開ける。


 通路の空気は薄紙になり、靴裏が床へ吸い付いて剥がれるたび薄い真空音が鳴る。

 0.41 秒。

 心拍が分解されて戻ってくる感覚──けれど三つの鼓動は絡まったまま同期した。


 *


 海底ドームへ続くガラス回廊入口。

 非常灯が一本だけ生き残り、緑の光が硝子管を内側から満たしている。

 管の中には海水ではなく、逆位相の残響が液体のように揺らぎ、虹の断片を孕む。

 ドアのパネルは鍵が壊れ、ただ袖口ほどの隙間を開けて呼吸を漏らしていた。


「行くぞ」

 僕は肩で二人を守るように押し込み、ガラスの床へ足を乗せる。

 踏み板の下は深い紺。潮が止まったはずの海が、無音の胎動でわずかに撓んでいた。

 0.40 秒。

 耳がきしむたび、床の照明が一段暗くなる。


 回廊は傾斜十度で海底へ降り、途中に三ヵ所の気圧鎖があるはずだった。

 だが一つ目の鎖はドアごと溶断され、赤い警告液晶だけが「低圧」の文字を瞬かせている。

 宙がカメラを構え、レンズを覗かずにシャッターを切った。

 モニタには虹色フリンジの残光が円環となり、中央に“心拍タイムコード”の数字が焼き付いた。

 00:00:40──今の欠落周期を示す心臓の秒針。


 美琴がハンドライトで天井を照らす。

 ガラスアーチの内側に、心拍を示す脈線が薄水色で走る。

 それは生体モニタの波のように連続し、僕らが進むと二拍遅れで光が追いかけてきた。

 「心拍が鍵になる……って彼女、言ってたわね」

 美琴の声がかすれ、0.39 秒で吸い取られる。


 *


 二つ目の気圧鎖。

 ドアは閉じていたが、パネルは手形認証と心拍同期の二重キー。

 僕は掌をプレートに当て、宙と美琴の手を重ねた。

 三つの脈が 0.390.380.39 と微妙に揺れ、プレートが緑へ滲む。

「同期率 92%──開錠」

 合成音が空気の膜を叩き、ドアが静かに後退する。

 背後でガラス床が震え、一段深い紺が瞬いた。


 回廊の勾配は急になり、足元に重力が増す。

 0.38 秒。

 耳圧が限界へ近づき、鼓動が胸骨の外へ飛び出しそうだ。

 それでも歩を止めない。島内で唯一、心拍が可視化される場所がこの先にあると波留が言っていた。

 そこが“鍵穴”だ。


 *


 三つ目の気圧鎖。

 ドアは白の警戒灯を犯しながら開放状態、内側は真白の光が満ちている。

 まるで巨大な発光プール。

 宙が息を呑み、カメラを胸に抱えたまま一歩踏み込む。

 僕と美琴も続き、足裏が硬質な床から柔らかい何かへ沈む感触に変わる。


 白ドーム。

 海底に作られた球形の空洞は、壁面全体が乳白色の光を放ち、境界がない。

 そこに唯一、床を走る赤いラインが心拍 0.38 秒で点滅していた。

 ラインの中心へ着くと、壁面が脈動と同期して収縮し——虹色フリンジが円環を描く。


 宙が両手でカメラを掲げる。

「心拍を、合わせて」

 僕は美琴と手を取り、三人の掌を円の中央へ向ける。

 鼓動が一つ、二つ、そして完全に重なった瞬間、

 白ドームの光が息を吸い込み、0.37 秒で真空へ落ちた。


 視界は虹に分解し、音も光も境界もないただの心拍だけが残る。

 僕らの合奏は、無音の中心でやっと 0.00 秒を指した。

 浮遊感。

 世界の外皮が反転し、海と空が同時に膨らむ。


 膨張点で、ドーム天頂が亀裂のように開いた。

 向こう側に“裏層”の白が覗き、虹の縁が手招きする。

 床下から逆位相残響が一斉に駆け上がり、

 ——この心拍を鍵に、世界を再配線しろと叫んでいた。


 僕は宙と美琴を抱き寄せ、裂け目へ足を踏み出した。

 白と虹の合間で重力が解け、三つの鼓動が 0.00 のまま同相を保つ。

 次の拍動が鳴り始める前に、僕たちは“白ドーム”の向こう側——

 音のない核心へ、着地した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