204.私を本気で怒らせたわね……
田舎暮らしを始めて176日目。
凛桜は古めかしい大きな木製の扉の前で軽く深呼吸をした。
大丈夫!
何度もシミュレーションもしたし……。
きっとどこかでクロノスさん達も見守ってくれている。
それにコウモリさんだってついているんだから。
「キュ!」
そんな凛桜の緊張が伝わったのか……
コウモリさんが大丈夫だというように力強く鳴いてくれた。
はああ、円らな瞳がかわええ。
本当に中身はゴリゴリのイケオジなのかい?
コウモリさんのお陰で癒されました!
「ありがとう、よし!行こう」
凛桜は思い切って扉を開けた。
中は少し薄暗かったが至って普通の喫茶店だった。
コーヒーのいい香りが漂っているし
木製で統一されたテーブルや椅子もいい雰囲気を醸し出していた。
ランプもキノコの形になっていてなんだか可愛い。
いわゆるレトロ喫茶店と呼ばれる感じの店だった。
中にはお客さんが何組かいてお茶を楽しんでいるし。
並んでいるケーキも可愛くて美味しそうだ。
よかった……。
いかにも怪しい店だったらどうしようかと思った。
密かに凛桜が胸を撫でおろしていると……
カウンターから声を掛けられた。
「お1人様ですか?」
おそらくこの店のマスターだろうか。
眼帯をした少し目つきの鋭い初老の狼獣人の方が
こちらを伺うように見ていた。
うわぁ……迫力ある人だな……。
絶対に堅気じゃないでしょ。
元殺し屋かなにかでしたか?
くらいの雰囲気よ、あなた……。
他に店員さんらしき人はいなかったので
この方が1人でやっている店らしい。
失礼を承知で言いますが
人は見かけじゃないとは思います。
でもね……引退した後だとしても……
あなたマスター向きの顔じゃないよ、うん。
なぜ喫茶店を選んだのかい?
もっと他に選択肢があったよね。
「何にしますか」
声も若干ドスがきいていて怖い。
「…………」
目の前にあるキラキラフワフワのうさちゃんの型をした
ケーキも物凄く気になるのですが!
あなたの手作りですか!?
手作りなのですかぁ!?
「………………」
頑張れ凛桜!
ここで怯んだらすべてが水の泡よ、うん!
私はレオナさん!
今日はレオナさんを憑依させていくのよ、凛桜!
そう思いグッとお腹に力を込めてから
優雅に微笑みながらカードをスッと出した。
「待ち合わせですの」
するとそのマスターはチラッとカードをみると
“ついてきな”と言わんばかり無言で顎をくいっと動かした。
どうやら裏に特別な部屋があるらしい。
大丈夫かな……。
このまま奥まで入って帰って来られないとかないよね。
ドキドキしながら言われるがままマスターについて行った。
何やら細い廊下を通り……
一旦中庭のようなところを突っ切った。
おい、おい、おい、何処まで行くのさ。
本気で怖いんですけど……
ここ何処よ!
そしてその先にある小さな洋館に入り……
長い廊下の先にある大きな扉の前でマスターは止まった。
「ここだ」
えっ?
無言のまま視線だけで部屋の中に入れと言われたので
一応ノックしてから扉を開けた。
すると中には既にレイラさんがいて
あともう1人誰かの姿が見えた。
レイラさんは凛桜の姿をみるとすぐに立ち上がって
深く礼をした。
「お待ちしておりました……
ブルームーン様」
「ごきげんよう」
凛桜も少し慇懃無礼に挨拶を返した。
と、レイラさんが徐に横にいる人物を紹介してきた。
「こちらは我が孤児院を経営していらっしゃる
エヴァン=リチャード様です。
今回契約にあたり立ち会って頂くことになりました」
そういって少し上気した顔でその男性の顔を見つめた。
ふぁあ!!
噂のあの人が何故ここに!!
そこには高身長で金髪碧眼の甘いマスクの王子様タイプの
豹獣人の青年が佇んでいた。
確かにかなりのイケメンだよ!
