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夢幻泡影  作者: 景
10/11

10:其々の胸中-宇航-

静芳(ジンファン)男装して家出中。

(ファン)悠々自適な次男坊。

宇航(ユーハン)家督争いに巻き込まれた苦労人。

 足早に去っていく二つの背中を呼び止める理由も考えられず、行き場を失った手を見下ろして深く溜め息を吐く。


 あれは誰なのだろうか。宇航は混乱する頭を抱え、情報をかき集めて整理しなくてはならなかった。


 探している胡 静芳と思わしき人物がいた。彼女は名を偽り、芳と名乗った。服装も男物を着用して、判断を難しくさせている。

 不信に思われないよう近づき、先に自分のことを話し、次に探していた理由を話したいと考えていた。


 焦っていたのは認める。強引だったのも確かだ、そこは反省しなくては。しかし、しかしだ、この状況はなんだ?


 背の高さ、線の細さ、手足の長さ、中性的で整った顔立ち。並ぶと姉妹にも、兄弟にも見えた二人。大芳、小芳と呼び合っているのは、どちらも芳という名前だということか。


 友人と言うからには、血縁関係はないのだろう。言葉は自然で、隠し事をしている雰囲気ではなかった。急いでいる、が取って付けたような言葉であったため、友人の信憑性は高いと思える。


 友人なら、厄介なことになるかもしれない。どちらかが静芳だった場合、探されていると分かれば逃げたくなるはずだ。拐われ、不当な扱いを受けていないのなら。

 自分の意思で家を出た、それが最近聞いた噂だった。友人のいる街に身を寄せているのは十分に考えられる。

 危険を感じて逃げるにしろ、宇航がいなくなるまで隠れるにしろ、友人の助けがあれば可能だ。


 このまま、二度と会えないのではないか。そう考え、宇航は目の前が暗く塗り潰されていく気がした。やっと見つけたかもしれないのに。拓けたはずの路は、永久に閉ざされてしまう寸前に思えてならない。


 なにかを見つけなくては、あの二人に繋がるなにかを。静芳が街を去らないうちに、早く、早く。


「そうは言っても手懸かりが……いや、待てよ。そうか、あそこに行けば!」


 記憶をたどり、見つけた藁にすがりつく。焦って仕損じてはならない、慎重に藁を手繰り寄せて路を抉じ開ける。ここで諦められるなら、家を出ることもなかっただろう。絶体に諦められない理由が、宇航にもあった。



 手懸かりを見つけ、足取りは少し軽くなる。目的地までは遠くない、急いで行こうと人波を掻き分け足を動かした。

 歩く度に耳飾りが揺れ、そっと触れて生前の母を思い出す。一番に浮かぶのは、独りで生きていく覚悟と力を身につけてね、と寂しく笑う顔だった。


 母がいなくなり、兄が家を継げば居場所はなくなる。正妻に睨まれ、兄たちに邪魔者扱いをされる毎日の中、宇航は幼い頃から将来の不安を感じていた。


 宇航以上に不安を感じていたのは母親だ。息子に読み書きを教えてほしいと頼み、元雇主を訪ねて数が数えられるようにしてもらった。


 更に、出掛ける時は必ず宇航を連れて行き、自慢の息子です、なにかあったら宜しくお願いしますと言って回る。元妓女の巧みな話術、愛想の良さで根回しをしていたのだと、宇航は後になって知った。

 母の訃報を聞き、惜しむ声と同数の宇航を心配する声がかけられたのだ。困った時は助けてください、憔悴した声で言えば皆が頷いてくれる。嬉しさと共に、母の偉大さが身に染みた。


 正妻と息子たちにとって目の敵になってしまったのは母の性格と見目の良さもあった。しかし一番の要因は、そんな母を大切に慈しんだ父親の存在である。

 身籠ったと聞いてすぐに身請けをした、生まれた息子に分け隔てなく接した、勉学も作法も同じように教えた、その全てが気に食わなかったのだ。

 政略結婚だったという正妻は夫の前では良き妻を、良き母を演じた。最初のうちは、本当に良き妻であり良き母になろうと努めていたかもしれない。


「でも変わってしまった」


 サボり癖のある兄たちと勤勉な宇航を比べ、父は宇航ばかりを可愛がるようになった。母の協力もあり、じわりじわりと這い依る背水の陣に怯えた結果でもあったものの、誉められれば嬉しく、宇航は嬉々として机に齧りついた。


