第5話 大変!
「こちらは、てまり寿司になります」
横長の陶器の皿の上には、一口サイズに丸く握られたてまり寿司が華やかに並んでいた。
マグロの鮮やかな赤にサーモンのオレンジと、彩りも鮮やか。薄焼き卵を巻いた軍艦には、プチプチとしたイクラがこんもりとのっている。ほかにもホタテに、エビに、鯛に、赤貝と、どれも一口サイズに可愛らしく握られていた。皿のはしにはサーモンをくるくると巻いて、薔薇のように見立てたものまで。
箸でサーモンのお寿司を一つつまむ。ぷりぷりとしたサーモンの上に、クリームチーズがのっているお寿司だ。口に入れると、脂ののったサーモンのうま味とシャリの甘酸っぱさ、それにクリームチーズのさわやかな風味が一体となって、いつまでも口の中で噛んでいたくなる美味しさだった。
でもまだ他にもたくさんのてまり寿司があるんだもの。ほかのものも味わってみなくちゃ、と琴音は目を輝かせる。
あれもこれもと夢中になって堪能しているうちに、すっかりお腹は満たされてきた。
そして最後に出されたのは、小ぶりなどら焼きみたいなお菓子だった。
食べやすいように半分に切ってあるその切れ目からは、薄緑色と黄色の二色の餡がたっぷり詰まっているのがわかる。
「こちらはてんてら焼きいうお菓子です。京都の丹波あたりで昔から食べられてたものなんです」
鮮やかな二色の餡が華やかで、何とも素朴でかわいらしい。皿に添えられている先が二股になった竹楊枝で、まずは薄緑の餡の詰まったてんてら焼きを食べてみることにした。
どら焼きのような見た目に反して、生地はしっとりもっちり。しかも甘じょっぱい。そこに、豆の甘煮をさらに上品にしたようなほっこりした甘さの餡がよく合う。ごろごろと荒くつぶした豆の触感も楽しいお菓子だ。
「うわぁ、おいしい。もうすっかりお腹いっぱいだと思っていたんですが、どんどんお腹に入っちゃいますね」
やっぱ甘いものは別腹よねなんて思いながらもぐもぐしていると、
「薄緑色のはえんどう豆の餡。黄色のはサツマイモの餡なんですよ」
新しいお茶を湯飲みに淹れながら、イネが教えてくれた。
どれどれ、今度は黄色い餡の方も食べてみようと楊枝に刺して口に入れようとしたときだった。
それまでにこにこと笑顔を絶やさず、てきぱきした機敏な動作でお世話をしてくれていたイネの身体が、突然大きくぐらりと傾いだ。
手に持っていたお盆が彼女の手から滑り、ガシャンという大きな音ともにテーブルにあたって畳の上に落ちる。
え? と驚いてイネを見ると、彼女は苦しそうに顔をしかめていた。あの獣耳もぺたんと寝てしまって、尻尾はだらりと下がっている。
そして、腰を曲げて、右手で辛そうにお腹を押さえていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
彼女の様子が急変したことに驚き、思わず琴音は立ち上がる。すぐに彼女のそばに行くと、そのほっそりとした背中を撫でた。
「す、すいません。お客さんの前で……」
苦しそうに言うイネの額にはいくつも玉の汗が浮かんでいた。漏れる息は乱れていて、どこからどうみても苦しそうだ。
「とりあえず、座ったほうがいいですよ」
このままだとふらついて倒れてしまいそうだったので、空いている椅子を足で引っぱってきて、彼女の身体を支えながらなんとか座らせた。この際、お行儀とか言ってる余裕もない。
「すいません、ほんま。まだ、臨月には遠いからと思うてたんですけど……」
臨月という言葉に、琴音は目を見張る。
「もしかして、イネさん。妊婦さんだったんですか!?」
「はい……いままでにも、二回出産して、七人の子がおります。いつもやったらこれくらいの時期ならまだ全然動いても平気やったんやけど……」
えらいこっちゃ。思ったより陣痛が早くきたのか、それとも何らかの異常がおきたのか。医者じゃない琴音にわかることではないけれど、自分の手に負えることじゃないことだけは確かだ。
イネはますます辛そうにお腹を押さえて、顔をゆがめている。
「と、とにかく、お医者さんと、それからご家族に連絡を……」
この店の人に呼んでもらえばいいんだろうか。ほかに中居さんはいないと言っていたけど、ほかにも店で働く人はいるはず。
ふと廊下に目をやると、開いた障子の影からいくつかの人影がこっそりこちらを覗いていた。
物音に驚いて他の客が様子を見に来たようだ。でも、その客たちの姿に琴音は再び目を丸くする。
(え……何、この人たち……)
人と言っていいのかすらわからない。
二本足で立つ大きな狸に、首の長さが一メートルはありそうな女性。それに、大きな羽の生えた和服姿の男の子がこちらをじっと見ていた。
その異様な様子に一瞬息をのんで固まってしまう琴音だったが、イネの「ううっ」という苦しそうなうめき声を聞いて我に返る。
そうだ。とにかくいまは助けを呼ばなきゃ。
琴音は必死に声をあげる。
「イネさんが急に苦しみだして! 誰か、救急車を! それとご家族も呼んできてくださいっ!」
思いのほか大きな声が出たが、異形のものたちはこちらを驚いた様子で見るだけで動かない。そのことに少しイラッとなって、琴音はさらに大きな声を出した。
「はやくっ!!!」
「「「は、はいっ!!!」」」
今度は動いてくれた。異形のものたちは、わたわたと廊下を走って去っていく。
これで救急車を呼んでもらえるはず。琴音はそのことに少し落ち着きを取り戻して、まだ苦しそうにお腹を抱えるイネの背中を撫でつづけた。
それからしばらく経ってから、ばたばたという足音が廊下を走ってくるのが聞こえてきた。
誰か助けに来てくれたのかな。期待を込めて顔を上げると、
「おイネさんが倒れたって!?」
慌てた様子で障子の向こうから顔を出したのは、白い作務衣に白い和帽子という調理人らしき恰好をした一人の若い青年だった。