129.軽い気持ちで言っただけなんですが……
田舎暮らしを始めて127日目。
おかしいな……。
食の祭典は終わったというのに
本日も食材の下処理作業に追われているのは何故だろう?
自分の置かれている状況に首をひねりながらも
凛桜は一心不乱に栗の鬼皮を剥いていた。
シュナッピー達によって突如発見された栗林。
もはや果樹園を通り越して農園になっているよ
うちの裏庭の一画が……。
おそらくだが……
まだ発見されていないエリアがありそうで怖い。
いや、多分確実にあると思う、うん……。
いっそうの事、地図とかはないのでしょうか。
何かクエストをこなさないと解放されないのか?
くらいの勢いだよ!
このまま行くと……
大量のキノコ栽培エリアとか?
もしくはあらゆる山菜が生えているエリアとか……。
魔法草とかが生えているエリアとか?
マンドラゴとかエリクサーとか採れちゃったりして。
なんでもありだな、おい!
無理無理……キャパオーバーです。
考えたらちょっとうっすら寒くなりそうだったので
一旦横に置いておくことにした。
ま、そんなこんなんで……
栗のイガと一悶着があったりなんかもしたが
無事に収穫を終えました。
収穫をしたという事は、その後に調理と言う工程が
あるという事をすっかり失念していたのですよ!
それでもあの後すぐに栗おこわは作ったよ。
そしてみんなで美味しく頂きました。
余った分は冷凍して保存することにしたのだが
そんなことで消費できる量じゃなかった。
なんとか消費しようと……
栗のパウンドケーキも大量に焼いたし
栗蒸し羊羹も作った。
豚肉と栗の煮込みなどの変わり種おかずも作り
昨日はそこで燃え尽きた。
栗は好きだがそんなに大量に食べられるものでもない。
ぶっちゃけて言うと……
色々加工して食べるよりも茹でて食べるのが
一番好きだったりする。
それを言ったら終わっちゃうんだけど、うん……。
事実だから……。
素材のシンプルな味が1番うまい!!
そして今日もなんとか調理しないといけないと思い
考えついたのがこれだ!
長期保存出来て美味しくて見た目も美しい。
そしてその後もあらゆる料理に使えるという事で!
“栗の甘露煮”を大量に作ることにしました。
その結果……食の祭典の時のくるみ刻み地獄のような
鬼皮を剥くという過酷な作業が発生してしまったという訳で。
もうこれは確実に腱鞘炎コースまっしぐらだな。
そんな私の苦労も知らず……
シュナッピー達は美味しそうに茹でた栗を横で食べてます。
「…………」
「ギャロ!!」
消費して貢献していますが何か問題でも?
くらいのドヤ顔をされてもねぇ。
“ちょっとは手伝いなさいよね”
と、言いたいところですよ、本音は。
でもね……現実的には無理よね。
流石のシュナッピーもそういう細かい作業はできない。
ついつい器用で能力が高いから忘れがちだけど
あの子の正体は植物だから。
いわゆる手という部分は、葉っぱや蔦だからね。
それを使って鬼皮剥いてよとは言えないし。
きなこ達も同じように無理だよね。
まあいいでしょう。
食すという部分で貢献してくだされ。
その代わりと言ったらなんだけど……
助っ人が登場したからね。
「このマローネンのケーキ美味いっスね」
栗のパウンドケーキを1個そのまま豪快に齧りながら
ノアムさんが栗をイガから出すという作業を手伝ってくれていた。
「俺はやっぱり栗蒸し羊羹の方が好みです」
その横でカロスさんが栗の鬼皮剥きを手伝ってくれている。
この2人は見た目に反して実はカロスさんの方が器用だ。
外見から勝手に想像するイメージだと……
無骨なカロスさんよりなんでもそつなくこなすノアムさんの方が
器用な感じがするのだが。
実のところノアムさんは、意外に不器用だ。
栗の甘露煮は見た目も重要なので
今回は器用なカロスさんに鬼皮剥きを手伝って貰っている。
普段から剣を使っているからなのか?
それよりも格段に小さい包丁なのに器用に使いこなしている。
このままいけば今日中に作業は終わりそうだな。
1人だったら2~3日かかったかも。
もちろん栗の甘露煮が出来上がったらごちそうするし
お土産にも渡すつもりだ。
栗の甘露煮はもちろん楽しみなのだろうけれども
それ以上にカロスさんの目と心は……
栗蒸し羊羹にくぎづけだった。
本当にこの人はあんこに目がないんだな。
ブレないところがいさぎよい!
