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第3話 狐耳の仲居さん

「え、え……人間?」


 人間とはどういう意味だろう。彼女の言葉は言外に、ここは人間以外の客も来るのだという意味を含んでいるように思えて、琴音は不安になる。


(まさかね、そんな……)


 そもそも彼女のその容姿は何なのだろうか。きちんと着物を着こなしているのに、獣のような耳とふさふさの尻尾がなんとも奇妙だった。京都では今こういう出で立ちが流行っているの? といぶかしげに見ていると、中居さんの尻尾がぱさりと大きく揺れる。よく見ると耳も時折動いていた。


(ずいぶん芸の細かいコスプレだなぁ)


 本物の動物のようなその動きについ感心していたら、仲居さんは元から細い目をさらに弓形に細めてにっこり微笑みかけてくる。


「人間でもかましまへん。ここの門をくぐれるヒトはみんなお客さんです。ようこそ、いらっしゃいませ」


 もう一度手をついて深く頭を下げ、すぐに立ち上がって玄関の端にそろえておかれていた草履に足を入ると、パタパタと琴音の方へ駆け寄ってきた。


「その重そうな荷物、お預かりしましょ」


「で、でも。私そんな、お金あんまり持ってないですしっ」


 どう見ても高級料亭と思しきここで夕飯を食べたりしたら、どれだけの万札が飛んでいってしまうのやら。もともと失業中でお金に余裕のない身。今回の旅行だって、とことん節約して過ごすつもりだったのだ。


 しかし、仲居さんは「よいしょっ」と琴音からキャリーバッグを受け取ると、上がり(かまち)に置いた。


「それやったら、予算の範囲内で用意させてもらいます。それに人間のお客さんはいろいろと困った様子でここにたどり着くお方が多いもんやから、出世払いでもええって言ってましたよ」


 誰が、そう言っていたのだろう。この店のオーナーだろうか。


「それに、そないにずぶぬれなお嬢さんをそのまま帰してしもたとあっては、祇園・おおえ山の名折れです。ささ、座敷を用意しますから、こちらへいらっしゃってください」


 仲居さんは琴音の手を取ると、「さあ、どうぞ」と優しく引いた。

 その手の甲にもうっすらと黄色い毛が覆っている。けれど、琴音にとって些細なことはもうどうでもよくなっていた。


 心が折れそうになっていたときに掛けてくれたあたたかな声、凍えそうになっていたときに触れられた優しい手。それらに抗いがたいものを感じて、琴音は靴を脱ぐとその手に導かれるままに屋敷へと上がる。


 仲居さんに先導されて廊下を行くと、窓ごしに闇に沈む庭が見えた。そこにふわりふわりと青白い光がいくつも飛び交っている。一瞬蛍かな? と思ったけれど、それにしては季節がおかしい。


 よくよく見ると、その光の中に小さな和服姿の子供が見えたような気がして、琴音は何かの見間違いかと目をこする。

 もっとよく見よう目を凝らしたところで、仲居さんが足を止めた。


「さあ、この部屋で休んでいってくださいな。いま、着替えの服と拭くものをもってきますから、ゆっくりしとってくださいね」


「は、はい」


 案内されたのは、八畳の和室だった。中央には漆塗りの黒光りするテーブルが置かれ、その周りに四脚の椅子が向かい合わせに並べられている。

 天井からは和紙を張ったペンダント型の照明が下がっていた。レトロモダンな調度品がそろえられたなんともお洒落な部屋だった。


 ただそんなレトロモダンな雰囲気の中でただひとつ、床の間に下がる古い掛け軸だけは圧倒的な和の雰囲気を醸していた。掛け軸には怖そうな鬼の水墨画が描かれている。いまにも飛び出してきそうな躍動感ある絵に、琴音は一瞬ぎょっとしてしまう。


(予算の範囲内でって言ってたけど、大丈夫なのかな……)


