179.そういうの要りませんから!!
田舎暮らしを始めて160日目。
凛桜は左手の人差し指の先端をまじまじと見つめながら
絶句していた。
“本気か……”
そしてすぐさま頭をかかえてその場に座り込んだ。
昨日は流石に気疲れしたわ……。
珍しく朝寝坊をしてしまった。
ベッドからモソモソと這い出すときなこが飛び乗って来た。
「わっ……きなこ、おはよう」
「ワンワン!!」
思いっきり甘えた声を出しながら強烈なタックルを
おみまいされ顔面をこれでもかと舐められた……。
毎朝熱烈な歓迎ありがとう。
イッヌは、毎回同じテンションで喜んでくれるよね。
長年会っていない恋人達の再会か?
くらいの勢いだよね、うん。
確か数時間前に会いましたよね?
このメンタルは見習わないといけないよ、本当に。
きなこを足に纏わりつかせながら、朝の身支度をおえた。
すると、縁側の方から楽しそうな声が聞こえてくるではないか。
「シュク!!タンジョウ!!」
「メデタイ!!」
「ギュロロオオオオオオオオ!!」
「ワワワンンン!!」
「…………」
どうやらあの方達がお祝いに駆けつけてくれたもよう。
「あ……おはよう」
「リオ!オハヨウ!」
「オハッ!」
キングとクィーンが踊りながら答えてくれた。
するとそれをみたシュナッピーが直ぐにとんできて
凛桜の顔をじぃーっと見つめながら……。
「リ……、リィ……ッ……、リ……」
何やら一所懸命言葉を紡ごうとしていた。
“これは……もしかして”
心なしかキングとクィーンが我が子の初めての一歩を
見守るが如く、緊張した面持ちで凛桜達を見つめていた。
「リィ……ゥオ……、リィオ……」
違う、違う、そうじゃない!
と、シュナッピーは歯を食いしばって頭を振った。
そしてついに……
「リィ……、リオ! リオ! リオ!」
何度も嬉しそうに凛桜の名前を連呼した。
どうやら無事に私の名前を習得したようです。
よほど嬉しかったのか……
親子そろって中庭でトリプルアクセルを4回ほど決めていたよ。
どうやら親子揃ってオリンピックにも出られそうな勢いです。
その後に、褒めて、褒めてとドヤ顔で甘えるのやめぃ。
本当にしょうがない程甘ったれなんだから。
大人の階段を1歩登ったのではなかったのかい?君は。
中身は全く変わってないな……。
こんなに一言を覚えるのに苦労するのに……
あなた羽化した直後にハッキリと“ドーナツ”って
一言一句間違えずに叫びましたよね。
そこは、ドーナツじゃなくて私の名前じゃなくって?
あの場面は感動ポイントだったと思うんだけどな。
そんな事を考えながらシュナッピーの頭を撫でていると
「なんや、エライ盛り上がりやな」
籠いっぱいにイチゴーヌが入った夢の詰め合わせ
ギフトを持ったルナルドさんが中庭の奥からやってきた。
「ルナルドさん!いらっしゃい」
「おはようさん」
「ルナルド、オソイ!」
「オソイ!ウワキカ?」
クィーンの爆弾発言に、コントのようにルナルドさんはこけた。
「何ゆうてんねん、ちゃうわ!」
そう言ってしっかりツッコんだあと、凛桜の方に向き直った。
「本当にかなわんわ。
どこからかいろんな言葉を覚えてきてしもうてな。
ああやって、たまに使い方を間違えるんや」
そう言って苦笑していた。
「だから、凛桜さんも気をつけてな。
これからどんどんシュナッピーも言葉を吸収していくで」
「ソレナ!」
キングがドヤ顔で合いの手を入れて来た。
「万事こんな感じや」
「フフフ……、油断できませんね」
「そうやで。
いつのまにかわいの口癖とかも吸収してまうからな」
“えっ!?キング達も関西弁をしゃべるのかしら?”
ちょっと聞いてみたいと思った事は内緒だ。
そもそもなんでキング達は標準語仕様なのだろう?
