126.それぞれの想い
田舎暮らしを始めて124日目。
「フッ……
私としたことが……
まさかこんなところで手心を加えてしまうなんて
これも血の呪縛なんですかねぇ……」
そう言って男は悲しそうに笑った。
凛桜は布団の上でゴロゴロしていた。
黒豆達も同じようにのびていた。
流石に疲れたよ……。
中庭を眺めながらこれまでの日々を思い出していた。
人気投票の結果だが……
なんと1票差でノワイテ亭が優勝した。
そうお察しの通りあの侯爵様が入れてくれた
1票が明暗を分けた。
皮肉にも敵方に塩を送ってしまったあの1票だ。
投票した本人は満足気だが周りはそうもいかなかっただろう。
特に執事であろうヤギ獣人の怒りは凄まじかった。
彼の意気込みは何と言っていいのかわからないが
相当の覚悟があったようにみえる。
だからあんな事が起きてしまったのだと思う……。
「まさかあんな形で優勝するとは思わなかったですね」
「そうだな」
凛桜はクロノス達と王都の路地を歩いていた。
興奮は冷めやらないがそれ以上に疲労もかなり
ピークにきていた。
明後日からは授賞式やグロワールの取得に向けた日々が始まり
ますますノワイエ亭は繁盛していくだろう。
ようやく肩の荷がおりた気がした。
今日はひとまず身体を休ませてから
改めて皆でお祝いをしようという事になり
リス獣人一家とは別れた。
と、急にきなこが立ち止まった。
「グルゥウウ」
「どうしたの?」
何故か細い路地裏を睨むように見つめており
時より何かを警戒するように唸っていた。
「きなこ?」
クロノス達も不思議に思いその方向を見たが
あまりにも細くて暗い為にほとんど見えなかった。
と、急にきなこがその路地の奥に向かって走り出した。
「あっ、きなこ!」
それに続いて黒豆も駆け出した。
「ちょっと……」
慌てて凛桜も飛び出してしまった。
「凛桜さん……危ないからまずは俺達が……」
というクロノスの制止は間に合わず既に凛桜達の
姿は路地奥に消えていた。
凛桜が路地奥に着くと……
争うような声が聞こえ……
何かが倒れるような音が聞こえた。
「何故だ……何故……」
倒れた男の人はその言葉だけを繰り返していた。
「…………」
馬乗りになってその男の首筋に刃物を突き付けている男は
その問いに関して何も答えない。
でも瞳は憎しみの色に染まっていた。
「何故……」
未だこの状況が信じられないのか悲しみと恐怖に
歪んだ顔で男は自分を殺そうとしている男を見つめていた。
「えっ?」
その2人の姿を見たときに凛桜の心臓がぎゅっと
締め付けられた。
何故なら……
襲われている男はクレール侯爵で
襲っている男はその執事と思われるヤギ獣人の青年だったからだ。
「グルルルル」
きなこ達が男達に向かって吼えた。
そこでようやく2人は自分たち以外の存在に気が付いたようだった。
男達はまさかの乱入者に目を大きく見開いていた。
「何故ここに?」
まあそうなんですけど……。
そしてその言葉をそっくりあなた方にも返したいです。
何との言えない微妙な空気が流れた。
単なる痴話げんかというレベルじゃないですよね……。
「…………」
凛桜がなんと答えようか考えあぐねていると
ようやくクロノス達が追いついてきた。
「凛桜さん急に走ったら危ないッスから!!
って、おうぁ!!」
思いがけない光景が目の前に広がっていたのだろう
ノアムはかなりの高さで飛び上がった。
「なんだ急に危ないだろう」
そういったカロスも一瞬動きを止めた。
「…………」
「はあ……」
ヤギ獣人は大げさにため息をつくと顔だけこちらに
むけて鬱陶しそうにこう告げた。
「取り込み中なのが見てわかりませんか」
感情のこもっていない声音はぞっとするほど冷たかった。
凛桜側サイドも何が起こっているか理解できないと
いうのが正解だった。
どうしてあの献身的に尽くしていただろう執事が
今まさに自分の主人を暗殺しようとしているのか?