もちろんこちらも進呈いたしますよ。
って、もう3棹の栗蒸し羊羹を食べていますけどね。
食べるペースが早くありませんか?
作業が終わるまでに食べつくしてしまわないかという事と
血糖値的な問題もちょっと心配になるわ。
「凛桜さん、こちらの籠はすべてむき終わりました」
数回教えただけなのに、今ではもしかしたら
私より奇麗に早く剥いて仕上げているかも知れない。
「早いですね!
それにとてもきれいです」
本当に助かるわ!
「恐縮です。
ではこちらの籠も引き続き剥きますね」
よし私は剥いて貰った栗から順次水に浸して流水で濯ごうかな。
そうするとアクがぬけるのだ。
面倒くさい作業なのだけど、このひと手間が大事なのよね。
そこにクロノスがキッチンの方から縁側にやって来た。
「凛桜さん、瓶の煮沸おわったぞ。
これで全部か?」
「はい、とりあえずこれだけの数があれば
なんとかなると思います。
ありがとうございました」
これでかなり下準備は揃った感じかな。
やっぱり人数がいると作業がはかどるわ。
本当にちょうどいい時に遊びに来てくれたわ。
実を言うと……
最初はまたこんなに朝早くから何事?
今日は朝ご飯を作る余裕はないのですが……。
と、思った事は内緒だ。
「マローネンの甘露煮というのか……楽しみだ」
大量の栗を見ながらクロノスは尻尾を揺らした。
「もしかして初めて食べる感じですか?」
「ああ、俺達の国にはない調理法だな。
甘い汁に漬けて保存するのだろう?」
甘い汁って……
まあざっくり言えばそうですが。
「ないッスね。
マローネンは焼くか蒸すかくらいっスね。
ちょっとおしゃれなものになると
このパウンドケーキもどきみたいなものが
高級菓子店でしかも季節限定で買えるくらいッスかね」
「そうなんだ」
もしかしてシロップ漬けという調理法がないのかな……。
「…………」
これはまた危険な匂いがする。
また鷹獣人のおじさまもとい近衛騎士団達に知られたら
皇帝陛下案件になりかねないな……。
頼むから森の情報網に伝わりませんように!
思わず心の中でガチめに祈ったわ。
私の立ち位置がある時点から急に
料理の伝道師のようになっている気がする。
これ以上……異世界に現代の料理を広めていいのだろうか?
こちらは広める気も教える気も1ミリもないんですけどね。
不可抗力がすぎるのよ。
そんな事を考えていたからだろうか……
困惑しつつもかなり険しい表情をしていたのだろう。
すっとクロノスが寄ってきたかとおもったら
そっと凛桜の肩に手をおいて優しく微笑んだ。
「大丈夫だ……凛桜さん。
このマローネンの甘露煮は俺達だけで堪能するからな」
その言葉に賛同するかのようにノアム達も力強く頷いた。
「ありがとうございます。
私ってそんなにわかりやすく顔に出ていましたか?」
そう言って凛桜が恥ずかしそうに目を伏せると
若干半笑いのクロノスが答えた。
「思いっきり顔に書いてあったぞ……ククク
面倒な案件はもうこりごりだとな」
「もう……恥ずかしい」
凛桜は恥ずかしさを誤魔化すために両手で自分の
顔を仰いでいた。
「マローネンの甘露煮!早く食べたいッス」
3人の心遣いにほっこりしたところで凛桜は
シロップ作りに取りくんでいた。
実はあの黄色い奇麗な色を出すためには
“くちなしの実”をつかうといい感じになるのよね。
始めはそれを知らなかったから……
かなり微妙な出来上がりになったわ。
くちなしの実を半分に切ってから栗を入れて
水をヒタヒタになるくらいまでいれます。
火にかけて沸騰したら弱火にして10分くらいゆでる。
その後に火を止めてからそのまま冷やします。
冷やすとしっかりとくちなしの色が栗に浸透するのよね。
その栗たちを別の鍋に移します。
そこに砂糖と水と塩で作った蜜を入れて更に弱火で
10~15分くらいコトコト煮ます。
その後冷ましてから瓶詰めすれば完成です。
煮沸した保存瓶詰めだと冷蔵庫でざっくりだけど
3か月くらい持つからね。
きっと重宝するはず!
