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第6話 奇妙なお医者さん

「おイネさんっ」


 部屋に飛び込んできた調理人姿の青年。年の頃は今年二十七になった琴音と同じくらいに見えた。すらっとした長身に、きりっと整った顔立ち。それになにより、少し低めのよく通る声が印象的だった。


 しかし彼が頭にのせていた和帽子を取った瞬間、琴音は彼の頭に視線がくぎ付けになる。

 その黒く艶やかな髪の間からは、ひょこっと二本の角が出ていたのだ。


「え、それ……」


 確かにここの料亭に来てからというもの、出会ったのは獣の耳があったり首が長かったりと変わった外見をしたモノたちばかりだった。

 だから彼を見た瞬間、初めて普通の人がいたと内心少しほっとしていたのだが、それもつかの間、やっぱり彼もまた普通の人間とは違うのだと思い知る。


 ついその角に見とれているうちに、彼はイネの前まで駆け寄ってくると、彼女の前に膝をついて心配そうに手を取った。


「いま、ご主人と医者を呼びにいかせた。とりあえず、布団出すからそこに横になっててくれ」


 彼は傍目からもわかるほど、申し訳なさそうに眉を下げる。

 しかし、イネはまだ苦しそうに息を荒くさせながらも、ゆるゆると首を横に振った。


「清さん。まだ、店もこれからやのにこんなことになって、すんません。いつもならこれくらいなんともないんやけど、今度の赤ん坊はいつも以上に元気みたいで……いたたたたた」


「おイネさん。とにかく俺、布団もってくるから!」


 そして彼はイネのそばについていた琴音へと目を向けた。


「お客さんにも、申し訳ない。食事まだ終わってないのに」


「へ? 私?」


 琴音はぶんぶんと首を横に振った。明らかに緊急事態のいま、お客も店の人もないだろう。


「私のことはいいですから、早くお布団を!」


「いま、とってくる!」


 彼はすぐにその場から立ち去ると、少しして腕の上に布団一式を軽々と抱えて戻ってきた。それを琴音と手分けして空いている場所に敷くと、イネをそっと布団の上に寝かせる。


 帯をしたままだと窮屈そうに思えたので、男性がいる手前少し迷ったけれどイネの帯もゆるめてあげた。


 イネは横になったおかげで身体が楽になったのか、しだいに呼吸が和らいできたように見える。

 そのことに、ようやく琴音もホッと胸をなでおろした。


「ここ、昔は旅館も兼ねてたから。客用の布団があってよかった」


 彼も強張らせていた表情を緩める。そういえば、イネは彼のことを「清さん」と呼んでいた。たしかこの料亭の店主も同じ呼ばれ方をしていたように思う。ということは、この人がこの料亭の店主なのだろうか。まだ若いのにすごいなぁ……そんなことを彼の横顔を見ながら思っていると、彼も視線に気づいたのか琴音に目を向ける。


「あ、自己紹介がまだだった。俺、この祇園おおえ山の店主兼料理人をしてます、清史郎(せいしろう)っていいます」


「ああ、それで清さんて呼ばれてたんですね」


「はい、店の人や常連さんからは、よくそう呼ばれてます。えっと、あなたは……」


園田(そのだ) 琴音(ことね)です。その、予約もしてなかったのに、お料理出してもらってありがとうございました。どれもとても美味しかったです!」


 一見さんで、そのうえずぶぬれ姿で飛び込んできたにもかかわらず、服まで貸してもらい、美味しいものを食べさせてもらった。おかげで、どん底まで落ちていた琴音の心はほかほかとすっかり温められていた。そのことを感謝したくて頭を下げたのだけれど、顔を上げると彼はどこか恥ずかしそうに琴音から目をそらした。


「い、いえ。喜んでもらえて良かった……。その……あなたは、人間ですよね?」


「へ?」


 そういえば、イネにも初対面で同じことを言われたっけ。それってどういう意味ですか? と聞き返そうと口を開いたところで、玄関のほうからバタバタと複数の足音が聞こえてきた。それとともに「イネー!」と呼ぶ野太い男性の声も聞こえる。


「やっと来たな」


 清史郎はすぐに声の主を玄関へと迎えに行く。琴音はイネの様子が心配だったので廊下に出たところで待っていると、清史郎がすぐに部屋へと戻ってきた。その彼に先導されて、後ろから二つの人影がやってくる。


 一人は、紺色の作務衣を着た屈強な男性だった。ただ、その作務衣からのびた太い両腕も頭も足も全身が灰色の毛におおわれていて、顔はまるで犬そのもの。前に伸びた口には大きな犬歯がのぞき、頭には大きな耳、尻にはくるりと巻いたふさふさな尻尾もある。


「イネ!」


 彼は部屋に入ってくるなり、布団に寝ているイネのところへ駆け寄って心配そうに声をかけた。イネは彼の声を聴くとうっすら目をあけ、小さく微笑む。


「ああ、あんた。悪いね、なんか急にお腹が痛くなっちまって。今度の子たちはいっとう元気みたいやねん」


 二人のやり取りを聞くに、どうやらこの二足歩行する大きな灰色の犬のような人物がイネの旦那のようだった。

 旦那はイネの手をとるものの、おろおろとひどく動揺している。


 そこに、ゆったりともう一人の人物が部屋へと入ってきた。彼は……いや、女性なのか男性なのか見た目ではよくわからない美しく中性的な容姿をしたその人は、水色の地に鮮やかな藤の花を描いた着物をゆったりと着て、金色の長い髪をゆるりと肩の前で結んでいた。手には大きな皮カバンをもっている。


 その人は部屋に入ってすぐにクンと鼻を鳴らすと、つっと流れるような仕草で部屋の入口に立っていた琴音に目をやった。そして、切れ長な金色の目を細めてフフと笑う。


「おや。人間とはまた珍しい。とって食われないようにお気をつけよ」


 と、優雅な仕草で垂れた髪を耳にかけた。その声も男性にしては高く、女性にしては低い声で琴音はますます混乱してしまう。でも女性にしてはやや大きな肩幅とすらりと高い背丈をしているので、やっぱり男性なのかもしれない。

 戸惑う琴音をそのままに、その人はするりと滑らかな足運びでイネの布団のそばへ寄った。


「ほれ。狛犬の旦那、アンタもどいておくれ。いま、私が診てみるからよ」


童孟(どうも)先生、よろしくお願いします」


 イネの旦那はそう言って深くお辞儀をすると、すぐにその場を明け渡す。

 旦那の様子からして、どうやらその金目金髪の性別不詳美人がお医者様らしい。

 童孟は脇にカバンを置いてイネの横に膝立ちになると、彼女の手を取って脈を診た。そして身体のあちこちにやさしい手つきで触れると、彼女を安心させるようにしっかりと手を握って微笑んだ。


「うん。お腹の子が少しばかり元気すぎるようだね。養生していれば問題ないよ。いま、薬湯をつくるから待ってておくれね」


 その言葉に、イネの目が潤んでみるみる涙が溜まる。きっとすごく不安だったのだろう。琴音もはらはらしながら事の成り行きを見守っていたけれど、イネの不安や心配はそれとは比べ物にならないほど大きかったはず。


「良かった……」


 イネが安心した様子でうなずくと、はらりと涙が布団に零れ落ちた。

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