 ずぶぬれな自分には到底場違いなほど、由緒ありそうな部屋のたたずまい。琴音は所在なげに(たたず)んでいたが、くしゅんと大きくくしゃみをした。

 雨に濡れた身体はすっかり冷え切ってしまっている。急に寒さを感じて両手で腕をこすっていたら、廊下から失礼しますと声がかかった。


 開いたままになっていた障子の影から膝をついて顔を出したのは、先ほどの細目の仲居さんだ。


「ここにはいま女性は私しかおらんもんやから、私の替えの着物しかなかったんやけど、これでよければ着てみます? ああ、その前にこれ使ってくださいね」


 ぽふと頭からかぶされたのは、大きな白い布。ふわりとした温かさが全身を包み込んでなんだか心まで温か……と思ったら、本当に布自体がポカポカと温かくなってきた。え? これ電気毛布ならぬ電気布? とまじまじと布を見ていると、その布の真ん中に二つの目が浮かび上がる。


 一瞬見つめ合う琴音と布の目。

 その目がパチッと瞬きしたのを見て、琴音は声をあげる。


「ぎゃああああ、め、目が……!」


「そりゃ一反木綿(いったんもめん)やから、目はあります。ほら、もうすっかり髪は乾きはったやろ?」


「へ?」


 髪に触れてみると、確かにあのずぶぬれになってぐちょぐちょだった髪がすっかり乾いている。

 驚いて髪の乾き具合を確かめている隙に、その目のある布……一反木綿とやらは琴音の肩からするりと降りると、ふわりと飛んで廊下の向こうへ消えていった。


(な、なに……? 何が起こっているの……?)


 自分は何か夢でも見ているんだろうか。次から次へと不可解なことが起きていく。

 そうだこれはきっと夢にちがいない。疲れのあまりどこかでうたた寝している私が見た夢なんだ、と考えて頬をつねってみたけれど、つねったところはしっかり痛かった。


 それでも、やっぱり夢としか説明がつかないことばかり起こる。

 突然闇の中から現れた料亭、狐のような耳と尻尾を付けた仲居さん、庭を舞う小さな子どもに、一反木綿……。


 理解できる範疇を超えたことが次から次へと押し寄せてきて、頭の中がパンク寸前になっていた。いや、もはやそれを通り越して既に考えることすら億劫になっている。

 仲居さんは障子を閉めると、ぼーっとしている琴音を部屋の空いたスペースへ連れて行った。


「雨に濡れた服は洗っときますね。着替えるの、私も手伝いますから」


 そして、訳が分からずぼんやりしている琴音を、獣耳の仲居さんはてきぱきと着替えさせてくれる。琴音がハッと我に返ったときには、持たされた手鏡の中に和服姿になった自分の姿が映っていた。


 ほんのりとした桃色の着物。帯は品のある朱色で、黄緑色の鮮やかな組みひもが巻かれている。


「え……これ、私……?」


 琴音の後ろでは、赤いつげの(くし)で中居さんが丁寧に髪を梳いてくれていた。


「よぉ似合ってはりますで」


「で、でも、着物までお借りしちゃっていいんですか?」


 なんだか、過ぎたおもてなしを受けているようで恐縮してしまう。そんな琴音に、仲居さんはくすりと笑みをこぼした。


「ええんです。その着物はここの中居の制服みたいなもんですから。(せい)さんも、ぜひにって言うてはりましたし」


「セイ、さん?」


「ええ。ここ祇園おおえ山の料理人で、店主でもある方です。清さんは困ってるなら人にもあやかしにも分け隔てなく手を差し出せ、言う方ですから」


「そうなんですか……」


 料理人で料亭の店主。なんとなく、厳格そうなしわくちゃなご老人が思い浮かんだ。


「さ。できました。どないでしょう?」


 仲居さんは肩まである琴音の髪をくるっとお団子にすると、そこにかんざしを挿して留めてくれた。銀のかんざしの先には白と桃色のかわいらしい桜の花の飾りがついている。


「うわぁ!」


 さっきまで濡れねずみだった琴音の姿は一転、ふんわりとした春の和の装いに彩られていた。まるで別人のようになった自分の姿に驚いてまじまじと手鏡を覗き込んでいたら、仲居さんがパンと手をたたく。


「さあ。お料理もできたころ合いでしょうから、すぐに運んできますね。どこでも好きな席にお座りくださいな」

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