第43話 捨ててはいけなかったもの
小麦粉のおかげで輪郭がはっきりと見えるようになった小さな女の子。
琴音が声から見立てたとおり、まだ三才かそこらの年頃に見える。
琴音が乾いたタオルをもってきて小麦粉を落としてあげると、肩まであるまっすぐな黒髪と赤い着物が現われた。
「粉だらけにしちゃってごめんね。ずっと泣いてたのは、あなただったのかな」
粉を落としながら尋ねる琴音に、その子はこくんと小さくうなずく。どうやら意思の疎通はできそうだ。
女の子は大きな黒い目からぽろぽろと大粒の涙をこぼすと、ひっくひっくと肩を揺らしてしゃくりあげている。
「あなたは、この屋敷に住み着いているざしきわらしさん?」
再びその子は頷いた。
「どうして泣いているのか、訳を教えてもらえないかな。もし困っていることがあれば、私たちも何か力になれるかもしれないから」
「そうやで。困ったときはお互いさまや」
と、善治も明るく言う。
女の子はくりっとした大きな目で、まだ粉まみれになっている琴音たちを一人一人見た後、その小さな手を上にあげて天井を指さした。
「ないの。時子のだいじな、かあ様のフウリンがないの」
「母様の風鈴?」
知ってますか? と琴音は清史郎に目で尋ねるが、彼は聞き覚えがないようで小首をかしげる。
「いや……知らない。風鈴ならいくつか仕舞ってあるけど、そんな特別なものじゃなかったはずだし……」
「時子ちゃん。それはどんな風鈴で、どこにおいてあったの?」
琴音はなるべく不安がらせないように穏やかな口調で尋ねた。時子と名乗ったそのざしきわらしの女の子は、小さな指をなおも天井に向ける。
「うえのおへやにあったの。しかくいカンにはいってたの。ひまわりのお花のついたしかくいカン。おねえちゃんがどこか、もっていっちゃった……」
「……ひまわりの花のついた四角い……缶……」
と、そこまで言ったところで、琴音の中で記憶がつながった。
「あー!!! わかった!! あのいくらやっても空かなかった缶だ!!!」
そして、その缶はほかの資源ゴミと一緒についさっきゴミ捨て場に出してきたばかりだったことも思い出す。
「きゃああああ、さっきゴミに出しちゃった!! ちょっと見てきます!!!」
バタバタと玄関に走って、草履に足を入れるのももどかしく玄関の外へと駆け出す。全速力で小道を抜け、門をくぐってゴミ捨て場まで行ってみたが……。
「……遅かった」
ゴミは回収された後だった。
あの缶はあの子の大事なものだったのに、そうと知らずに捨ててしまっただなんて。
「どうしよう、どうしよう。あのゴミ、どこに持っていかれるんだっけ。うわーっわからないっ、どうしよう!」
喚いてみてもどうにもならない。でもどうしたらいいのかわからなくておろおろしている琴音の肩をぽんと誰かが叩いた。振り向くと、清史郎が立っていた。
「清史郎さん、どうしましょう。私の不注意でこんなことに……」
「捨てていいって言ったのは俺だから、責任なら俺にある。まさかあの子の大事なものがあそこにあったなんて知らなくて……。でも、回収されたのはついさっきだろ。いまならまだ間に合うかもしれないから、探しに行ってみよう」
「行くって、どこへですか?」
きょとんとする琴音。清史郎はズボンのポケットから手帳を取り出してぺらぺらとページを繰ると、とあるページを開いてみせてくれた。
そこには契約しているゴミ回収業者の名前と住所、電話番号などが載っていた。
早速、清史郎のバンでそのゴミ回収業者のところまで行ってみることにする。
車を取りに屋敷へと戻ると、ざしきわらしの時子は豆福の膝に抱かれてあやされていた。ようやく泣き止んだようで、子守歌を歌う豆福にぎゅっと抱き着いたまま背中をトントンされている。
琴音は時子のそばまで行くと、小さな時子に頭を下げた。
「ごめんなさいっ。あなたの大事なもの、回収の車に運ばれてしまったの。いまからちょっとその運んで行った先に行って探してくるから、それまで待っていてもらえるかな」
時子は琴音のことをじっと大きな瞳で見つめながら話を聞いていた。
「きっと、探してくる。約束するわ」
琴音が指切りをするように小指を差し出すと、時子はその指を小さな手をのばしてぎゅっとつかみ返してくれた。
「うんっ。時子、まってる」
その言葉に胸をなでおろしつつ、時子の信頼を裏切らないようにしなきゃと気持ちが引き締まる思いだった。
と同時に、
(あれ……? そういえば、この声どこかで……)
聞き覚えがあったような……と少し考えて、琴音はハッと思い出した。
(そうだ! この声! ……そっか。あなただったのね……)
琴音が京都に来たばかりの日。
目の前に突然現れた、この料亭「おおえ山」へと続く門。それに入るかどうか迷っていた時に、「おいで」と誘ってくれたのが同じ声だった。
あの声のおかげで琴音は門の中へ一歩踏み出す勇気がもらえ、そしていまここでこうして働いている。
ざしきわらしは、住み着いた家に幸福をもたらすという。あの声もまた、そうした幸福への導きの一つだったのだろうか。だったらいいな。自分が、この店に福をもたらす存在であれたらいいな、そんな思いを噛みしめて、琴音はにっこり笑うと元気に返した。
「うん。待ってて。時子ちゃん。必ずみつけてくるから」




