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夢幻泡影  作者: 景
3/11

3:芳と宇航の出会い

静芳ジンファン男装して家出中。

ファン悠々自適な次男坊。

宇航ユーハン家督争いに巻き込まれた苦労人。

 宇航は三つ目の街を出た。朝早くから多くの人が行き交う街道を、次の街を目指して歩く。三つの街では有益な情報を得られず、足取りは重かった。

 早く次の街へ行きたい気持ちが半分、次の街でも情報を得られなかったらと不安が半分。しかし希望は失くせない。今日は歩けるだけ歩き、明日中にはたどり着こうと無心に足を動かすことに専念した。


 その日の夜、食事を求めて行った夜市で気になる話を聞いた。隣の席で熱々の揚げパンを食べていた若者が背の高い美人に会ったと話を始めたのだ。羊肉の串焼きを食べるのを止め、聞き耳を立てる。


「細くて、それはもう綺麗な顔をしているんだよ。品のある美人っていいねぇ」


「へぇ、見てみたいもんだな」


 小柄で華奢な女を好む時代だとて、美しいものは美しいのだ。会った街の名前は幸運にも宇航が目指す街のもので、やっとツキが回って来たかと嬉しくなった。

 串焼きの残りを腹に納め、気分が良くなり帰り道で小麦粉の皮で肉を包み、両面を焼いたものを買って宿へ戻る。


 明日は早く起きて街を目指そう。遂に掴んだ情報を無駄にする訳にはいかないのだ。彼は言った、美人は「芳」と呼ばれていた、と。

 行方不明の胡家の長女は名前を静芳という。恐らく身分を隠すために芳とだけ名乗っている、そうに違いない。


「やっとだ、やっと……」


 夜が来る度に宇航を苦しめていた不安は薄れ、焦りは鎮まった。今日はゆっくり眠れそうだ。膨れた腹を擦り、睡魔に身を委ね心地好い眠りに落ちていく。



 朝が来るまでぐっすりと眠り、日ノ出と共に目を覚ます。気分は爽快、胸は期待に膨らんでいる。いても立ってもいられず、早朝営業の店で揚げパンを買って街道へ出た。


 足取りは軽く、揚げパンは信じられないくらい美味しかった。昨日の朝に食べていたら、味わう余裕はなかっただろう。

 知らず知らず、自分で自分を追いつめていた。心をすり減らし、肉体を痛めつけていたと振り返って自覚する。


 焦っては駄目だ、落ち着いて行動しなければ。胡 静芳を見つけ、妻になってくれるよう説得しなくてはいけない。

 余裕のない男だと、器が小さい男だと思われないために、冷静さを欠いてはならないと気を引き締めた。





 宇航が街を目指している頃、芳は家族に昨日の出来事を話していた。同じ名前の女の子に会ったこと、大芳と小芳と呼び合うと決めたこと。良い出会いだと微笑み、両親は縁を大切にしなさいと笑った。せっかくの渾名だからと兄弟たちも大芳と呼ぼうかと言い始め、小芳に会ってみたいと興味津々だ。

 そのうちね、と応えた芳は家族に恵まれた自分を誇らしく思った。上手くいかない家もある、放蕩息子と言う親もいるだろうに、なんと温かい我が家だろうか。


 久しぶりに絵を描こうと思いつく。自慢ではないが絵は高値で売れるのだ。売ったお金で家族に贈り物をしようと決め、芳は筆を取り机に向かった。

 山や河などの風景画が多い中、風景に溶け込む人物画は珍しいと評価を得ていた。独特の感性と評判になったこともある。

 なにを描こうかと思考を巡らせた芳は思いついた、桃の木の下で茶会をする、仲睦まじい家族の絵を。


「いいね、そうしよう」


 桃の木は大きい方がいい。たわわに実る甘そうな桃は今にも落ちそうに熟れていて、辺りは優しい香りに満ちている。

 茶菓子は胡桃餡の月餅、弟の好きな桃饅頭、父の大好物である胡麻団子は山のように盛られているはずだ。

 母と兄が好む花茶を淹れ、私は干した山査子を口にする。笑い声の絶えない茶会が永遠に続けばいいと思いながら。


 無心に筆を走らせていたが、突然腹の虫が鳴き声を上げた。朝食後から描き始め、一度も休憩せずに昼になってしまったようだ。

 座りっぱなしで首から腰にかけての筋肉が疲労を訴えている、腹の虫と同様に筋肉も労る頃合いである。


 芳は固まった体をゆっくり動かして立ち上がる。体をほぐし、腹を満たすために出かけよう。描きかけの絵と筆を片付け、晴天の下へと足を運んだ。



 降り注ぐ太陽の光を浴び、食べ物の匂いと行き交う人で溢れた大通りを歩く。辛く味付けした肉を店先で焼いている店、巨大な蒸し器から湯気が噴き出している店からは小麦粉の甘い香りが漂う。

