176.こまめに連絡を?
田舎暮らしを始めて158日目。
今日も特にシュナッピーの変化はなかったのよね。
気になる点をあげるとするならば……
シュナッピーの周りに森の動物たちが
集っていたことくらいかな。
しかもシュナッピーが纏っているであろう
濃い霧がモールス信号のように点滅しているし。
それに合わせて森の動物たちが鳴いたり飛んだり
跳ねたりしてはしゃいでいたし!
あれってやっぱり何か会話しているよね。
なんやかんやでいつも賑わっているわ
シュナッピーの周りって。
普通は変化とか進化の過程って……
かなり無防備状態だからひっそりと行われる
ものじゃないのかい?
生きるか死ぬかの緊迫した状態とでもいうの?
それなのになんでこんな緩い感じなの?
そんなことを思いながら茄子を笊いっぱいに
採ってから中庭に戻ると……
思いもよらない光景が目に飛び込んで来た。
「…………………!!」
嘘でしょ!!
怖っ!!
えっ?どういうこと?ええええええぇ?
凛桜の目の前には2m以上のヒグマが立っていた。
目はバキバキに充血しており……
ハアハアと荒い息遣いのうえに鋭い牙からは
涎がだらだらと流れていた。
熊注意のステッカーに描いてある熊が中庭におるよ!!
可愛いイラストじゃないやつね、リアルな方。
怖いなんてもんじゃない!!
どうしよう~。
そんな中ふとそのヒグマと目がガッツリあった。
「…………」
「グルゥ……」
見つけたと言わんばかり熊が喉を鳴らした。
ヒィィイイイイイイ!!
ロックオンされた!?
ヤバイ、熊に遭遇した時ってどうすればいいのでしょうか?
確か目を合わせちゃいけないって聞いた気が……。
「っ…………」
もう遅いよ、思いっきり目があっちゃっているし……。
恐怖の中凛桜は必死に頭の中の豆知識辞書を開いた。
ええっと、確か……
熊って逃走する対象を追いかける傾向があったよね。
だから背中を見せて逃げ出すとバッサリやられるはず。
その為に熊の動向を見ながらゆっくりと後退する。
もしくは静かに語りかけながら後退するなど
落ち着いて距離を取るようにするといいでしょう。
的な事を本で読んだことがあるわ。
もしくは伝家の宝刀“死んだふり”?
んんんん、どれも無理!!
実際に目の前にこんな猛獣いたら怖くて一歩も動けないよ。
死んだふりって本当に有効なのかしら?
私……演技なんかできないわ。
昔から学芸会でも、村人その1とか森の動物とか
端役しかやったことがない子供よ。
無理じゃん!!
そんな高等な演技は無理!
それ以上に静かに語りかけるってなんだよ。
何を語るのさ。
えっ?世間話的な?
こんにちは、いやー今日はいい天気ですね。
くまさんもお散歩ですか?
森の空気って美味しいですよね。
(まあ、ここは中庭ですが!!)
そう言えば……
人間界で有名な童謡にくまさんがでてくる歌がありましてね
今回と全く同じような状況なんですよ!
そのような事が本当に現実に自分の身に起こるんですね。
いやあ、あはははははは。
では、私はここで失礼します。
的な!?
無謀すぎないか?
くまさんポカーンだよ。
どうした人間?暑さでイカれたか?
となってそのままバッサリ一撃でやられそうだよ。
もう、どうしよう!!
凛桜がほぼ諦めの境地に達しようとした時に
ヒグマが徐に右手を振り上げた。
あ……終わった。
そう思い凛桜はぎゅっと目を瞑って一撃を
くらう覚悟を決めたが……。
「…………」
が、待てど暮らせどいつまでたっても何も起こらない。
ん?一体何が起こった?
凛桜は恐る恐る薄目を開けると目の前に
申し訳なさそうな顔をしたカロスさんが佇んでいた。
「カ……ロス……さん?」
凛桜が驚きのあまり目を見開いて固まっていると
これでもかと90度に腰を曲げてカロスさんが頭を下げた。
「驚かせてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「あ……はい……」
「時間がなかったので、獣体のまま来てしまいました」
そう言って、カロスさんはシュンと獣耳を下げていた。
ああ!!
そう言う事!?
凶暴なヒグマ=カロスさんの獣体だったんだ!!
ようやく合点がいきました。
確かに獣体のカロスさんの迫力はハンパないからな。
すっかり忘れていたわ。
ですよね、もし凶暴な熊魔獣ならば
家の庭の強力なセ〇ム……
もといクロノスさん及び妖精の結界に阻まれるはずだし。
言われてみれば……
きなこ達がノーリアクションだもの。
ん?どうした?
そのヒグマ、カロスさんじゃね?
くらいの勢いで縁側に寝そべったままで顔だけ
こちらを向くのやめぃ。
飼い主のピンチでしょ、全く。
ひとまず縁側でお茶にすることにしました。
今日の和菓子は“甘栗と粒あんのパイ”です。
それを恐縮しながらもカロスさんは
一気に3つほど食べてからお茶を1口飲んだ。
そしてそっと湯呑を置くと改めて凛桜の方に向き直り
真剣な顔で一言こう言った。
「こまめに連絡していただけませんか?」
「はい?」
急な申し出にお茶を注ぐ手が一瞬止まった。
何を?
