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夢幻泡影  作者: 景
8/11

8:其々の胸中-静芳-

静芳(ジンファン)男装して家出中。

(ファン)悠々自適な次男坊。

宇航(ユーハン)家督争いに巻き込まれた苦労人。

 人を探している。名前が似ている。二つの言葉に嫌な予感が過った。探しているのが胡 静芳だと決まったわけではない。わけではないが、可能性がある以上、バレる前に別れなければ。


「人探しか……無事に見つかるといいね。小芳、行こうか」


 静芳の戸惑いを察した芳は早くこの場を去ろうと口を開く。宇航はまだ変化に気づいていない、話を断ち切るなら今がいい。


「ああ、うん。あの……早く会えますように」


 表情を押し殺して返事をする。無意識にできる「良い子」が役に立つ時もあるんだなと思いながら。


 本当はこうしたい、こうしてほしいを飲み込んだことは数知れず。言えずに笑って頷き、後で隠れて泣いたのは数えるのが嫌で止めた。

 大きくなると、泣きそうな顔や怒った顔よりも、平然とした顔の方が簡単に作れるようになった。


 表情から同様を隠し、心から戸惑いを一旦殺し、心配している風を装って宇航に別れの挨拶をする。


「え、いやっ、話を聞いていただきたいのだが」

「申し訳ないのですが、急いでいるので」


 するり、と出た言葉には戸惑いの色はない。芳が少し驚いた顔をしたが、今は構っていられないと静芳は踵を返した。


 走り去りたいのは山々だが、不審な行動は怪しまれる。さりげなく足を動かす速度を上げ、人の多い道を選んで歩く。


「私の泊っている宿でもいい?」


「小芳がいいならね」


 肩と肩をぶつけ、声を潜めて行き先を決める。とはいえ宿泊客以外は客室に入れない、一階の食堂が目的地になった。

 後ろを振り返っても宇航の姿は見えない。諦めてくれたのだろうか。二人は思った、そう上手くいくとは思えない、と。




「やっと落ち着けたね」


「追いかけて来なくて良かった」


 評判の良い宿として紹介したのが芳だと知り、顔見知りの主人は客室に入ってもいいと快く許可を出した。


 食堂で茶器を借り、二人分のお茶を煎れる。備え付けの小さな机に胡麻団子の箱を置き、椅子には芳が座った。

 静芳は寝台に腰掛け、お茶を飲んで大きく息を吐き出した。肩の力が抜けていくと同時に疲労感がのし掛かる。


「蒸しパンは今度にしよう」


「うん、そうしよう。その前に……あの、聞いてほしいことがあって……」


 口約束であっても、次があるのは嬉しい。でもその前に、隠していることを話してしまいたくなった。隠し通せる器用さはない、それ以上に溜まりつつある罪悪感から解放されたい。


 芳から行方知れずの娘がいる、と聞いた時から降り積もっていた心のモヤ。嘘はついていない、言う必要があるのか分からない。この街で終わる関係なら、言わない方がいいのは分かる。

 寝る前には話そうと決め、朝起きてはやめようと思い直す。次の街へ行ってしまえばいいのだが、それもできずに宿の主人に暫くいると言ってしまった。


「もちろん聞くよ。でも、無理して全部話そうとしなくていいからね? 私だって小芳に話していないことは沢山ある、洗い浚い話そうだなんて考えなくていいんだ」


 思い詰めた顔の静芳を気づかい、芳はわざと明るい口調で返した。会って間もないのだから知らないことの方が多くて当然、少しずつ知っていけばいい。そんな気持ちを滲ませた言葉だった。


「分かった。ありがとう」


「私としては、もう少し仲良くなりたいかな。ありがとう、がなくなるくらいにね」


 あっと声を上げ、慌てて口を押さえる。これも癖で、静芳はよくお礼を言う自分に気がついた。同年代の子ども以上に大人と関わる機会が多く、親しい関係を築いて来なかったからだ。挨拶の仕方や字の綺麗さを誉められ、お礼を言うと礼儀正しい子だと誉められる。誉められる度にお礼の回数は増えていき、今では当たり前のように口にしていた。


 しかし、親しい間柄ではお礼は言わないのが当たり前だった。ありがとう、は他人行儀な言葉として認識されている。

 誕生日を祝うのも、困っていたら助けるのも、全部当たり前。祝って当然、助けるのも当然なのだから、わざわざお礼を言わない。

 助けを必要としているなら、無条件で手を差し伸べる。助けが必要な時には無条件で手を差し伸べてくれる。それこそが親しく大切な人という証で、お礼など必要ないのだ。


 仲の良い友だちだと思っていたのにお礼を言われちゃった、仲良しだと思っていたのは私だけだったのね……そんな風に言う妹を思い出し、静芳は複雑な気持ちになる。

 あまり親しくない人への礼儀は忘れてはいけないが、親しい人への礼儀は拒絶と受け取られる場合があるから注意しなさい。笑顔を貼り付け、親戚を見送った際に父から言われた言葉を思い出す。