女子が好きそうなものすべて詰め込んだような人なんだけど
何故か見つめられると凄く怖いんだよね……。
なんかうん、無理だわ……。
理由はよくわからないけど無理。
本能が危険信号を灯しているというか……。
これまで色々なイケメンを拝顔してきましたが
この人はその……なんか怖い。
「ごきげんよう、マドモアゼル……。
エヴァン=リチャードです。
以後お見知りおきを……」
そう言って凛桜の右手を取ると手の甲に軽くキスをした。
凛桜の背中に一瞬ぞわっとしたものが走ったが
何とか耐えて優雅に微笑んでみせた。
まさか黒幕がいきなり現れるなんて
聞いてないから!!
いやぁ~どうしよう~!!
内心は激しくパニックに陥っております。
「立ち話も何ですからどうぞお座りください」
そう言ってエヴァンさんはそのまま凛桜をエスコートしながら
ソファーまで行くと……
そのままシレっと横に座った。
えっ?真横に来るの?
それに穴が開くほど甘い視線で見つめて来るの
やめてくれませんかねぇ。
他の貴族のお嬢様はどうかしりませんが
そういうの本当にいらないんですけど!
ふぅうあ……
レイナさんが私を見る視線が一瞬鋭くなったよぉ!!
いや、私のせいじゃないですから。
いらぬ嫉妬とかはご遠慮ください。
全くタイプじゃありませんから!!
と、声を大にして言えたらどんなに楽だろう……。
何か凄く言いたげな切ない顔のレイナさんを軽く横目で見ながら
エヴァン様はこともあろうか……
「フッ………」
と声を漏らした。
うあわ……いかにも楽しそうに目を細めてわらったよねぇ!!
こいつ!わかっていてやっていらっしゃるわ。
「ギュ……ギューワ」
コウモリさんも嫌悪するように唸っているくらいよ!
性格悪い男だな、本当に……
ますます無理!
「今回……カシムをご希望という事ですが」
「え、ええ……」
あまりの事に一瞬返事をするのが遅くなっちゃったわ。
すると急にエヴァンさんは頭を抱えながら悩まし気に
顔を曇らせて芝居がかったようにこう告げた。
「いやあ……実をいいますと……
あの子は凄く人気がありまして……
他にも幾つものお家から声がかかっているのですよ」
そうじゃないかとは思っていたけど。
「それで?」
凛桜はわざとそっけなくそう答えながら
話の続きを目で促した。
「はい……。
こちらとしましては彼の将来の為により良い環境のお家に
送り出したいと考えております。
で、今日はいかほどお持ちですか?」
ふぁあ……胡散臭い笑顔。
しかもド直球!!
ようは1番高く買ってくれるところに出したいという事でしょう。
わざわざ招待カードにも前金をキャッシュで持参すること
その金額はお気持ちでくらいの事を書いてあったらしいのよ。
その心は……
今すぐに現金が欲しいって事よね。
そっちがそう出るならこっちもやるわよ。
価値はわからないけれど一千万くらいなのかな?
札束をど~んと10束くらい積み上げながら
高飛車にこういってやったわ。
「私を誰だと思っているの……
欲しいといったら欲しいのよ。
お金には糸目はつけないわ。
だからあの子を私に頂戴」
ひゃああああああああああ!!
言ってもうた……。
何このやり取り……
狂気の沙汰なんだけど。
まさか人生でこんなセリフを吐く日がくるなんて。
もう信じられないくらい心臓がバクバクいっております。
凛桜がそう告げるとエヴァン様は一瞬目を見開いたが
直ぐに嬉しそうに微笑んだ。
「いいですね……そのキップの良さ。
あなたのその瞳……ぞくぞくします。
嫌いじゃない」
はい?
なんですと?
なんか違うものが降臨しちゃっています?
「で、どうなの?
私にくださるの?」
凛桜は自分の持っている最大と思われる愛嬌を集合させて
最高に妖艶な女に見えるように微笑んでみた。
横でコウモリさんが引いておりますがかまいませんよ。
と、エヴァンさんはますます興奮したのか……
目がランランと輝き尻尾がブンブンと左右に激しく揺れていた。
「本当にあなたは魅力的な人だ。
いいでしょう、あなたに譲りましょう。
では契約書を……」
そう叫びながら指を鳴らすとどこかからともなく
洋紙がテーブルの上に現れた。
よし!きたぁぁぁぁぁぁ!!