凛桜はこの作業を時間差で何度も繰り返した。
「美味しいものを食べるには時間と手間がいるんッスね」
ノアムが栗おこわのおにぎりを食べながら
茹でられている栗を見つめていた。
「そうなのよ。
食べるのは一瞬なのに作るのは大変なのよね」
凛桜がそうしみじみ答えるとクロノスが
あらためて軽く頭を下げながら言った。
「凛桜さんは特に丁寧に作業するからな。
でもそのお陰で俺達は美味しいものが食べられる。
いつもありがとな」
「クロノスさん……」
クロノスの心からの感謝の言葉にジンときていると
更にこんな言葉をかけられた。
「そんな凛桜さんに何かお礼をしたいといつも
思っていてな……。
こちらの世界と凛桜さんの世界の食べ物は
多少の違いはあれどもそう変わらないとはわかっているのだが
何を送っていいのかさっぱりわからん」
少しシュンとした表情で獣耳をへにょっと下げた。
「何か食べたいものとかあったりするか?
今更ながら好きな食べ物はなんだ?」
クロノスさんの気持ちは嬉しいけれども
急だな、おい。
好きな食べ物か……。
好きな食べ物はたくさんあるけれども
1つに絞るのは難しいかも。
凛桜はしばし考えていた。
そうだな……今食べたいものと言えば。
「ん…………」
そう言えばこの世界の魚介類ってまだあまり食べてないよな。
その時にあのホームベースほどある貝がチラッとよぎって
一瞬躊躇したが誘惑には勝てなかった。
私は今……無性に魚介類が食べたい。
こちらの世界に来てからというもの
ずっと肉フェスだったからな!
そう思ったからだろか……
ついポロっと言ってしまった。
「カニ食べたいな……」
「カニ?」
「カニって何っスか?」
「カニ……」
どうやらこの世界ではカニという名前ではないらしい。
「凛桜さんはカニというものが1番好きなのか?」
「1番というわけじゃないかな。
でも私の世界ではかなり高価で美味しい食べ物なの」
お寿司では手軽にたべられるけれども
私が食べたいのは越前ガニ的な本気のカニだ!!
高級料亭や専門店で出てくるカニのフルコースが食べたい。
「だからたまにしか食べないのだけれども……
とてもおいしい海の生き物なの」
「カニは海の生物なのですね」
「そうなの!海に生息している甲殻類。
カニは毎年この季節になると食べていたなって
思ったら急に食べたくなっちゃって」
話だけじゃ全く伝わらないわけで……。
「どんなやつなんだ、カニは?」
見てもらった方が早いよね。
という事で……
凛桜はチラシの後ろにカニの絵を描いて見せた。
「………………!!」
その絵を見たとたん3人は驚いたように
カッと目を見開いた。
その直後にお互いの目を見て頷いたかと思ったら
3人ともが一斉に渋い顔をした。
ノアムさんに至っては両手を挙げて無言で
フルフルと首を横にふっている。
無理っス、俺絶対に無理っス。
そんな心の声まで聞こえてくるようだ。
クロノスさんとカロスさんは腕をくんだかと思ったら
何かを思案するように遠くを見つめだした。
えっ?
もしかしたらこの世界ではカニは食べ物じゃなかったりする?
凛桜はどぎまぎしながらクロノス達の顔をみた。
するとやがてクロノスが口を開いた。
「よりによって“グランキオ”か」
「まさかの選択ッスね」
「…………大物だな」
えぇぇぇええ?
3人がそんなに顔を顰めるくらいのゲテモノだった?
大物?
一般的にはさしてそんな大きな生物じゃないよね……。
まあ確かに見た目はあれよね。
人類で最初に食べた人の勇気は認めるよ、うん。
でも美味しいよね……カニ!
ああ……
信じられないくらい獣耳と尻尾がしょんぼりしてるよ。
「いや、その言ってみただけだから。
クロノスさんの感謝の気持ちだけで十分だから。
だからカニはもういいよ」
焦ったように凛桜がそういうとクロノスは
決意の籠った顔でいいはなった。
「いや、命に代えても手に入れるから」
ノアムさん達も腹を括ったかのような表情で
頷くのやめて……。
命に代えてもって何?
ん?へ?え?
そんなに危険生物でしたっけカニって?
自分が何気なく言った一言があんな壮大な計画になるとは
この時の凛桜は知る由もなかった。