それに抵抗と言う程の抵抗を見せない主人……。
そんな光景に一同黙り込んでいたのだが
一番冷静なクロノスが口火を切った。
「なぜこのような事を?」
そう告げると男はハッと鼻で笑った。
「どいつもこいつも“何故?”“何故?”と
いちいち説明しないとわからないですかねぇ。
そのご立派な頭は飾りですか?」
「…………」
その男の下で苦しそうにクレール侯爵が喘いだ。
「ジョシュア……何故だ……。
お前を兄のように慕っていた……
それなのに何故このようなことを……」
涙ながらそうとぎれとぎれ言葉を紡ぐと
いっそうヤギ獣人の顔が怒りに満ちた。
「ハッ……。
まだわからないのですが」
吐き捨てる様に言うとクレール侯爵に突きつけている
刃物の先を更に食い込ませた。
「うっ……」
クレール侯爵が痛みに顔を顰めると
怒りと憎悪にまみれながらヤギ獣人は高笑いをした。
「だからですよ」
「えっ?」
「どうしてこんなに私とあなたは違うのでしょう」
「どういう意味だ?」
その言葉を聞いた途端……
凛桜の中で燻っていた疑問が消えた。
「そうか……そうだったのね」
はじめてこの2人を見た時の違和感
そして……
呟くようにそう言うとクロノスが驚いたように
凛桜の顔を見た後……
少し悲しそうな表情で頷いた。
「ジョシュア?」
「本当に昔から察しが悪いお坊ちゃまですね。
あの魔族の女ですらもう答えにたどり着いたのに」
呆れたようにそう言うとヤギ獣人はクレール侯爵の
頬を何度か優しく叩いた。
「答えは目の前にあるというのに……」
「目の前?」
クレール侯爵がヤギ獣人の青年を見つめると
瞳の中に自分の姿が写った。
「…………。
ジョシュア……まさか……お前は……」
自分とそっくりな色の瞳の男を唖然と見上げていた。
「貴族にはその家系にしか生まれない瞳の色がある。
そう……私はあなたと同じ血をひくものです」
そう言ってヤギ獣人は怖い程美しい顔で微笑んだ。
「あなたはクレール家の当主として相応しくない。
世間知らずでお人好しで……
泥水を啜って生きているような者の事などは知らず
あらゆることから守られてぬくぬくと過ごしている」
「ジョシュア……」
「だからあんな愚民にさえ勝てないのですよ。
我がクレール家は常に1番でなくてはいけないのです。
それなのにあなたときたら」
「…………」
「だから排除することに決めました。
幼き頃からあなたを支えて影のようになれと
言われ続けてきましたが……
あなたは当主の器ではない」
「ジョシュア……」
「半分とは言え私にもクレール家の血が流れています。
あなたさえいなくなればその権利は私にもめぐってきます。
という訳で消えてください」
そう言ってヤギ獣人はためらいなく刃物を
振り下ろそうとした時だった……。
「ハハハハハ!!
そうか……そうだったか……!!」
こんな究極なピンチだというのにクレール侯爵は
何を思ったのか泣きながら嬉しそうに笑った。
「はい?」
ついに気でもふれたのかとそこにいた者達は思ったが
直も侯爵は話を続けた。
「ジョシュアが本当の兄で嬉しい。
幼き頃からお前を本当の兄だと思っていた。
一度もお前を従者だと思った事はない」
そう言って嬉しそうに微笑んだのだ。
「なっ?」
「それなのにお前をそこまで追い込んでいたのだな。
すまなかった……。
俺を殺して気が済むならそうすればいい」
そういってクレール侯爵は真剣な眼差しで
ジョシュアを見上げていた。
まさかそのような事をいわれるとは思っても
見なかったのだろう……。
言われた張本人は何かを払いのけるかのように
手を震わせながら歯を食いしばった。
「はっ……何をいまさらそんな世迷言を。
命乞いにしてももっといい言い訳があるでしょうに」
「事実だ……俺はお前が大好きだ。
お前がいれば安心してなんでもやれる」
「やめろ……」
「ジョシュア覚えているか幼いころに俺が中庭の池に
落ちた時もお前が一番に飛び込んでくれたな。
他の従者はオロオロしているだけだったのに
お前は一目散に池に飛び込んで助けてくれた」
「だからやめろ……」
「父上に叱られた時もそうだ……
家庭教師に怒られた時も……
母様がいなくて寂しい夜も……」
「やめろと言っている!!」
ジョシュアは泣き叫びながら刃物を振り下ろしたが……
その手をクロノスが掴んだ。
「もういいだろう。十分だ」
「…………」
そう言われたヤギ獣人の青年はどこかほっとしたような
表情を浮かべながら素直に頷いた。
この件はクロノス達だけで処理することに決めたらしい。
どちらにしろノワイエ亭の妨害や食の祭典での不正など
たたけば埃の出る男だ。
これ以上罪を重ねる必要はないというクロノスの温情だった。
きっと貴族にしかわからない葛藤や悩みを
汲んでの事だったと思う。
ノアムさんとカロスさんも胸にしまっておくと
言ってくれていた。
貴族は血統がすべてだ……。
この本当の意味を知った気がした……。
無事にグロワールは獲れたけれども
こんな悲しい結末があるとは思ってもみなかったな。
クレール侯爵大丈夫かな……。
かなり落ち込んでいた気がするけど。
なんて思っていたのは杞憂だったらしく
さっそくジョシュアさんの罪が軽くなる様に
多方面にかけあっているらしい。
なんだやればできるこじゃん。
それに相変わらずレオナさんへのアプローチも
変わらずうざいとの事だった。
なにはともあれ元気そうでよかった。