凛桜が首を傾げるのを見て……
カロスは更に申し訳なさそうに話を続けた。
「お恥ずかしい話なのですが……
あの日以来、団長が使い物になりません」
「はあ……」
だから、何がだよ。
凛桜は半笑いのまま……
新たに入れなおしたお茶をカロスさんにだした。
軽く1礼してそれを受け取るとカロスさんは
ため息をつきながら更にこう言い放った。
「10分ごとに空を見上げて呟くのです。
そしてその度にため息をつきます」
「…………」
「それを繰り返し、次第には機嫌が悪くなり……
業務が非常にやりにくのです」
「はあ……」
「だからといって……
部下達に当たり散らしたりなどはしません。
が、冷気というのでしょうか……
重い魔圧が漂っているので面倒くさい……
んん、いや、その……困るのです」
そう言ってカロスさんは更に甘栗と粒あんのパイを
2つほど一気に口に放り込んだ。
今、面倒くさいって……
あの温厚なカロスさんが心の声を出しちゃうなんて。
それに甘栗と粒あんのパイをノアムさんのように
貪り食べるとは!!
カロスさんも相当ストレスが溜まっているな、これは。
「あの、すみません。
ちょっとイマイチ状況が読み込めなのですが」
凛桜が申し訳なさそうにそう告げると
カロスはハッとした後に決まり悪そうに言った。
「つまりですね。
凛桜さんからの恋人カードが全く届かないので
拗ねているのですよ、あの人は……」
そう言って困ったように目を伏せた。
「はい?」
凛桜はあっけにとられていた。
そう言えば、恋人カードを貰ってからかれこれ
2日くらいは経っているかも。
「でもあれって、シュナッピーに変化があった時のみ
連絡すればいいものだとばかり思っていました」
「いや、主な趣旨はそうなのですが……」
「ですよね?だったら何故に?」
凛桜は不思議そうに首を傾げた。
「そうなのですが……
まさかあれから1回も連絡が来ないとは思っても
みなかったみたいで……」
確かに目立った変化はなかったので……
1回も連絡をしていないのは事実です!
「申し訳ないのですが、朝晩とは言いません。
1日1回、たわいもない内容でもいいので
団長にカードを出していただけないでしょうか?」
「えっ…………」
子犬……ここは小熊か……
そんな縋るようにお願いされたら断れないじゃないか!
「駄目でしょうか?」
忙しい時間をぬって獣体になってまで
このようなお願いをしにくる部下って一体!?
あのヘタレ団長!!
いっそうの事、“このヘタレ!仕事しろ”って書いて
大空に飛ばしてやろうかしら。
はあ……。
「わかりました、早速カードを書きます」
「本当ですか!!」
嬉しさのあまり信じられないくらいカロスさんの獣耳が
ピコピコと高速で動いているよ。
「では、私はシュナッピーの様子を見てから
このままお暇します」
そう言って、カロスはまた獣体になって
縁側から駆けだそうとしていた。
「あ、ちょっと待って」
凛桜は急いで台所に戻ると大きな布巾に
あんこを使用した和菓子を包んだ。
「これ、お土産です。
ここに来たことは内緒だと思いますが……
これくらいならバレないでしょう?」
そう言って凛桜はカロスの右手に布巾を括りつけた。
「凛桜さん……本当にありがとうございます」
そう言って顔の怖いヒグマは深々と頭を下げた。
「では、よろしくお願いいたします」
そう言って、中庭の奥へと消えて行った。
はぁ……
やっぱり何度見てもカロスさんの獣体だけは慣れないわ。
その後、凛桜はさっそく恋人カードを書いた。
“拝啓 クロノス様
お元気ですか?
私も黒豆達も平和に過ごしております。
シュナッピーですが特に変化はありません。
たまに森の様々な動物たちなどが
遊びに来ているもようです。
それでは、また何かあったら連絡します。
凛桜
「と、いうカードを貰ったのだが……
凛桜さんの家にいますぐ行ってもいいか?
凛桜さんに会いたい!」
獣耳をこれでもかと後ろに下げて嬉しそうに
尻尾をブンブン振っているクロノスがそこにはいた。
「……………!?」
どこをどう読んだらそういう解釈になるのですか?
カロスは頭をかかえていた。
「駄目ですよ。
この後は予算会議と来週の模擬試合の準備が
あると言いましたよね」
「そんなもの俺がいなくてもできるだろう」
カロスの額に青筋が浮かんでいた。
「できません!
それにもうすでに夜の帳がおりようとしている時間帯です。
こんな時分にいきなり訪ねていったら失礼です」
「カロス~」
「そんな声を出しても駄目ですよ。
本日の会議は全部隊の団長が出席いたします。
うちの部隊だけ団長が欠席などありえません!」
「…………」
それを言われたら流石のクロノスもおれるしかなかった。
「本日は本当に無理かと……」
どうしてこのお方は凛桜さんの事になると
一気にバカになるのだろう……。
カロスは軽い眩暈をかんじていた。
とても不満げなクロノスだったがやがて絞り出すような声で
渋々こう言った。
「わかった、では屋敷に帰ったら返事を書くとしよう」
「そうしてください」
その後、5枚にもわたる長文内容のカードが凛桜に届いた。
そこには凛桜を気遣う言葉から始まり
明日1日のクロノスの予定および騎士団のスケジュールも
なぜか事細かく書かれていた。
なんか……違う……。
こんな情報もらっても。
と、いうかむしろこれこそ機密事項じゃないのか?
凛桜がそのカードを読みながら遠い目になったことは
言うまでもない……。