第37話 三日ぶりの食事
今日の席はどこももう満席。
だけど、あの三日も何も食べていないという餓死寸前の男を放ってはおけない。
まっすぐに厨房へ行くと、ちょうど清史郎は並べた小鉢に料理の盛り付けをしているところだった。
琴音はすぐに清史郎のもとに行くと、事情を説明する。
「すみません。ちょっと変わったお客さんがいらしてるんです」
「変わった?」
手を止めて顔を上げた清史郎に、琴音は玄関先にいる人間の男の風貌と様子を身振り手振りを交えて伝える。
すると清史郎は菜箸をもったまましばらく考え込んだあと、
「それなら、裏のダイニングルームに来てもらおう。彼が食べられそうなものを今、用意する」
あっさりとそう返してきた。
追い返せとは言われないだろうと予想していた琴音だったが、清史郎が彼のために何のためらいもなくすぐにもてなしの準備をしてくれることがうれしかった。
「ありがとうございますっ。すぐに伝えてきますね」
玄関先へと戻ると、男をすぐに裏のダイニングルームへと案内する。衰弱して足どりもふらついていたため、善治に肩を貸してもらって彼に無理のないペースでゆっくりと庭を通ってきてもらった。
料亭の裏側にあるプライベートスペースには本来客は入れないのだけど、いまはそんなことを言っている場合じゃない。
ダイニングルームについて椅子に腰かけたとたん、彼はテーブルにつっぷしてしまった。
しばらくすると、豆福が清史郎の作った彼のための料理を運んでくる。
お盆の上には小さな土鍋と、取り皿。それにお新香がのっていた。
「はい、どうぞ。熱いどすから、ゆっくりお食べになっておくれやす」
蓋を開けると、もわんと白い湯気が立ちのぼる。
土鍋の中には、鳥雑炊がまだふつふつと煮立っていた。真っ白な雑炊のご飯の中にふわふわとした黄色い卵が混ざる。ご飯は粒がほとんどなく、重湯に近いくらいにまでなめらかにすりつぶされていた。絶食状態が長い彼の身体への配慮だろう。そこに、ほぐしたササミとネギがのっていて、湯気とともにふわりと出汁が香った。
小皿に取り分けてあげて、レンゲを添えると男の前に出す。
男は信じられないものでも見るような驚いた顔をしたあと、そばにいた琴音と豆福の顔を交互に見て、もう一度雑炊に視線を落とすと手を合わせた。
「い、いただきます……」
男はレンゲに雑炊をとり、ふーっと冷ましてから口に入れる。
もぐもぐと味わうように何度も噛みしめていた。
それを見守る琴音も心の中では不安がつのる。味はどうだったんだろう。清史郎の作る料理がまずいなんてことはまずないだろうが、気に入ってもらえただろうか。
それに一気に食べてかえって胃がびっくりしてしまわないかも心配だった。心配してから、だから一気に食べてしまわないようにと清史郎が熱々のものを出したんだと気づく。
男は何度も何度も噛んでから、ごくりと飲み込んだ。
その唇がわなわなと小刻みに震えだしたかと思うと、突然彼はくしゃっと顔を歪ませた。
「……おいしい。こんなにおいしいもの食べたの、いつぶりだろう……」
そのあとはもう、冷ますのももどかしいくらいどんどんとりわけて、どんどん食べていく。すぐに土鍋は空になってしまった。
彼の食べた食器を厨房に下げると、清史郎がすぐにそばにやってきて彼がどれだけ食べたのかを確認していく。
「よかった。食べられたみたいだな」
「相当おなかすいてたみたいです」
「そっか。でも、何日も空きっ腹だったとこにいきなり入れると身体がおかしくなるから、あとで食べてもらうようにこれも渡してほしい。それと、また来れるならいつでも来ていいからって伝えておいて」
そう言いながら、清史郎は使い捨て容器に詰めた弁当を渡してくれる。中には、料亭に出ている料理の中で消化に良さそうなものをとりわけたものとだし巻き卵などが入っていた。これも、消化の良さと栄養バランスを考えて詰めてあることがよくわかる。
これだけでも、実は料亭で普通に食べるとそれなりの値段がするものだ。
「料金はどうしましょう」
玄関先で男にはあんなことを言ったものの一応店主である清史郎に確認してみると、彼は「出世払いでいいよ」と何でもないことのように返してくれた。
そのことにホッとしつつ弁当を持ってダイニングルームへ戻ろうとした琴音に、清史郎がもう一度声をかけてくる。
「あ、それから、風呂も使ってもらっていいから」
「はーい。そうお伝えします」
にっこり笑顔を返して、琴音は厨房をあとにした。




