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 午後七時、島の空は藍を残したまま照明弾のような夕焼けが沈んでいた。

 桟橋からリムプール棟へ伸びる遊歩道は、ドローン花火の離陸ポイントとして封鎖され、観覧客はタービン塔の庇下に誘導されている。

 僕は柵の外で三脚を立て、宙の肩越しにカメラモニタを覗いた。レンズの先でドローン編隊がライトを点滅させ、構図を試すように隊列を組み替える。

 ——花火は光と無音の境目を暴く計測器だ。空に書いた軌跡が0.7秒で途切れれば、欠落はここまで来ている。


 蒼井芽衣がプールテラスのステージへ上がり、報道クルーのフラッシュを浴びている。

「——潮汐が世界を刻む時計なら、私は針の止まる瞬間を撮りたい」

 彼女のインタビューは相変わらず無慈悲なほど簡潔で、けれど観客は喝采を贈る。

 宙はその様子を見ても表情を動かさず、ファインダーを水平に戻した。

 カメラの小さなLEDが録画状態を示す赤に変わる——宙自身のドキュメントが、母の映像とは別の軌跡を描き始めた証拠。


 プール棟のガラスに赤潮光が映り込み、宙の横顔を淡い紅で縁取る。

「花火、上がるよ」

 僕が囁くと、彼女はシャッタースピードを1/4秒へ落とし、息を止めた。


 第一波——ドローンが高度百メートルで輪を描き、LEDが虹色に反転する。

 光跡が長秒露光の軌跡となり、0.7秒地点で青だけが薄く欠けた。

 ヘッドセットが–∞へ沈黙。空気が膨張し、観客の歓声が千切れる。

 宙の瞼が震えたが、シャッターは閉じず、欠落線をフレームに焼き付ける。

 次の拍で音が戻り、歓声が二拍遅れで合流する。


 第二波——花火プログラムが“HEART BEAT”の図柄を描く。

 LEDの鼓動を模した閃光が上がるたび、無音のざわめきが地面を這う。

 観客の一人が耳を押さえ、波留が医療スタッフを呼ぶ。

 欠落が近い。島が浅い眠りへ沈む寸前の息継ぎみたいに、鼓膜がふわりと浮く。


 僕は宙の肩に手を置いた。「リミッターを上げるな。戻れなくなる」

 彼女は頷いたが、瞳孔はLEDの残像を追い続ける。

 第三波が上がる前に、ヘッドセットが緑の閃きを返した。

 ——無音が0.68秒で肩口を触れる。

 僕は宙のカメラを両手で包み込み、シャッターを押し切った。

 露光終了。モニタに残った心電図のような光跡は、頂点で青が消え、赤と緑だけが脈打っている。


 ステージでは芽衣がインタビューを終え、観客へ向けて手を振る。

 その瞬間、プール水面が鏡面反射の虹を失い、赤潮光が一秒だけ白に飽和した。

 宙がファインダーから目を外し、無表情のまま唇を震わせる。

 「近い……無音が、すぐそこにいる」

 観客は花火の余韻で気付かない。

 僕は三脚を畳み、宙の手を引く。「塔屋へ戻る。波留が逆位相の準備を急いでる」


 夜気が温泉蒸気を吞み込み、潮風が赤潮光を撓ませた。

 タービン停止まで T-18h。

 欠落は手を伸ばせば掴める距離に入り、僕らの鼓動と同期を始めている。

 宙はカメラを抱え、初めてわずかに顔を歪めた。

 それが恐怖なのか、待望の拍動なのか——まだ判別できない。

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