100.思い立ったら吉日
田舎暮らしを始めて109日目の続き。
「どこの誰なのそのバカは!」
レオナさんは、苛立ち気に尻尾を左右に揺らしながら
長い足を組みながら、デーンッとソファーに座っていた。
(相変わらず容赦ないなあ……。
それに、ますます女王様ぶりに磨きが掛かっているわ)
幻聴の高笑いが聞こえてきそうだ……。
凛桜は苦笑と共に、レオナの目の前に
ローズヒップティーを置いた。
それをしかめっ面で一口飲むと少し気分が落ち着いたのだろう
ほうっと軽く息を吐いた。
その間にレオナの質問に
おずおずとリス獣人のお兄ちゃんが答えた。
「お名前は詳しくはわかりませんが……。
店にいらしたのは、そのお貴族様のお使いの方
とおっしゃる方で、ヤギ獣人の男性の方でした」
「ヤギ……ヤギねぇ……」
レオナさんは斜め上を見ながら思案するように呟いた。
「他に何か特徴はなかったの?」
凛桜がそう問うと、お兄ちゃんは自分の獣耳を
せわしく撫でながら、うーんと唸った。
と、横からルルちゃんが何気なく言った。
「ヤギさん、左の角に十字の傷があったよ」
「なんですって!!」
レオナさんが急にソファーから立ち上がった。
「えっ?急になに?
びっくりするじゃない」
凛桜が抗議するように言うと、レオナは我に返り
ゆっくりとまた再び静かにソファーに座った。
そして、そのまま深くため息をつきながら言った。
「なかなかやっかいな相手に目をつけられたわね」
「知り合いなの?」
レオナは嫌そうにぐっと眉間に皺をよせた。
「かなり高位の貴族の執事よ、そいつ」
「えっ!」
その言葉を聞いて……
ルルちゃん達は、一気に意気消沈していた。
(あーあ……
信じられないくらい、獣耳と尻尾が下がっているよ)
「あれだけの情報でよく特定できたわね」
「まあね……。
職業柄……いや違うな……立場上とでもいうのかしら
自分が望もうが望まなかろうが関係ない。
否応なしに顔は広くなるの……」
レオナは髪を少し乱暴にぐしゃりとかきあげた後
うんざりした様子でそう言った。
「どういう相手なの?」
「そうね、特権階級の塊みたいなやつかな。
利益拡大の為には、手段を選ばないやつよ」
(本気か……)
「諦めるしかないのでしょうか」
リス獣人のお兄ちゃんは、ぎゅっと眉を寄せていたが
絞り出すようにそう言った。
その問いに、凛桜もレオナも何と言っていいのか
わからなかった。
それ以降、ふっつりと会話が途切れて沈黙が下りた……。
何か考えているのだろうか、レオナは目を閉じたまま
ぴたりと口を噤んでいる……。
何とも言えない空気の中、時間だけが過ぎていく。
ルルちゃんは、緊張と疲れがどっと出たのだろう
きなこにもたれ掛かって眠ってしまった。
おにいちゃんは、黒豆を抱きしめながら
ただ黙り込み……
その表情には、軽い絶望が浮かんでいた。
困ったな、どうしらたいいのだろう?
あのレオナさんが難しい顔で考え込むくらいだもの。
一筋縄じゃいかない相手なのよねぇ。
凛桜は、お土産に持たせようと思っている
クリームチーズとクルミのサンドイッチを作りながら
ふと中庭に視線を投げた。
「…………」
もう気がつけば、日もだいぶ傾いてきている……。
シュナッピーが夕日に照らされて、花弁のシルバー部分が
キラキラと光り輝いていた。
それが気持ちいいのか、相変わらず全ての葉っぱを天に向けて
中庭の中心で愛を叫んでいるみたいだけれども。
ある意味、光合成でもしているのかな?
本当に忘れがちなのだけれども
植物なんだよね、シュナッピーって。
その様子にほっこりしていたのだが!
