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夢幻泡影  作者: 景
5/11

5:再会と再会1

静芳(ジンファン)男装して家出中。

(ファン)悠々自適な次男坊。

宇航(ユーハン)家督争いに巻き込まれた苦労人。

 窓を開け放ち、まだ暗い空を見上げた。ひんやりとした空気で肺を満たし、細く長く吐いていく。


 すぐに立ち去るつもりだった街、行く宛もないが留まる宛もなかった旅だ。少ない荷物は常に纏めてあり、今日にでも発とうと思えば発てる。

 だが去りがたい。切れてしまっては惜しい出会いがあった。楽しい時間を見つけ、人と接する必要性を今まで以上に感じている。


「学ばなければならないことが、こんなにも多かったなんて……」


 明けていく夜、昇り始めた太陽が完全に姿を現すまで、静芳の自問自答は続いた。芽生えた情の名前はなんなのか、自分はなにを望み、これから先どう進むべきなのか、考えても考えても答えは見つからない。


 静かだった街が徐々に目覚めていくのが分かった。早朝営業の店には湯気が、宿からは支度を終えた旅人が、大通りをいつもの姿へ変えていく。


 頭を振って気持ちを切り替え、静芳も空腹を満たそうと宿を出た。芳は昼前に来ると言っていた、まだ時間はあるから沢山食べても問題ないはずである。


 外に出れば乾いた土の匂いがして、そこに食べ物の匂いが漂っていた。ゆったり歩いて体を目覚めさせ、次は胃を目覚めさせるため、薄味の粥を選ぶ。小山と盛られた大根の漬物は働き者で、胃は瞬く間に覚醒した。

 もう少し味の濃いものが食べたくなり、今度は豆腐を求めて向かいの店へ移動する。滑らかなおぼろ豆腐、八角の効いた牛肉の煮込みとネギ、揚げた麺、辣油の鮮やかな赤色が白い豆腐に映えた。


 満腹になったら腹を抱え、静芳は店内をぐるりと見渡す。眠い目を擦る子ども、急いでいるのか立ったまま豆腐を流し込んでいる親子、二日酔いの胃を豆腐の優しさで癒す青年たち。

 多くの人で溢れている街だ、でも一人として同じ人はいない。皆がそれぞれの人生を歩み、出会いを覚え、別れを知る。


 家族と別れ、住み慣れた故郷を離れ、見知らぬ土地を一人で歩く。自分という存在の価値、生まれた意味、全てが曖昧だと感じていた。


 もしも今日、この街で息絶えたとして、誰かが泣くだろうか。惜しんでくれる人はいるのだろうか。

 家に帰れば家族がいる。惜しんでくれるだろう、泣いてくれるだろう家族が。いつかは帰るのだ、住み慣れた家へ。例え、すぐに嫁げと言われても、出ていけと頬を張られたとしても、帰らないわけにはいかない。


 目の前に座った仲睦まじい夫婦を眺め、静芳は暗い気持ちになった。きゃらきゃら笑う幼い子どもの丸い頬、小さな体を支える嫋やかな母の手、冷ました豆腐を口に入れてやる父の穏やかな笑顔、どう見ても幸せな家族そのものだ。


