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第27話 鬼の力

 ざばっという大きな水音とともに、琴音は水面に顔を出した。


「……っはぁ、げほっ、げほげほっ」


 肺の中に入った水のせいで、激しく咳き込む。

 しかし、再び琴音の身体が水中に沈むことはなかった。清史郎が琴音を胸に抱くようにして、しっかりと支えてくれていたからだ。

 いつもなら恥ずかしくなる態勢だが、いまはそんなことを言っている余裕もなかった。


 とんとんと背中を叩かれて介抱される。彼の身体に両手でしがみついたまま何度か咳き込んでいると、ようやくむせかえりが収まってきた。

 まだ肩で荒い息をしながら見上げたら、すぐ間近に心配そうにこちらを見下ろす清史郎の端正な顔がある。

 その思いがけない近さに、はっと顔が熱くなるのを感じたところで。


「琴音はんっ! 清史郎はんっ!」


 ボートの上を豆福がこちらに駆けてくる足音が聞こえた。


「大丈夫どすか!?」


 豆福がボートから手を差し出してくれる。その手に掴まったら、タイミングを合わせて清史郎が琴音の身体を持ち上げてくれた。おかげで楽にボートの上へあがることができた。水から出たとたん、ぐっしょりと濡れた衣服の重みが身体にからみつく。


 しかし、そんなこと気にしている場合じゃない。

 琴音は、ボートへ上がってきた清史郎の腕にすがりついた。

 突然水の中へ引っ張り込まれた恐怖よりも、溺れそうになった辛さよりも。

 いま何よりも琴音の心を占めていたのは、『見たものを、いますぐ伝えなきゃ!』という強い使命感のような思いだった。


「いました! 水の中のずっと底のほうに、見えたんです! 和服姿の男の人!」


 水中で確かに見たのだ。あれは、明らかに人影だった。

 そう強く訴える琴音を、清史郎はまだ心配そうな瞳でじっと見ている。瞳の色は赤いままだ。

 琴音の言葉に、そばにいた豆福がハッと息をのんだ。

 清史郎は、まだ迷っている様子で琴音たちを見ていたが、その視線をすっと水面に移す。


 先ほどまでの騒ぎが嘘のように、水面は静まり返っている。


 しかし、その清史郎の赤い瞳には、水中の悪霊たちの姿がいまも見えているのかもしれない。

 彼は、水面に目をやったまま眉を寄せる。


「俺も見た。それに……俺が悪霊を掃う前に、そいつが俺たちを助けてくれたようにも見えた。場所もわかる。いまならそいつを水の中から引っ張り出せるかもしれない。……でも、またあいつらに琴音さんが襲われたら……」


 清史郎が琴音の安全を最優先に考えていることは、琴音にも痛いほどよくわかった。でも……。


 琴音は豆福を見る。水の中にいる和服の男の話を聞いた途端、彼女の瞳が激しく揺れたことに琴音は気づいていた。彼女の視線は、今もおろおろと落ち着きをなくしている。


 もしかしたら、あの男の人は善治だったのかもしれない。それなのに、ここでそれを確かめないで帰るなんてことできるだろうか。


(そんなことしたら、たぶん水に飛び込んじゃうよ、豆福さん……。……うん。こうなったら!!!)


 意を決して琴音は……バッと身をかがめるとボートの床にしがみついた。


「……なに、やってんだ?」


 あっけにとられた顔の清史郎に、琴音は大まじめに答える。


「さっきは座ってたし全然予期してなかったから簡単に水の中に引きずりこまれちゃったけど、これなら引っ張られにくいでしょ? ほら、豆福さんも!」


 突然ボートの底に伏せた琴音のことをきょとんとした表情で見ていた豆福も、はっと我に返って身をかがめボートの床にしがみついた。これでもう、二人を川の中へ引きずりこむのは難しくなったはず。


「さぁ! 清史郎さん! 私たちは大丈夫だから、確認してきてください!」


 琴音が言うと、清史郎はふっと肩の力が抜けたように柔らかく笑った。


「……面白い人だな。人間ってみんなこうなのかな……。わかった。姿勢を下げてくれているのは、こっちにとっても好都合。顔を上げないようにしててくれ」


 清史郎はボートの上に立ち上がる。

 そして、右手をすっと前に差し出した。手のひらは水面の、善治と思しき人がいたあたりに向けられている。


 その目がより一層赤く燐光を増した。頭の上の角も、今は見えている。八重歯がいつもよりも鋭く見えたのは琴音の気のせいだろうか。


「しっかりつかまっててくれ」


 その言葉とともに、彼の周りにふわりと風が巻き起こった。

 はじめはそよ風程度だったのに、すぐに勢いを増し、まるでつむじ風のようになって清史郎を取り巻く。清史郎のシャツも髪も激しく風に煽られたが、彼の赤い眼はじっと善治と思しき人がいたあたりに向いたまま。


「きゃっ」


 ボートが風の強さにグラグラと揺れだす。琴音はさらにいっそう、ボートにしがみつく手に力を入れた。

 ところが、その風がふいに止んだ。


 あれ? どうしたの? と思って顔をあげると、清史郎が前に向けた右手のひらの前に、ドッヂボールほどの大きさの風の玉のようなものができていた。さっきのつむじ風をそこに凝縮したようだ。


「あの人の周りに悪霊どもが集まってんな。俺たちを助けたことで反感でも買ったか」


 清史郎の目には、水の中の様子がよく見えているようだ。


「大丈夫なんでしょうか……」


 琴音が言うと、


「とりあえず、あの人に当てないように気を付けてはみる。鬼の力は強力すぎて、あまり細かい調整が効かないんだけど……とりあえず頑張ってみる」


 彼はそう言って手の位置を微調整し狙いを定めると、荒れ狂っていた風の玉のようなものを放った。

 それは高速で水面をすべるように進むと、善治らしき人を見かけた地点あたりで着弾する。


 数瞬遅れて、ゴウという大きな音が鳴った。その場で風の玉は元の大きさに戻り、このボートくらい入ってしまいそうなほど大きなつむじ風となって水の中を抉った。


 しかしそれも一瞬で、すぐにつむじ風はしゅるっと空気中に霧散する。あとには揺れる水面が残るのみ。すぐさま、清史郎はボートから水の中へと飛び込んだ。

 琴音は豆福とともに、一連の彼の行動を見守るしかできなかった。

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