「ルナルド!イチゴーヌモトム!」
「モトム!モトム!」
キングとクィーンがそう叫ぶとシュナッピーも負けじと
なんとか言葉を紡ごうとしていた。
「イ………ゴゥヌ、モム!!」
“ん、んん……惜しい!”
「な、当分こんな感じやで」
「なんだかちょっと怖いです」
「そやな、でもあまり気負わないでええで。
すべての言葉を吸収する訳やないからな」
そう言ってルナルドさんはウィンクした。
相変わらず嫌味なく気障な事が似合う人だな……。
「イチゴーヌ!!イチゴーヌ!!」
「モトム!イチゴーヌ!!」
「モム!イチーゴ……モム!」
君達は言語習得の前に……
少し空気をよむという事を学ぼうか!?
「あかんってゆうたやろ。
これはシュナッピーの事で色々とお世話になった
凛桜さんへのお土産や!」
少し語気を強めてルナルドさんがキング達を叱ると
3人?3体は中庭の隅でいじけだした。
なんなら少し上の方が枯れてきている気もする。
そんなに食べたかったのかい?
確かにイチゴーヌは好物だとはきいていたけれども!
「ルナルド、イケズ、オウボウ!」
「ルナルド、ケチ、ハゲ」
「チッ」
こらこら、シュナッピー言葉が紡げないからって
凶悪な顔で舌打ちは駄目よ!
あまりの拗ねっぷりに凛桜は笑いを堪えきれなかった。
「アハハハ……クッ……。
ごめんなさい笑ったりなんかしちゃって。
いや、本人を目の前にしながら凄い堂々と悪口をいうのですね。
しかも結構、悪口の種類も多いし……」
「ほんまやで。
わい、かわいそうやろ、ほんまに凹むで……。
それに、ハゲてへんからな!」
ルナルドさんは泣きまねをしながらお道化た。
「「「イチゴーヌゥ……」」」
3体は縋るように凛桜を見つめていた。
「本当にしょうがないわね。
頂いたもので申し訳ないけれども……
ルナルドさん、みんなでイチゴーヌ食べましょう」
その一言に3体は生き返った。
「リオ!サイコウ!!」
「リオ!サイコウ!サイコウ!」
キングとクィーンが狂喜乱舞でそう叫ぶと
シュナッピーも続けて叫んだ。
「リオ!サイコ!サイコ!」
えっ?
「サイコ!サイコ!リオハサイコ」
いや、サイコは怖い意味になっちゃうから。
これ以上、私にヤバイ称号を与えるな!!
凛桜は慌ててシュナッピーの元へ向かうと
両手で顔をむぎゅっと挟んだ。
そしてしっかりと目を合わせて一言区切りながら言った。
「さ!」
「?」
シュナッピーは凛桜の意図が読めず……
目をしろくろさせていた。
が、とりあえず逆らわずに従えと本能が言っているのを感じた。
「はい、続けて、さ!」
「サ……」
「い」
「イ……」
「こ」
「コ……」
「う」
「ウ……」
「さいこう」
「サイコウ」
「そう!上手、もう1度」
「サイコウ!サイコウ!」
「はい、ダメ押しにもう1度!」
「リオハサイコウ!」
「よくできました」
思いっきりシュナッピーの頭を撫でて褒めた。
シュナッピーも嬉しかったのだろう。
俺、やればできる子だからくらいの勢いで
キング達に報告へ行っている。
“はあ、危なかった。
一文字違うだけで、どえらい意味になるからな。
よかった、初期段階で修正出来て“
モナコ以来のピンチだったわ。
1文字違いって本当に恐ろしいわね……。
凛桜は密かに胸をなでおろしていた。
「せっかくこんなに新鮮なイチゴーヌを頂いたので
イチゴーヌを使ったお菓子を作りますね。
少し時間がかかるので……
その前に練乳をかけてそのまま食べましょう」
「なんや、よくわからんけどおまかせするで」
凛桜はさっそく準備に取り掛かった。
練乳がけを偉く気に入ったキング達。
夢中でイチゴーヌを頬張っている。
「レンニュウ、ウマイ」
「レンニュウ、ヤバイ」
「レ……ニュウ、レン……ニュ……ウ」
シュナッピーは練乳を練習中。
それよりももっと覚える言葉があるんじゃないかい?
