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第49話 白い猫

 買い出しを終えて「おおえ山」に戻った琴音は、善治の姿を探した。

 さっき受け取った郵便の中身を一刻も早く教えてあげたかったからだ。


 窓から差し込む日の光は赤みを帯びはじめている。もうすぐ開店時間だ。その準備のために掃除でもしているのかなと店内を探しながら歩くと、「にゃーん」と一匹の猫が琴音の足元に寄ってきた。


 真っ白い毛並みの日本猫。モモのあたりに桜の花びらのような形の薄茶色の毛が生えている綺麗な猫だった。その猫は甘えるように琴音の足に身体を擦り付けてくる。


「あら、こんなところにいたのね。見違えるように上手になったわねー」


 琴音はその猫を優しく抱き上げると、ホールへと向かった。そこでカウンターを拭いている善治を見つける。


「あ、いた! 善治くん!」


 パタパタと琴音が駆け寄ると、善治も手を止める。


「おかえんなさい。どないしたん? そないに急いで」


「これが届いてたの」


 琴音はトートバッグから先ほどの郵便を取り出すと、中に入っていた紙の束を出して善治に渡した。

 怪訝そうにしている善治に琴音は説明する。


「これはね、法人登記の登記事項証明書っていうものなの。ここ見て」


 琴音は登記事項証明書の中ほどを指さした。抱いている猫も一緒になって覗き込んでくる。


 そこに書かれた文字をみて、善治が大きく目を見開くのがわかった。

 そこには『丸三紡績商会』の文字。その下に黒い線が引かれていて、現在使われている社名ではないことを表している。さらにその一番上の段には、別の社名が記されていた。


「こっちが今使われている社名。場所もちょっと離れたところに移転して、代表者ももう何人も変わっているけど、この会社いまもちゃんと存在してたよ」


 琴音は善治にその会社を探してほしいと頼まれたあと、国会図書館の電子データベースで明治期の会社録を調べてみたのだ。その中に『丸三紡績商会』の名をみつけ、当時の社名と住所をもとに現地の法務局に問い合わせたところ、ここまでたどりつくことができた。


「……ほんまや。ほんまに、あるんや……まだ……」


「うん。業務内容は変わってるかもしれないけど、代表者も去年変わったばかりだし、生きてる会社みたいだよ」


 登記事項証明書を持つ善治の手が傍から見てもわかるほど震えていた。

 琴音もそれ以上言葉をかけることもできず彼の反応を見守っていると、善治はその紙をぎゅっと胸に抱きしめる。


「琴音さん……オレ、自分が横領した金額を今の価値に換算してみたんや」


「え? あ、そうなんだ。いくらくらいなの?」


「……約三百万」


 おお、結構な金額をがっつり横領してたのねと琴音は目を見張る。


「いまさらすぎるんやけど。……オレ、それを全部返したいって思ってる」


 善治が横領事件を起こしたのはもう百年以上前の明治末期のことだ。

 いまはもう令和の世。

 いまさらそのお金を返してもらっても、会社の人も困るだろう。


 でも、もしかしたら何かの役に立つかもしれないし、場合によっては寄付という形で贈与することもできるかもしれない。

 それになにより、お金を返して過去を清算しないことには彼は前に進むことができないのだろう。


 琴音は彼を勇気づけたくて、ばんと掌で彼の背中をたたいた。


「いいじゃない。頑張って貯めて返そうよ。お金を会社に渡しにいくときは、私も一緒についていってあげるからさ」


 にっと笑って琴音が言うと、善治はくしゃっと泣きそうな顔で頷く。


「ほんま、ありがとう。琴音さん。オレ、何から何まで世話になりっぱなしや」


「そんなのお互い様。私も善治くんが料亭の仕事手伝ってくれて、すごく助かってるんだし。でも、どうやってお金を貯めるの?」


「それは……」


 善治が厨房のある方へ視線を向けたとき、ちょうどそこから清史郎が出てきたところだった。

 これから開店の暖簾(のれん)をかけにいくのだろう。

 その清史郎の前に出て、善治は頭を下げる。


「清史郎さん、オレをこの料亭に正式に雇ってもらえへんやろか。どんなことでもするから。お願いしますっ」


 突然そんなことを言われた清史郎は驚いて足を止めた。そして、琴音に「どういうこと?」と尋ねる視線を向けてくる。


 琴音が手短に説明すると清史郎もすぐに事情を理解してくれたようで、まだ頭を下げたままの善治に視線を戻すと、ぽんと彼の肩を叩く。


「……お前は、豆福さんと一緒に出ていくんだとばっかり思ってたけど、ここに残ってくれるんなら俺としても願ったりかなったりだ」


 その言葉に善治は弾かれたように上体を起こし、清史郎の腕をつかんだ。


「じゃ、じゃあ、雇ってくれるん?」


「ああ。これからもよろしくな」


「ほんまっ!? ありがとう、清史郎さん。オレ、大好きや!」


 感極まった善治は、とうとう清史郎に抱き着いてしまう。

 しかし、驚いた清史郎がはねのけるよりもはやく、琴音が抱いていた猫が善治に飛びかかると、その前脚の爪でシャーっと彼の頬をひっかいた。


「いたっ……!」


 猫がくるんと軽やかに空中で一回転した瞬間、パッと鮮やかな着物が現れる。床にすとんと着地したときには、猫は舞子姿の豆福に変わっていた。あの猫は、豆福が猫に変化した姿だったのだ。阿空に教えてもらった変化の術。もうすっかりコツを覚えて化けるのが上手になっていた。


「善治はんは軽々しく他人に接しすぎなんどす」


 豆福は、ぷいっとそっぽを向く。


「えええー……。いまのは同姓相手やん」


「それでもあきまへんもんは、あきまへん。ましてやアテの目の前なんてもっとあきまへん」


 痴話げんかを始めた二人に、琴音と清史郎は「うん、いまのは善治が悪い」と頷きあうのだった。

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