恐らく数分もすれば、夜の帳が降りて来る時間だ。
「あっ…………」
そこで凛桜は、あることに気がついた。
「ねぇ、もうすぐ暗くなるし……
そろそろ帰らないといけない時間だと思うのだけれども
此処に来ることはご両親に伝えているよね?」
凛桜がリス獣人のお兄ちゃんにそう言うと
バツが悪そうにさっと目をそらした。
「いつもならば、もうお迎えが来てもいい時間なんだけどな」
凛桜がダメ押しとばかりにわざとらしくそう言うと
思いっきり動揺が顔に出ているのにもかかわらず
平然を装ってぎこちなく答えた。
「はい……、その……森の手前で……
待っていると思い……ます……」
最後の方の言葉は聞こえないくらいのボリュームだった。
これは黙って来ちゃったな……。
おそらく……
両親とその貴族の使いの人とのやりとりを偶然に聞いてしまい
いても経ってもいられなくなり、ここに駆け込んできたのだろう。
あー、もう顔が真っ青だよ……。
凛桜がどうしようかと思っていると
今まで黙っていたレオナが急に口を開いた。
「噓つきは、シャナリンテの始まりだよ。
いいの?シャナリンテになっちゃっても」
そう言って、リス獣人のお兄ちゃんの鼻を
人差し指でぷにっと押した。
「嫌です!!」
お兄ちゃんは、獣耳と尻尾をふるふると震わせて
恐怖に慄いていた。
シャナリンテってなによ?
妖怪?悪魔?魔獣か?
異様なまでの怯え方をみると……
子供にとっては、かなり怖いものみたいね。
引きつった顔で泣きそうになっているじゃないの。
「本当の事を話さないと明日起きた時には
確実にシャナリンテになっているわね、うん」
「ヒィィィィッィイイ……!!」
レオナさん……
かなり悪い顔で微笑んでいるな。
あれは半分楽しんでやっているな。
生き生きしているもの。
ここで高笑いなんかしたら、完璧な悪役令嬢ですよ!!
すると、急に凛桜の方をくるっとむいて
レオナが急かす様に言った。
「冗談はこのくらいにして、凛桜……。
お土産はできているわね」
「はい?」
「帰るついでに、この子達を家まで送っていくわ」
その言葉に凛桜はほっと胸をなでおろした。
レオナが2人を送って行ってくれれば安全だ。
「はい、出来ています」
凛桜は、2つのバスケットを掲げて見せた。
「よし、ならば行くわよ」
「へっ?」
何故か凛桜まで腕を掴まれている。
「黒豆達も準備はいい?
あ、その前に家の戸締りはしておいてよね」
なにやらおかしなセリフが聞こえてくる……。
「ちょ……、待ってください」
「なによ?」
何故に私まで腕を掴まれているのだろうか?
これじゃあまるで、私まで出かけるみたいじゃないか。
「もしかしてなのですが……
私も一緒に行く感じですか?」
凛桜の指摘に、レオナは青い瞳を細めた。
「あたりまえじゃない、2人を届けるついでに
ご両親からも話を聞かないと詳細がわからないじゃない」
呆れ気味にそう言われたが……
未だにわかりません。
「それはごもっともな意見ですが……
何故に私までが行かないといけないのでしょうか」
「私のような有名人がいきなりお家に尋ねたら
先方が驚くでしょうが!」
半分キレ気味にそう言われましても……。
私はこの家を離れられない秘密があるんですぅ。
とは言える訳もなく、ただ狼狽えていた。
「いいから行くわよ、時間がないわ」
そう言われましても……。
怯む凛桜は後ずさるが、レオナは逃がさないとばかりに
がっしりと腕をつかみ、尻尾までもが腕に絡みついてきた。
そして、寝ているルルちゃんを軽くお姫様抱っこをしたまま
そのまま中庭の奥まで凛桜をずるずるとひきずっていった。
「レオナさん……本当に困ります」
「往生際が悪いわよ!」
(いやぁぁぁぁ、どうしよう!!)
その後を焦ったように、リス獣人のお兄ちゃんと黒豆達が追ってきた。
シュナッピーは空気をよんだのだろう。
いいこでお留守番をしておきます!
と言わんばかり、葉っぱを振って凛桜達を見送っていた。
「この森を抜けた湖の所に、馬車を止めてあるから急ぐわよ。
あと数十分で本当に夜になるわ」
そう言って、レオナは足早に歩きだした。