が、そこに待ったをかけた人物がいた。
そうレイナさんだ。
「ちょ……エヴァン様……。
ジャスミン様はどうするのですか?
お約束をしているのではないのですか?」
ええええええええっ?
誰!?
まさかの出来レース!?
カシムくんの嫁ぎ先ってもう決まっていたのぉお?
「ああ?
ジャスミン……!?」
話に水を差すなよ!
くらいに顔を顰めてエヴァン様は首を傾げた。
「リラック伯爵のお嬢様です……。
前金も頂いております」
「あ~」
そう言われてもまだ思い出せないのか少し考えた後に
手を軽くポンと打った。
「ああ、あのキツネ獣人のお嬢様か……
あれはもういいや、2~3回遊んだら飽きたし。
金と言ってもはした金だったし」
そう言って目の前の札束をうっとりと眺めた。
はい?
なんですと?
この男、さらっととんでもないこと言っていません!?
流石のレイナさんも固まっているよ。
が、再び唇を震わせてレイナさんが搾りだすように言った。
「また、手を出されたんですか」
何がそんなに楽しいのかエヴァンさまはニヤニヤしながら答えた。
「あ?ああ……まあな。
俺は悪くないぜ、あっちがどうしてもっていうからな」
そう言われたレイナさんは真っ青になって絶句していた。
あああああああああああ!
もうやだ、本当にクズだなこいつ。
それになんやしらんけど……
2人の修羅場に私を巻き込むのはやめて。
信じられないくらいよろしくない雰囲気の中
さらにこのくず男が爆弾発言を投下した。
「前からおもっていたのだが……
恋人気取りの発言はやめてくれるかな。
君とはただのビジネスパートナーだからな」
「えっ?」
そう言われたレイナさんはヒュッと息をのんだ。
「まさか勘違いなんかしてないよな。
君みたいな身分の子を本気で恋人なんかにするわけないだろう。
身の程をしってほしいな」
「…………」
レイナさんの顔に絶望の色が浮かんでいた。
「俺には……
そうだな、この人くらいの美人で身分がないとつりあわない」
そう言って強引に凛桜の肩を抱いた。
「ちょ……、無礼ですわよ」
凛桜がそう言って身をよじりながら手をはたくと。
「そう、そう、これくらいの気の強い女性が好きだ。
なあ、カシムなんかやめて俺にしないか」
うわあああああああ、もう。
なんでそうなるの?
クズのくせに変態までプラスされているよこのひと!
助けてコウモリさん!!
が、コウモリさんは汚物を見るような目で男をみながら
一言“ギュワ……ギュ…”と呆れたように鳴くだけだった。
なんと言っているかわからないけれども
“無理……こいつにつける薬はない” だと思ったわ。
まあいざとなったら消炭にはしてくれるだろうけど
それはそれで問題だしなぁ……。
こういう方にははっきりとお断りしないと
あとが厄介だわ、うん……。
「悪いけれどあなたには興味がないの。
間にあっているわ……」
凛桜がすこぶるいい笑顔でそう言うと
エヴァンさんの顔つきが急に変わった。
「僕はね……
気の強い女性は好きだが生意気な女は嫌いなんだよ。
俺の誘いを断るなんてありえないから!!」
「はい?」
「このエヴァン=リチャードの誘いを断るなんて!!
君の眼は節穴かい!?」
えっっ?なに急に怖いんだけど
もしかして私地雷ふんじゃった。
そんな狂気にみちたエヴァンさんの雰囲気にレイナさんが
心底恐怖で震えているのが見えた。
「は……高位貴族さまか何か知らねえが……
所詮……男買いにきているお嬢さまだろ、あんた。
いまさらお高くとまんなよ」
えっ?自分の思い通りにならないからと言って
急に逆切れですか?
「そういえばあんた……
クロノス閣下の恋人の1人なんだろう」
いえ、違いますが?
どこでそんな話になったの?
遠縁の貴族って設定だよね!?