「癖になっているみたい。友だち、と呼べるような人がいなくて……大人の人には、お礼を言っていたんだ。だからね、いやっ、仲良くしたくないわけじゃないよ!? あ、大芳は……分かっていると思う、けど……」


「あ、それはいいね。うんうん、分かっているよ」


 しどろもどろな語尾に芳の笑い声が重なった。心なしか熱くなった頬を隠したくてお茶を飲み、温かい液体が食道を滑り落ちていく感覚を味わう。


 改めて口を開きかけ、心の半分を覆っていた不安がなくなっているのに気づく。肩の力を抜いて、ゆっくり息をして、今なら話せそうだと芳を真っ直ぐ見て話し始める。


「先ず始めに。行方知れずになっている胡家の長女、というのは……私のことなんだ。芳と名乗ったのは気づかれるのを防ぐためで、本当の名前は静芳というの」


 さして驚いた様子も見せず、芳はゆっくり頷いた。気づいていたのかもしれない、聞いてみたい好奇心を頭の隅に追いやり、家出するまでの経緯を語る。


 長女として生まれ、大切に育ててもらったこと。実母がいなくなり、新しい母を迎えたが関係は悪くなかったこと。妹たちが可愛いこと。勉学に励み、身体を鍛え、立派な大人になろうとしたこと。


 背は高くなり、凛とした顔立ちが際立って実母そっくりに成長した。何処に出しても恥ずかしくない娘だと親戚一同に太鼓判を押され、努力は報われたのだと喜んだのが二年前。

 直後に決まった第一公主の結婚、広まった馴れ初め。感化されていく同年代の子どもを持つ親たち。移り変わった美人の条件から外れ、縁が遠退き行き場を失ったことから、考えた末に家を出る決意をした日まで。


「親不孝者だと思う。でも、あのまま家にいて、妹たちが結婚して出ていくのを笑顔では見送れなかった……」


 良家の娘にとって、恋愛結婚など夢幻でしかない。親が決めた相手の元へ、自分の役割を果たすために嫁ぐのだ。


「帰らないといけないのは分かっているんだけどね」


 まだ帰りたくない、まだ帰れない。静芳は理由を探しては旅を続けている。現実から目を背けているのを認められない気持ちもあった。


 独りになって、今までの自分とやっと向き合えたのだ。思ったことを言えず、口を噤んだ時の悲しさ。姉なんだから我慢しなさい、妹に譲りなさいと言われた時の寂しさと憤り。厄介者のような扱いを受けた時の絶望、虚しさ。


 全部耐えれば上手くいく。言うことを聞いて、笑っていれば誉められる。大人たちの顔色を窺っていれば怒られない。いつしか自分の意見はなくなり、従順な子どもへと成長してしまった。



「まだ、帰りたくないなぁ」



 帰宅すれば怒られ、二度と独りで家から出られなくなる可能性もある。それとも、親子の縁を切られるだろうか。

 最悪の結末を予想して眠れない夜もあった。それでも旅を続けたのは、生きていく術を得たいと思ったからだ。

 先ず仕事を見つけ、生活費を稼ぐ。定職と安住の地が見つかるまでは根無し草でも生きていける逞しさが欲しかった。


「帰れと言うのは簡単だけどね……今帰っても嫌な思いをするだけなら、もう少しこの街にいるのも悪くないんじゃないかな。安住の地を見つけたいなら、長く滞在して良し悪しを見極めないとね。仕事は……探すのを手伝うよ」


 帰れと言わない芳の提案は、静芳が予想していたものと似ていた。故に、余計に複雑になった。本当に甘えてしまっていいのか、頼ってもいいのか、分からない。


「協力、してくれる?」

「するよ」


 迷いのない即答だった。憐れむ色も見えず、芳の瞳は真っ直ぐに静芳を映している。視線を逸らし、手に持ったままの胡麻団子を口に押し込む。泣いてしまいそうなのを誤魔化したかったのだ。


「居場所は言えないけれど、無事でいることは伝えたいんだ。手紙を書くから……どうやって届けたらいいか、教えて?」


「もちろん」


 胡麻団子美味しいね。うん、また食べたいな。滲んだ涙は見ないふりをして、二人はゆっくりとお茶を飲み、胡麻団子を食べる。




 先の見えない不安が、僅かに軽くなった気がする静芳だった。

読んでくださってありがとうございました。

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