 青菜の炒めものとスープ、あとは適当に目についたものを食べようと考えていた芳だったが、顔見知りの店主に手招きされ昼食は決定した。


 甘辛く煮た豚肉を小麦粉の皮で包んだもの、店の看板商品を注文して椅子に座る。注文の品とサービスのスープを運んで来た人物を見て、芳は手を伸ばして受け取った。店主の愛娘が覚束ない足取りで運んで来たからだ。


「どうぞ」


「ありがとう」


 満面の笑みで提供される食事の、なんと嬉しいことか。一生懸命さに心からのお礼を言い、小さな頭を撫でた。


 五歳になる娘、琳はすこし迷い、自分の髪飾りの片方を取って机に置く。梅の花だろうか、光沢のある紐を結んで作った髪飾りを指差し、どうぞと言った。

 歪んだ結び目を見る限り、手作りだろう。作ったの? と問えば小さな頭が勢い良く上下に動いた。


「上手にできているね」


 にっこり笑って髪飾りを付け、また頭を撫でてやる。お返しに、と持っていた干し無花果を渡して店主にも笑いかけた。

 ホッとした様子の店主の元へ駆け寄った杏は顔を真っ赤にして喜んでいる、微笑ましい光景に店中に笑みが広がる。


 淡い桃色の髪飾り。これが後に芳の身に降りかかる厄災の種になろうとは、誰も思わなかった。

 家族の温かさという調味料が加わった幸せな食事を終え、旨い茶でも飲もうと席を立った芳、その背後に迫る厄災、その正体とは……。






 話を聞けそうな人を探そうと、宇航は人の多い場所を目指し歩いていた。たどり着いた街は想像以上に大きく、闇雲に探しては時間を無駄にすると思ったからだ。

 街の外から来た人間にも気さくに話してくれそうな人、噂話が好きそうな人、情報が聞き出せそうなら誰でも良かった。


 辺りを見渡し、食事のできる店にしようと的を絞る。食事中は気が緩むのか、口が軽くなる人が多い。聞き耳を立てるにしろ、話しかけて聞き出すにしろ、都合がいいのだ。


 敷居が高い店は静かだから避けたい、手頃な値段で腹が膨らむ店、旅人も地元民も入りやすい店なら文句はない。

 自分の腹具合とも相談した宇航は肉の匂いに釣られ、とある店の扉を潜った。醤油と砂糖で煮た豚肉、店の奥からは焼いた鳥肉の脂の匂い。



「あれと……あれも頼む」


 他の客が食べている物を指差して注文する、然り気無く観察するのも忘れずに。店主は愛想のいい夫婦、右の机には旅装束の若い男が三人、斜め前の机には一人で食事をする女がいた。


 ゆったりとした服装からして旅の者ではなく、所作の美しさは中流階級以上の家柄と推測できる。すっと伸ばした背は高く、花を模した髪飾りがなければ男だと思ったかもしれない。

 れんげを持つ指は細く、長い髪は毛先まで艶やかだ。装飾品は髪飾りの他に簪が一本だけ、それが返って素の良さを際立たせている。


「条件には当てはまりそうだが、しかし……」


「どうぞ」


 幼い声がして宇航は我に返った。視線を下げれば料理を机に置こうとする小さな少女、琳がいた。


「ありがとう。あれ、これは」


 お団子頭に付いた髪飾り、斜め前の机を見て同じものだと確認する。好機到来、と目を輝かせた宇航は口を開く。


「あの人と同じだね。仲がいいのかな? 名前を知っている?」


 逸る気持ちを抑え、優しい声を作って問いかける。琳は一つ一つに大きく頷き、最後の質問には声で答えた。



「おなまえね、ふぉん、っていうの」



 見つけた、胡 静芳だ。


 注文の品を全て机に置いた琳が芳の元へ行き、気づいた芳が笑いかける。一瞬見えた横顔は中性的で、噂に聞く通りの美人だ。

 身元を特定されないように変装するか、偽名を使って行方を晦ましているであろう予想は的中した。名前を一文字消し、芳とだけ名乗っている。性別を誤魔化すために男物の衣服を着用しているのを見ると、家出は計画的だったと言えよう。


 なにが彼女をそうさせたのか、家出の真相を聞きたいと思った。この世は幸せな家庭ばかりではない、それを良く分かっている宇航だからこそ、敢えて茨道を選んだ静芳を他人とは思えなくなっていた。


 宇航はそっと立ち上がって芳の元へ向かう。警戒されては元も子もない、先ずは話すきっかけを作るのだ。

 この街に詳しいか聞いてみよう。旅の途中で詳しくないと言われれば、旅人同士の情報交換を申し出る。詳しいと言うなら、来たばかりだから案内してくれないかと頼む。



「突然すまない。一人で食事をするのが慣れなくて、もし宜しければ……少し、時間をいただけないだろうか? この街に詳しければ、いろいろ教えていただけるとありがたい」



読んでくださってありがとうございます。

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