第8話 急遽、臨時仲居になりまして
「いってらっしゃい。がんばれよ」
とゆらゆら手を振る童孟に見送られ、廊下の先を行く清史郎に琴音はついていく。
廊下に面した障子ごしに、にぎやかな声が聞こえてくる。この障子の向こうには琴音が案内された部屋同様にいくつかの個室があるようだった。
そして最初に入ってきた玄関を通り過ぎ、さらにその奥へ続く廊下を進んでいくと今度は天井の高い広間に出た。
そこには四人掛けのテーブル席が両側に五組ずつあり、その奥に長い木製のカウンターが備え付けられている。カウンターの前にも椅子がいくつか並んでいて、どの席もほとんど客で埋まっていた。
清史郎がホールに入ると、酒を酌み交わしながら料理に箸を進めていた客たちが次々と声をかけてくる。
「やあ、おイネさん倒れたんだって? どうだい様子は」
「あの子、頑張り屋だからねぇ。何もないといいけど」
そんな客たちの言葉に清史郎が、
「童孟先生が来てくれたから、もう大丈夫だと思う」
と答えると、ホールの中はドッと安堵の空気で満たされる。
「童孟先生が大丈夫っていうんなら、大丈夫だ」
「ああ。あの人は性格はアレだけど、腕は確かだからな」
一方、琴音はホールの入り口で足を止めたまま立ちすくんでいた。
中に入れずにいたのは、そこから見える客たちの様子がどれもこれも普通の人間とは思えない姿ばかりだったからだ。
顔の真ん中に巨大な一つ目があるものや、イネ同様に獣のような耳やしっぽのあるもの、羽をはやしたものや、そもそも人の形をしていないものまで……。
客たちのほうも、清史郎のあとについてやってきて入り口で立ち尽くしている琴音に気づき、ざわつきはじめていた。
「おい。あれ、人間じゃないのか……?」
「ほんとだ。人間のにおいだ」
「でも、仲居の着物を着ているぞ?」
そんな声が聞こえてくる。客たちの異形の目が一斉に琴音へと注がれていた。
いままで彼ら異形の姿を見てもあまり恐怖は感じなかったけれど、これだけたくさんの異形のものたちに見つめられると急にぞわぞわとした怖さが這い登ってくる。
もうこれが夢なのかどうなのか判然としないけれど、もし夢ならば早く覚めてほしい。そう願いながら、お腹の前でぎゅっと両手を握る。
今すぐここから逃げ出したかった。けれど、清史郎を手伝うと言った手前それもできないでいると、清史郎がホールの中ほどで足を止めて凛としたよく通る声で客たちに話しかけた。
「おイネさんの代わりに手伝ってくれることになった、琴音さんだ。本当はこの料亭にやってきたお客さんなのに、見かねて助けてくれることになった」
清史郎の言葉に、ざわついていたホールはシーンと水を打ったように静かになる。
集まる視線。琴音は、あわあわとお辞儀をする。
「こ、琴音です。ふ、ふつつかものですがよろしくお願いしますっ!」
恐怖と緊張のあまり頭が真っ白になってしまって、場違いなことを口走ったような気がする。でも、その一言で、場の空気がバッといっきに沸いた。あちらこちらでおこる笑い声。
おそるおそる顔をあげると、方々から琴音に声がかけられる。
「そっか、おイネさんの代わりか!」
「よろしくな、琴音さん」
「無理するんじゃないよ」
そのどれもが、琴音を歓迎する声だった。
さざなみのように拍手がおこり、さっきまで得体のしれないものを見るようだった異形の目たちが、いまはどことなくあたたかみを帯びているように感じる。
彼らに受け入れてもらえたような、そんな心地になった。
清史郎に手招きされたので琴音はもう一度客たちに軽く頭をさげると、彼のもとへ小走りで行く。着物だと足が広がらず、こういうとき自然とすり足のようになってしまうんだなと初めて知った。
「さあ、俺は作りかけだった料理をどんどん仕上げるから、琴音さんはそれを運んでくれるかな」
「はいっ」