第56話 瀕死の童孟
「あ、あの。もう離れても、大丈夫だから……」
躊躇いがちにかけられた清史郎の言葉に、風が収まってもまだ清史郎にしがみついたままになっていた琴音は慌てて離れる。
あははと照れ隠しで笑って返すと、彼も少し顔を赤らめつつも、微笑を返してくれた。
よかった。あんなことがあったのに清史郎もみんなも無事で本当に良かった、と胸をなでおろしたところでただ一人無事じゃなかった童孟のことを思い出した。
「そうだ! 童孟先生!」
彼は倒れたときそのままに、いまも地面にぐったりと伏せたままだ。琴音が走ってそちらへ向かおうとしたとき、頭上をぴゅんと一枚の布が飛んで行く。
その布は空中でびよんと長く伸びると、地面に伏せている童孟の身体にくるくると巻き付いた。
「一反木綿さん! そっか、止血してくれてるんですね」
一反木綿の端に表れた目がパチパチと瞬く。しかし包帯のように巻きついた一反木綿にも、すぐに赤いしみが浮かびあがってきた。
清史郎がひざを折って、童孟の鼻先に手をあてる。
「……よかった。まだ息はある。……でも、一刻も早く医者に見せないとな」
「そうですよね。でも誰に頼めばいいんでしょう……」
病人が出るたびに世話になっていた医者の童孟が倒れてしまったいま、いったい誰に助けを求めればいいのか琴音には皆目見当がつかなかった。
「幽世にもほかに医者はいないわけじゃないけど、童孟先生ほど腕がたつのはなかなか……」
清史郎の表情も険しい。
そのときわパタパタと足音が聞こえてきたので振り向くと、豆福がざしきわらしの時子を抱いてこちらに駆け寄ってくるところだった。豆服もまた、童孟の惨状を見て顔をこわばらせる。
「童孟先生……。さっきまで、あないに元気そうにしてはったのに」
豆福の目に涙を浮かぶ。
一方、豆福に抱かれていた時子は、童孟を見るなりぴょんと彼女の腕から降りた。そして、とことこと彼に近寄っていってすぐそばでしゃがみこむと、一反木綿にぐるぐる巻きにされた童孟の身体を小さな手で撫で始める。
「……時子ちゃん。何をしているの?」
時子の隣にしゃがんで尋ねる琴音に、時子は顔を上げてにっこり笑う。
「うんとね。おまじない。どうもせんせーのねがいがかないますようにって」
「童孟先生の願い……」
そう口の中で繰り返して、琴音は思い出す。
「ああああ!!! そうだ! もう一人いるじゃないですか! 腕の立つお医者さん!!!」
「え?」
きょとんとする清史郎。琴音は気がせいてパタパタと手を動かしながらあわあわと説明する。
「童孟先生、双子の弟さんがいるんですよ! 童孟先生と医者の腕を競ったくらいの腕の立つ外科医さんだって言ってました! 喧嘩別れしてずっと会ってもらえないらしいけど、毎日手紙を歩いて届けにいくくらいだからきっと近くに住んでいるはずです! 今日も童孟先生、弟さんへの手紙を懐にお持ちでした! それを見れば住所が書いて……って、ポストに投函するわけじゃないから書いてないんだった!」
さきほど童孟に見せてもらった弟へ手紙には『孔孟へ』としか書かれてなかったことを思い出して頭を抱える琴音。
孔孟の家を知っている童孟がこの状態では、道案内してもらうわけにもいかない。
と、そのとき豆福が「あ!」と声をあげる。
「アテもその話、童孟先生から聞いたことがあるどす。どこやったっけ……そうや、川の近くに生えてる大柳のそばやて言うてはりました」
幽世に行ったことのない琴音にはどこのことなのかさっぱりわからなかったが、清史郎は豆福の話を聞いて大まかな場所がわかったようだった。
「たぶんそれ、加茂川のそばだ。そこまで分かれば弟さんの家を探せるかもしれない。俺、ちょっと車出してくる! 琴音さん、豆福さん、門の所で待ってて」
そう言い残すと、清史郎は庭を走って裏口のほうへと駆けて行った。