そうそう、日常会話で“練乳”は出てこないわよ。
「ほんまに練乳美味いな。
これを売ったらぼろ儲けしそうや」
そう言って、ルナルドさんは練乳のチューブの裏の部分を
穴が開くくらいの勢いで見つめていた。
さすが商人。
すべての情報が欲しいらしい。
「原材料はなんや?
凛桜さんの国の言語やからな……
さっぱり書いてあることが読めん」
「詳しい事はわかりませんが……。
基本の材料は、牛乳と砂糖で出来ますよ」
「牛乳?」
「あ、これです」
凛桜は冷蔵庫から牛乳パックを取り出すと
コップに1杯注いでルナルドさんに渡した。
「ああ!なんや、フィーロかい。
これなら家の牧場でぎょうさん仕入れられるで」
練乳作る気まんまんだな……。
それに牧場も持っているんだ……
手広い商売をしているな。
「後はシュクールの仕入れ先やな。
いっそうの事、栽培してまうか」
なんか怖い事をぶつぶつ言っているし……。
シュクールって砂糖の事かしら?
栽培って何?
まさかサトウキビを栽培する気だろうか。
大丈夫、またこれ皇帝案件にならない?
絶対にどこかから鷹のおじさまが聞きつけて
どえらい事になる未来しかみえないよ。
そんな事を思っていたからだろうか
いちごのヘタを取る手が滑ってしまい……
ざっくりと人差し指を包丁で怪我してしまった。
「痛っ!」
「なんや、大丈夫か?」
あっちの世界に行っていたルナルドさんも
凛桜の声に驚き、すぐに反応してくれた。
「指切ってもうたんか、すぐに手当てせんと」
そう言って、徐に凛桜の左手を掴んで傷口を
水で洗おうとしてくれたが……。
「凛桜さん……!!」
ルナルドさんは目を見開いたまま息を飲んだ。
「ん?」
「見てみぃ……」
「へ?」
最初何故こんなにもルナルドさんが動揺しているのかが
わからなかったが……。
今、まさに目の前で信じられない事が起きていた。
包丁でざっくりと切ったはずの傷口が……
ひとりでに奇麗に修復されていっている。
「はあ?え?」
自分の事ながら凛桜も固まっていた。
“どういうこと?
なんで傷口が勝手にふさがっているの?“
「…………」
「…………」
ルナルドさんは困ったように眉尻をさげながら
ぎこちなく切り出した。
「凛桜さん……
再生能力の持ち主やったんやな」
いや、いや、いや!!
そんな特殊能力は所持しておりませんが!!
えっええええええええ!?
何、怖いんだけど。
自分の事ながら怖いんだけど!!
動揺する凛桜にルナルドさんは優しく寄り添って言った。
「このことは誰にも言わん、約束する。
だから凛桜さんも極力この能力は使ったらあかんで」
「あ……はい」
何故に?
頭の中は?でいっぱいだったがとりあえず神妙な顔で頷いておいた。
そして、その後……何事もなかったように
無事に美味しく焼けた“イチゴーヌタルト”を
キング達と堪能して楽しい時間を過ごした。
その間にもシュナッピーは……
“オイシイ”と“オカワリ”を習得した。
食いしん坊万歳か!
「ほなな、また寄らせてもらうわ」
「リオ、マタクル!」
「アソビニクル!」
「はい、気をつけて帰ってね」
お土産に“イチゴーヌのジャム”と“イチゴーヌのクッキー”
“イチゴーヌのマフィン”と練乳2本を渡した。
近いうちに練乳がこの国で売り出される日が来るかもしれない。
その前に皇帝陛下に献上するって約束してくれたから
鷹のおじさまが騒ぐことはないと願っている。
それよりもですよ!!
どうしよう、この摩訶不思議な現象。
私の身体に何が起きているの?
偶然かもしれないと思い……
勇気をだして、針でプスッと人差し指をさしてみた。
その瞬間は痛いのよ、血も若干出るし。
でもすぐにすぅーっと傷口が奇麗に塞がるのよね。
ああ、もうこれは幻でもなんでもない。
はあ……どうしよう。
まさかの不死身な体を手に入れてしまったのか!?
凛桜は自分の人差し指を見つめながら項垂れた。