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第50話 風鈴の音

 痴話げんかをはじめた豆福と善治は放っておいて、琴音は自室へ戻ると仲居用の着物に着替えた。


(早くしないとお客さんが来ちゃうわね)


 支度が終わって一階に下りてくると、ちょうど玄関に一人の男性が入ってきたところだった。

 一瞬だれだかわからなかったが、彼は琴音の顔を見るやいなやにこやかな笑顔を浮かべて手に持っていた風呂敷包みを掲げる。


「琴音さん。できましたよ」


「……あ! ガラス工房の青泉さん!」


 彼は髪を短く切ったうえに白髪を黒く染めていたので、かなり雰囲気が若返っていた。肌の色つやも良いようだ。

 青泉は琴音に風呂敷包みを差し出した。


「直りましたよ、風鈴。いやぁ、前にも来たはずなのになぜかこの場所がよくわからなくて、祇園の中をぐるぐるとさまよってしまいました」


「おおえ山」の入り口は結界が貼ってあるとかで普通の人間にはみつけることができない。前回はひどく衰弱していたので見えたのだろうが、血色の良い今の彼には見つけられなかったのだろう。


「うわぁ! ありがとうございますっ! でも、連絡いただければ取りにいきましたのに。ここの入り口、ちょっとわかりにくいんですよね」


 風呂敷包みを受け取りながら、そんなことを言ってごまかす琴音。


「ええ。でも、誰かが教えてくれたんですよ。『こっちだよ』って。小さな子どもみたいな声だったな。その声のするほうに歩いていたら、今度はすぐにわかりました」


 不思議がる青泉だったが、琴音にはそれが誰の声だったのかすぐにピンときた。

 きっと時子だろう。

 琴音がこの料亭に初めて入ったときのように、彼を導いてくれたにちがいない。


 時子はあの大泣き事件以来、時折琴音たちの前に姿を現してくれるようになっていた。今もどこかで琴音たちの様子を見ているのかもしれない。


 風呂敷包みの中には、木箱が入っていた。その木箱を開けると、中から丁寧に布で包まれたガラス風鈴が出てくる。


 琴音はそれを手に取って掲げてみた。

 前に見たときはバラバラの破片になっていたため模様まではわからなかったけれど、二匹の赤い金魚と黒い出目金が楽しげに泳ぐ絵柄がとても可愛らしい。


 手を揺らすと、ちりんとなんとも涼しげな音色が響く。

 これなら時子も喜んでくれそうだ。


「うわぁ。ありがとうございますっ。こんなに素敵な風鈴だったんですね」


 すぐに代金を払おうとした琴音だったが青泉は、


「いいですよ。この前、世話になったから」


 と言って彼は受け取ってくれなかった。そのうえこの前のご飯代まで差し出してくる。

 それではこちらがもらいすぎてしまうと一度は断った琴音だったが、青泉は「どうしてももらってほしいんです」と引かなかった。


「実は、この風鈴の仕事を請け負ってからというもの、不思議なことに大口の仕事がどんどん舞い込んできたんですよ。いままでの閑古鳥が嘘みたいに、すっかり忙しくなってしまって。まるでこの風鈴のご利益(りやく)みたいだなって思うんです」


 そんな気になる言葉を残して、青泉は帰っていった。


(ご利益……かあ。ざしきわらしの風鈴だものね。幸福や富を呼び込むのかも)


 そんなことを考えながら、琴音はその風鈴を手にどこにいるのかわからない時子へ声をかける。


「時子ちゃん! 風鈴、戻ってきたよ!」


 すると、琴音の声に呼ばれて、玄関の誰もいなかった空間にスーッと時子の姿が浮かび上がった。彼女はタタタッと駆け寄ってくると風鈴に手を伸ばす。


「かあ様のフウリンだ! まえとおんなじ!」


「直ってよかったね。はい、どうぞ」


 琴音が手渡した風鈴を、時子は小さな両腕をいっぱいに広げて抱きしめた。そのあどけない顔に満面の笑みが広がる。


「風鈴、軒下につけてみる?」


 琴音の提案には、しばらく「うーん」と悩んだあと、時子は大きくうなずいた。


「うんっ。かあ様のすきだったおと! 時子もすき!」


「よし、じゃあこっちにおいで」


 早速、廊下のガラス戸を開けて、軒下に吊るしてみることにした。

 庭から初夏のさわやかな風が入ってきて、やさしく風鈴を揺らす。

 ちりんちりんと、軽やかな音色がなんとも耳に心地いい。


 時子はその縁側にちょこんとお座りすると、揺れる風鈴を嬉しそうに眺めていた。風鈴も、彼女の細い髪も、若夏の風がやわらかく揺らして通り過ぎていく。


 そのとき。

 りりーんりりーんと、黒電話が鳴る音が聞こえてきた。


「あ、電話だ。時子ちゃん。風鈴、取りはずしたいときはまた言ってね」


 琴音は時子にそう声をかけて電話を取りに行く。

 その日は、夜が明けるまで客が途切れることはなかった。新しい予約がどんどん入ってくるし、予約外のお客さんもいつも以上にやってきた。


 平日なのに、なんでこんなにお客さんくるの!? と疑問に感じながらもてんてこまいで仲居の仕事をこなす琴音だったが、青泉の話を思い出して「もしかしてあの風鈴を提げたから?」と気づいたのは明け方近くになってからのことだった。

 時子はいつまでも、そよそよと風に揺れる風鈴を楽しそうに眺めていた。



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