 それが深い溝を更に深くしてしまい、気がつけば修復不可能な関係になってしまった。常に緊張感の漂う家で過ごすうち、母が体調を崩した。長年の無理が祟ったのだろうと医者に言われ、母は項垂れるしかなかった。


 病状は悪化の一途をたどり、母子は不安と孤独に苛まれた。不憫に思った父は今まで以上に宇航を気にかけ、比例して本妻とその息子たちの不満は増していく。

 言葉の刺に突き刺され、態度という鞭で打たれるのを唇を噛んで耐える。考えるのを止めたくて宇航は勉強に没頭した。



「ごめんね」


 という母に、


「ありがとう」


 としか言えず、伝えたかった言葉は涙と共に飲み込んだ。握った細い手が少しずつ体温を失くしていくのを、今もまだ覚えている。


「諦めるわけにはいかないんだ」


 あの家から、父から、母の痕跡を消さないために。宇航にとって、安心して帰ることのできる場所を作るためにも。


 しっかりと地面を踏み締め、背筋を伸ばして歩く。俯いているのは止めたのだ、家を出た日から。僅かな可能性に賭けると決めた、始めから上手くいくなんて無理な話だ。



 目的地が見えた。砂糖と醤油で煮た肉の匂い、大きな蒸し器から立ち上る甘い湯気、賑わっているのが遠目にも分かった。


 宇航の見つけた手がかり。それは、この街に来た日に立ち寄った店だった。初めて静芳に会った時、食べ物を運んでくれた少女は彼女と親しそうだったではないか。

 ということは、少女は静芳について知っているのだろう。いつからこの街にいるのか、彼女の言う【家族】とは誰を指すのか、何らかの情報は得られるに違いない。


 拠点にしている場所、家族と呼んでいる人が分かれば、接触を試みる方法も見えてくる。先ずは、会って話をする機会を作らなければ道は開けない。

 静芳の警戒心を解くこと、信用してもらうこと。情報と、あわよくば協力をしてくれる人物を求め、店内に足を踏み入れた。



「いらっしゃい」


 店主の出迎えに会釈で返し、ぐるりと店内を見渡す。ほとんどの机に皿が並び、前回より多い店員たちが忙しなく往き来している。

 その中に少女の姿はなく、酒の入った笑い声が飛び交う時間のせいかと宇航は落胆した。あの少女なら聞きやすいと思っていたが、宛が外れてしまった。


「兄ちゃん、一人か?」

「飯ってのは大勢で食うもんだ。こっち来て一緒に食え!」


 捨てる神がいるんだから、拾う神だって当然いる。喜んで拾われた宇航は席を立ち、隣の机に移動した。


「ありがたい。気楽なのはいいけれど、一人で食うのは味気なくて……実は、この街に来て日が浅いんですよ。いろいろ教えてください」


 宇航のために追加された料理を食べ、空いた杯に酒を注いで回れば一気に距離は縮まる。酒の力で口も軽くなり始め、ぽろりぽろりと聞きたかったことが溢れ落ちた。


「芳と言えば……ああ、宋家の息子か?」

「細くて綺麗な顔をしてるなら、そうかもなぁ」


 宋という家の息子が芳という名前で、細身で美形らしい。悪く言う人は滅多にいないほど、性格も良いと皆が口を揃えた。



「そういえば最近は二人でいるのを良く見かけるが、あれは誰だか知ってるか?」



 箸を止め、宇航は息を殺して次の言葉を待つ。やっと、核心に触れられる。芳と一緒にいる人物こそが、胡 静芳だ。




読んでくださってありがとうございます!いいね下さった方、ありがとうございました!

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