「できるのかな、私にも」


 良き妻として夫を支え、子を産み良き母になれるのか。夫を愛し、子を慈しめる自信が今はない。優しく微笑む母の姿が眩しく映った。


 一人で生きるのは不可能だ。だとしても、せめて自分の両足で立ちたいと思う静芳だった。示された道を歩く人生に疑問を持たず、それが幸せなのだと信じていた。

 生きていくことの難しさ、守られていたという事実を知り、できることの少なさに毎夜打ち拉がれる。


「自分で選びたい。選べないなら、納得するまで話し合いたい」


 家を飛び出した我が儘娘のままではいられない、誰かのために従順で居続ける長女ではいたくない。


「……まだ、帰れない」


 決意も新たに、静芳は拳を握り締める。賑わう街に一人でいるのを寂しいと感じなくなるまで、誰かと信頼関係を築き腹を割って話せる友を見つける、二つの目標を掲げた。


 静芳に今できるのは、宿に戻って芳を待つこと。信頼関係を築くのに食事は良い手段と言えよう。やることが分かったなら、考えるのはやめにしよう。

 考え込む質ではあるが、切り換えの早さには定評がある。美味しいお茶とお菓子を買い、先ずは一人の時間を楽しもうと店を出た。






「お菓子はなにを買ったの?」


 数時間後、宿にやって来た芳に連れられ静芳は再び大通りを歩いていた。肉も野菜も美味しく食べられる鍋の店、と聞いて腹の虫は鳴く寸前である。


「干した杏と山査子を買いました。寒い時期なら山査子飴があったのに、ちょっと残念です」


 寒くなると現れる山査子飴の屋台を思い出す。飴を纏った真っ赤な実は、キラキラと輝いて見えたものだ。

 確かに山査子飴は美味しい、と同意した芳だったが。少し間を置いて続ける、飴が歯にくっつかなければね、と。


 顔を見合せ、二人は吹き出した。本当に、その通りだと笑い合う。パリパリの飴と甘酸っぱい山査子、口いっぱいに頬張った後の悲劇も笑い話の種となる。


「飴の薄いところは美味しいんですけどね、厚いところが奥歯に貼りつくと取れなくて」


「その貼りついた飴を取ろうとしたら、抜けかけていた乳歯ごと取れてしまったんだ。それ以来、怖くてね……私はもう食べられないよ」


 大袈裟に泣き真似をする芳、堪えきれずに笑ってしまった静芳。昔話はお互いの過去を紐解き、結び直していくようだった。


 山査子の悲劇を話終えると、ちょうどお目当ての店が見えた。最近できたとは思えない立派な建物で、広い店内には大小の机が並んでいる。

 机の上には大きな鍋があり、肉と野菜の煮える匂いが充満していた。具材が選べ、辛さも調整ができるのが最大の売りで、昼夜を問わず客で溢れかえっている人気店だ。


 酒を飲むのもいい。鍋は皆でつつくものと教えられて育った芳としては、家族で鍋を囲みたくなった。

 母の手料理に勝るものはないが、未知の味は試したくなるし、美味しいものは家族に教えたくなるのが宋家の次男である。


「あ……大芳、あれ」


 静芳が指差したのは、汁気のない鍋だった。具材を入れて煮えるのを待って食べるのではなく、煮られた状態で提供されるようだ。

 店員に聞くと干鍋という名前で、客が選んだ具材を唐辛子や花椒と炒める料理と言われた。薬にもなる八角や茴香を使い、体にも良く美容効果も期待できる、などと聞けば注文しない手はない。


「蓮根とネギと……うーん、きのこ?」

「いいね。肉は羊か鳥ならどっち?」

「最近羊が多いから、鳥肉が食べたいな」

「じゃあ鳥で。あとは、春雨と湯葉」


 癖の強い、右上がりの文字で書かれた品書きから具材を選ぶ。顔を寄せ合って話すうちに静芳の改まった話し方もなくなり、お互いの好き嫌いを知っていく。


「辛さも選べるよ?」


「小芳……私はそこまで強くないからね? 真ん中くらいにして、辛くできる調味料をもらおう」


 超辛、の文字を嬉しそうに指差す静芳。中辛の文字を指差し、辛さが足りなかったら調節しようと提案する芳。

 結果、中辛の鍋を注文することとなった。芳の勝利である。静芳の強い希望で、調節用の調味料は食べる前に注文されたが。


「楽しみだね」


「そうだね」


 鍋ができるまでの間、細切りにしたジャガイモの炒め物、豚の耳をつまみながら待つ。先にやって来た調味料の味見をするのを見て、芳は楽しそうに笑った。


「辛いもの好きだね。もしかして、小さい時から?」


「辛い方が美味しいと気がついたのは最近なんだ。その……家ではそこまで辛い料理は出なかったから」


 母は二人ともめったに料理をせず、使用人が作ってくれる食事が主だった静芳は外食の機会がなかった。食卓に並ぶのは醤油味のさっぱりした料理で、焼くよりも蒸し、揚げるよりは煮ていた。


「大きな塊を両手で持って、口の回りを汚しながら食べたお肉、辛くて美味しかったなぁ」


 初めて一人で食べた食事は、香辛料をまぶして炭火で焼いた牛の肉であった。皿に乗った塊肉、緊張した面持ちで挑んだ静芳は瞬時に敗北を喫した。

 痺れる辛さが口に広がり、香りが鼻を突き抜ける。噛むと滲み出す脂、繊維が千切れていく心地好い食感、微かにする鉄の味。


 生きている。それまで感じなかった、生々しいまでの生きているという実感。他の生き物を糧にして、生かされているのが分かった。


「あれを食べなかったら、泣きながら家に帰っていたかもしれない」


「その肉には感謝しないといけないな。小芳に旅を続けさせてくれて、ありがとう。おかげで私たちは出会えたよ」


 お茶で乾杯をして、同時に声を上げて笑う。肉のおかげで会えた、なんとも妙な言い回しであるが、事実に変わりはない。






「お待たせしました!」


 二人が手を合わせ肉に感謝をしていると、店員の声と共に大きな鍋が机の真ん中に置かれた。目にも鮮やかなセロリの葉を天辺に乗せ、待ちに待った鍋の登場だ。




読んでくださってありがとうございます。

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