第29話 ここではよくあること
清史郎が漕ぐボートはまっすぐに貸しボート屋の岸辺へと戻ってくる。
腕時計で時間を確認すると、閉店時間ぎりぎりだ。もう周りには、他のボート客はいなくなっていて、琴音たちが最後のようだ。
ボートが岸につくと、貸しボート屋のおじいさんがすぐにやってきて降りるのに手を貸してくれる。
「少し前になんや大きな音がしとったけど、大丈夫やったんか?」
「え、ええ。はい。……なんの音だったんでしょうね」
ぎくしゃくしながらも、琴音はすっとぼけて笑う。
おじいさんは怪訝そうにしていたが、それよりも琴音の後からボートを降りてくる人を見て、さらに怪訝そうに眉を寄せた。
それもそうだろう。
乗ったときは清史郎と琴音、それにフードをかぶった豆福の三人だったのだ。
それが四人になって戻ってきた。しかも豆福はフードを脱いですっかり舞子姿になっているし、その隣には和服に袴という、これまた明治あたりの時代劇から出てきたような青年がいる。
ついでに、全員が頭から水をかぶってぐっしょりずぶ濡れなのだ。
これで不審がられないはずがない。
どう言い訳しようかと琴音が必死に頭を巡らせていたら、思いがけずおじいさんは顔の皺をさらに深くしてくしゃりと笑った。そのなんともうれしそうな笑顔のまま、彼らの手を取りボートから降ろしてくれる。
「そうか……よぉやく会えはったか」
「……え。……もしかして、彼らをご存じなんですか?」
予想外の反応に、戸惑いながら琴音は尋ねる。
「さぁ。ワシもひぃじいさんに聞いたことがあるだけやけどな。ここで舞妓さんの話いうたら、それしか思いあたらへんのや。……よぉやく会えはったか。ほんまによかった」
現時点かなり高齢なそのおじいさんがひぃおじいさんに聞いたとなると相当昔の話のはずだ。その話の中に出てくる人物が、目の前の二十歳前後にしか見えない豆福と善治に一目でつながるということが琴音には信じられなかった。もしかしてこのおじいさんも何かのあやかしなんじゃと狐につままれた思いでいると、
「お嬢さん、そのしゃべり方やと東の人やろ」
「え、ええ。京都に来てまだ二週間くらいですけど……」
「他のところではどうかしらんが、京ではたまにこういうことがあるんやで」
おじいさんはカラカラと愉快そうに笑うのだった。
貸しボート屋をあとにして、桂川沿いを歩いて車へと戻る。
清史郎と琴音が前を歩き、その後ろを豆福と善治がついてきた。
二人はかたく手を握り合ったままだったが、いざ顔を合わせると何を話していいのかわからなくなってしまったようで、ときどきお互い目を合わせるもののすぐにどちらともなく離してしまい、ずっと押し黙ったままだった
無理もないと、琴音は思う。長い間想いあっていたといっても、彼女たちは百年以上離れていたのだ。今に至るまでに複雑な事情もあるみたいだし。そう一足飛びには百年の距離は飛び越えられないだろう。
でも、これからはもう好きな時に会えるし、時間はいっぱいあるのだから。いっぱい思いのタケをぶつけあうといいと思うのだった。
(でも、誰かを想い、想われるっていいなぁ。私もそんな恋、してみたいなー!)
思えば、いままであまり恋愛で良い思いしたことがないような……もしかして、男運ないのかしら私、と琴音が一人悩み始めていたら、突如、くしゅんとくしゃみが出た。
春先とはいえ、夕方になれば気温も下がってくる。しかも水に濡れたせいで、ちょっとの風でも体温をもっていかれて身体が冷えてしまったようだ。
「大丈夫か? これ着る? ……って、あ……」
隣を歩く清史郎が手に持っていた彼のコートを差し出してくれたけれど、それは豆福に貸したコートだった。当然ぐしょ濡れだった。ついでに、彼も全身びっしょりだ。
そういえば、いつの間にか清史郎の目の色はいつもの黒色にもどっている。頭の角も再び見えなくなって、見た目は普通の青年と変わらなくなっていた。
「とりあえず、車に戻ったら真っ先に近くのスーパーでも寄って、バスタオル何枚か買ってきましょうよ」
「そうだな……」
鳥肌の立った腕を両手でこすっていると、琴音のトートバッグが突然コトリと動く。
「ん?」
何が動いたんだろう? とバッグの中を覗いてみると、底にくしゃっとなっていた白い布がひとりでに浮かび上がって、するするとバッグの中から出てきた。
その先端についている二つの目と、目があう。
「あー! 一反木綿さん!」
入れた覚えのない布の正体は、一反木綿だった。




