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第59話 孔孟の施術

 清史郎は琴音の手を引いて自分の背に隠す。


 しかし、戸の中から出てきた男は二人のことを一瞥しただけで、すぐに家の前に止めてあった車へと視線を移す。そしてスタスタと車のほうへ歩いていくと後ろの窓に(ひたい)をくっつけて車中を覗いた。


童孟(どうも)はここにいるんだろう? あーあ、こりゃこっぴどくやられたもんだな。包帯が真っ赤じゃねぇか」


 その彼の背中に、琴音は確認のため声をかけた。


「あ、あの……孔孟(こうも)さん、ですよね」


「いかにも、俺は孔孟だ」


 孔孟は車窓から額を離して袖の中で腕組をし、琴音を悠然と見下ろす。


「……童孟先生を助けてくれるんですか……?」


 その問いには、孔孟は小さく嘆息する。


「……ついさっきまで他の医者を紹介してそっちに行ってもらおうと本気で思ってた。……だけど、俺はこいつほど優秀な外科医をほかに知らない。ったく、あれだけの腕がありながらあっさり外科医を辞めちまってよ。俺が医者を辞めれば、こいつはまた外科医に戻ってくれると俺はそう信じてたんだ。」


 再び車内の童孟を覗くその目が、懐かしそうに細くなる。


「……でも、童孟はそんなこと望んじゃいないって……あんたに言われてようやく飲み込めたよ。そんなら……俺がその幽世一の外科医とやらになってやるしかねぇだろ」


 ようやく童孟を助ける気になってくれた孔孟に、琴音は嬉しさをにじませてぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございますっ」


「礼なら、施術が成功してからにしてくれ。さぁ、こいつをうちに運ぶんだ。こんな狭い場所じゃやりにくいからな」


「いま、後ろのドアを開ける」


 清史郎が運転席から操作をすると、バックドアが上がった。

 そこから清史郎と孔孟の二人で担架に乗せた童孟を家へと運び込んだ。


 孔孟の家は入ってすぐに土間があり、その左手に和室が一つあるだけ。

 和室の方へと担架ごとあげる。孔孟に言われて、琴音は部屋の隅に畳まれていた布団を真ん中に敷いた。


 童孟を担架から布団へおろす際、童孟の身体に巻き付いていた一反木綿がしゅるしゅると離れる。童孟の傷ついた身体が露になった。


「……大丈夫、なんでしょうか……」


 改めてよく見ると、童孟の身体はあちこちに裂傷や切り傷が無数にできていた。小さな傷もあるが、かなり深い傷もいたるところに見られる。


「まぁ、しっかり止血してあったのが幸いしたな。それに俺も、あやかしになってからもずっと鍛錬は欠かさなかったんだ」


「鍛錬……ですか?」


「そう。自分の身体切って、また自分で縫う、みたいな?」


「……え」


 目を丸くする琴音に、孔孟はワハハと豪快に笑った。


「妖力で生み出した針と糸で縫うから痛みはねぇよ。そんなわけで、腕は心配すんな、(なま)っちゃいない。むしろ、腕は昔よりも上がってる。さて、早速施術に入るとするか。悪いがあんたたちには、湯を沸かしておいてもらえないか。薪は外、井戸は三軒隣の向かいにある共同井戸だ」


「は、はいっ」


「じゃあ、俺、水くんでくる」


 井戸へと向かった清史郎を見送り、琴音は土間にあるカマドのところで鍋の準備をはじめる。


 薪を取りに行こうと戸口へ向かったときに、ふと和室のほうを覗くと、室内に何本もの糸付き針がふわふわと浮かんでいるのが見えた。それらが、一斉に童孟の身体を縫い始める。まるで童孟の周りに見えない人が何人もいてちくちくと身体の傷を縫い合わせているようだった。


 孔孟の施術が終わると、沸かした湯で彼の身体を清め、孔孟から借りた着物に着替えさせた。琴音は上半身しか見なかったが、どこに傷があったのかもまったくわからないほどに綺麗に縫い合わされていた。


「怪我はこれでひと段落だが、相当な量の血を失っているからしばらく薬湯を飲ませて様子を見たい」


 と孔孟が言うので、琴音と清史郎は童孟を彼に預けて「おおえ山」へと戻ることにする。いまだ童孟は意識を取り戻してはいなかったが、目が覚めたらきっと驚くに違いない。


「おおえ山」へ戻ってみると、カウンターの椅子に時子がちょこんと一人で腰かけてオレンジジュースを飲んでいた。


「ただいま。時子ちゃん。豆福さんたちはどこにいるのかな?」


 彼らの姿が見えないことを不思議に思って尋ねる琴音に、時子はジュースのグラスをカウンターへ置いて、「あっちだよ」と厨房の出入り口を指さて教えてくれる。


 厨房へ行ってみると、作業台にたくさんの弁当容器が並べられていた。

 いままさに、裏葵祭用の弁当作りの真っ最中。

 酒呑童子の指示のもと、豆福と善治も忙しそうに調理や盛り付けに勤しんでいた。


 ちなみに酒呑童子は、いまはジャケットを脱いでワイシャツの袖は腕まくりし、さらにそこにカフェなどでよく見る深緑色のエプロンをつけている。ナイスミドルな渋い外見と相まってとてもよく似合っているが、料亭で働く人っぽくはない。


「酒呑童子さん……シアトル系カフェにいそう」


「親父は新しいものが好きだからな……でも、あの格好は初めて見た」


 つい入り口で足を止めてそんな感想を述べる琴音と清史郎。二人を見つけた善治が、こちらに大きく手を振ってくる。


「ああ! やっと戻ってきた! ほんま大忙しやねん! 早く手伝ってや!」


 すでに、裏葵祭の開始時刻まで五時間を切っていた。それから琴音と清史郎も厨房に入り、なんとか数百食を作り終えたときには窓の外はすっかり(とばり)が落ちていた。



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