エヴァン様は口を挟む余地を与えないくらい更に捲し立てた。
「はっ……まあ、あんな堅物の相手じゃつまんねぇよな。
だから自分の思い通りになる男が欲しかったんだろ」
本気でこの人何いってんの?
「なら、俺の方がもっと満足させれらるっていってんだよ
なあ、俺にしろよ。
顔と爵位だけのクロノス閣下より……
よっぽどいいぜ」
そう言って強引に凛桜の右手首を掴もうとしたが
コウモリさんの一撃を食らった。
「ってえな……使い魔の分際で生意気なんだよ」
そう言ったエヴァンさんの目に殺意が浮かんだ。
「なあ、俺を本気で怒らせるなよ……」
そう言って凛桜にじりじりと迫ろうとしていたが……
「ああ?本気で怒っているのはこっちだけどぉ!!」
凛桜のトゲトゲしい声が辺りに響き渡った。
「さっきから黙ってきいてりやぁ……
いやあ~本当にあんたクズだわ、おんなの敵!!
本当に無理だわ。
久しぶりに信じられないクズをみたわ」
「へっ?」
凛桜のあまりの剣幕に今度はエヴァン様が固まっていた。
「これだけははっきり言っておきますけどね。
クロノスさんはあんたなんかよりも数百倍……
いや数万倍いい男だから!!
あんたみたいのと一緒にしないでよね!
足元にもおよばないから、あんたなんか!
本当に世界一素敵な人なんだから!!」
と、凛桜が叫んだと同時に何か大きな暖かいものに包まれた。
えっ?と思う間もなく耳元でこう囁かれた。
「凛桜さん……ありがとう……」
まさかのクロノスさんがその場に降臨していた。
と、同時にノアムさん達もなだれ込んできた。
「うわ、お前たちはなんだ?」
私がクロノスさんに抱きしめられている間に
エヴァンさんとレイラさんは騎士団によって拘束されていった。
どうやら院長室から例の契約書の一部が見つかったらしい。
それによって複数の貴族の関与もわかり……
その関係者も全て罪を認めたとの事だった。
現時点でテーブルの上にもほやほやの契約書があるしね。
もう言い逃れはできないよ、うん。
実は数日前からほとんど全容がわかっていたのだが
どうしてもエヴァン=リチャードの行方だけが掴めなかったそうだ。
かなり借金で首がまわらなくなり……
ヤバイ闇の組織からも取りたてに追われていたから
必ず大きなお金が動くところには現れるに違いないと
騎士団は踏んでいたらしい。
だから今回私との契約の場に現れるか
一か八かの機会にかけてみたんだって。
で、ノコノコやってきちゃったのね。
まあ、途中で昼ドラの男女関係の縺れ的な展開になっていたけど。
はあ……本当に囮だったのね、私。
そうならそうと言ってくれればよかったのに。
そういったらクロノスさんは少し悪い顔で微笑みながら言ったの。
「敵を欺くためには味方からっていうだろう」
まあ、そうなんだけどさあ。
で、現在帰りの馬車の中なんですが……
いつまで私はクロノスさんに拘束されるのかしら。
さっきから全くクロノスさんが解放してくれない。
部屋を出るときも騎士団の皆さんが生暖かい視線を送るだけだし。
カロスさんとノアムさんも半笑いのまま
スルーしてくるし。
ああ、クロノスさんが後ろから抱きしめてきたまま
私の頬にスリスリが止まらない……。
馬車の中狭いのに……。
急にこの甘えモードなに!?
いつのまにかコウモリさんもいなくなっているし。
その頃……
現場検証をしていた騎士団の面々は凄く盛り上がっていた。
「よかったすね……団長。
俺、てっきり団長の片思いかとおもっていました」
「それな……
大好きな番にあんなこと言われたら男冥利につきるよな」
「本当に世界一素敵な人なんだから!!
くぅぅう~言われてみてぇ……」
「あんなに真っ赤になって狼狽える団長を見たのははじめてだったな」
「ああ、おれも彼女欲しい」
と、凛桜の声真似でセリフを連呼されるくらい話題になっていたらしい。