表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/60

第26話 こんどこそ……!!!

 それから途方もない月日が流れた。

 うつらうつらと意識の境界線を行ったり来たりしながら終わらない悪夢の中にいた善治は、ふと顔を上げる。


 自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。


 いや、そんなはずはない。もう、自分の名を呼ぶ相手なんているはずがない。

 だって、あの人はもう……

 水草に絡めとられて水底に座り込んだまま、再び意識が混濁しそうになるが、


『アテ、善治はんにもう一度会って謝りたかったんや……!』


 今度は確かにそう聞こえた気がした。


(……え……?)


 見上げた水面には、きらきらと日が差し込み、そこに一艘の小舟が見える。

 いま、あそこから自分を呼ぶ声がしなかっただろうか。でも、そんなはずはないとぼんやり小舟を見上げていたら、その船底が突然大きく揺れた。

 そして、その小舟の傍から、ぱらぱらと何か白いものが落ちてくる。


(…………アレは……)


 日の光を受けて、きらきらと輝く陽だまりの中へと落ちてきたもの。

 水の中にあっても崩れることなく、ひらひらと舞う木の葉のように落ちてくるソレに善治は見覚えがあった。


 その輪郭をはっきりと目でとらえて、善治の瞳が大きく見開かれる。

 同時に呼び起こされるのはかつての記憶。古い古い遠い記憶。でも、心の中でずっと大切にしていたあたたかな思い出。


 お茶屋で出されたソレを初めてたべたとき、とても旨いと思った。こんなに旨いものを食べたことなんてなかった。そう彼女に伝えると、彼女は優しく微笑んだ。


『また、食べに気はったらええどす。いつでも用意してお待ち申してます。ささ、残りも食べてしもたらええわ』


 そう言って、いくつも食べさせてくれた。

 なぜ、アレがこんな冷たい水底に落ちてくるのかわからない。

 でも、アレがほしくて。どうしてもほしくて。

 善治は、落ちてくる白いものに手を伸ばした。


 すると、善治のまわりで何かが動いた。善治のその心の動きに合わせて、ぞわりと水底が動きだす。


 ヘドロのように溜まって眠っていた水底の悪霊どもは落ちてきた白いソレを奪い合うようにして握りつぶした。しかも目を覚ました悪霊どもは、その白いものをボロボロにしただけでは飽き足らず、今度は水面をめざして泳ぎだした。


 やつらは、強い気持ちに反応する。反応して、面白半分に負の気持ちに染めようとする。無邪気に、ただひたすらに悪意をまき散らす。


(……あかん……!)


 この光景を、前にも見たことがあった。

 豆福を水中に引きずり込んでしまった、あのときの悪夢のような光景が脳裏に蘇る。


(やめてや……もうやめてや!!)


 なんの運命の悪戯(いたずら)か、目の前で同じ光景が再現されているようだった。

 長い間眠りにつき力を溜め込んでいた悪霊どもが目を覚ましてしまった。そのうえ、再び小舟にいる生者にまで襲いかかろうとしている。


 善治は頭を抱えた。体が震える。


(もう嫌や、あんな悪夢はもう嫌や。もう、誰も傷つけたくなんかない。もう、誰のこともオレのせいで…)


 悪霊どもに引きずり込まれた人が、ドボンと水の中に落ちてきた。

 暖かな色のブラウスが水に漂う。女性のようだ。

 悪霊どもは純粋な悪意で、おもちゃをもらった子供のように嗤いながら水中に沈めようとその人に群がる。


(もうやめてくれ! こんなことやめてくれ! オレのせいや! オレが……)


 先に落ちた白いモノはバラバラに散ってしまった。それを挟んでいた鮮やかな緑色をした葉だけが、ひらひらと水面へのぼっていく。

 日の光をうけて浮かんでいくその葉を、絶望に打ちひしがれた目で見つめる善治。

 そのとき、ふいに頭の中で声が聞こえた。


 『なぁ、善治はん。最近、欧羅巴(ヨーロッパ)で、花言葉いうんが流行ってるんやて』


 それはもう、とうに忘れ去っていた記憶の断片だった。

 あの白い餅を食べた後に残った葉を指でつまんでくるくると遊びながら彼女が言った言葉が、ほがらかな笑顔とともに蘇る。


 『椿の花言葉はな。「控えめな愛」なんや。それと「誇り」なんやて。そやからアテ、椿が好きなんや。どっちもアテには、大事なもんやから』


 そう言って、小さな胸を張る彼女が溜まらなく愛おしかった。


(そうや。豆福にそれ聞いて、自分もそうありたいって思ったんや。それやのに、なんでいままで忘れてしもてたんやろ……)


 善治は顔を上げる。


 もう一つの人影が小舟から水中へと飛び込んできた。今度は男のようだ。男は泳いで先に落ちた女性のところまでいくと彼女を掴んで水面に引っ張り上げようとした。


 しかし、阻止しようとさらにたくさんの悪霊どもが彼らに絡みついていく。しがみついて、彼女たちが浮上するのを阻止しようとしていた。

 このままでは二人ともかつての善治や豆福と同じようになってしまうだろう。


(過去はもうどうにもならん。そやけど、いま目の前で起きていることは? まだ、いまなら間に合うんちゃうん?)


 だったら、変えなければ。こんなとこで、ぼーっと座ってる場合じゃない。このままじゃ嫌だ。少しでも彼女のように『誇り』を胸に生きていける自分でありたかった。


 あいつらを一瞬引き付けるだけでもいい。それだけでも、あの人たちが小舟にあがる時間ができるかもしれない。

 なんとかしたい。ただ一心で、善治は叫んだ。


「ふざけんなや! 邪魔すんな! 亡者は亡者らしく黙って水の底で朽ちとけ!!!」


 その瞬間、善治の周りで何かがぞわりと動いた。


(え?)


 悪霊どもではない。もぞもぞと水底を這いまわるように動いたのは、水草だった。

 水底にびっしりと生えていた水草が善治の心に呼応する様に波打っている。


(……なんや、これ)


 まるで水草が自分の手足になったかのような感覚を覚える。その先端にまで指先と同じような触感があった。なぜこんなことになったのか、自分でもよくわからない。

 ただ、これは使えるかもしれないと瞬間的に考えた。

 善治は意識を水に落ちた男女に向ける。


(あそこへ、届いてくれ!)


 その心の叫びとともに水草がひゅんひゅんといっきに長く伸びた。無数の長く伸びた水草が水面近くまで届くと、悪霊どもを次々に捉えていく。


 悪霊どもは激しく暴れたが水草がちぎれることもなかった。そのまま、水中の二人から悪霊どもを引きはがすと水底までいっきに引き戻した。

 その隙に、男が悪霊から解放された彼女を連れてすぐに水面へと上がっていくのが見える。


 彼女は自分で足を動かしていた。よかった、まだ死んでいない。

 それを見届けて、善治は心の底からほっとした。


 安堵したとたん、それまで生き物のようにくねくねと動いて悪霊どもを拘束していた水草がはらりはらりと力をなくして元に戻る。


 自由になった悪霊どもは再び水面に向かおうとするが、そのときにはもう二人は船の上にあがったあとだった。

 そのことに、悪霊どもの中で消化しきれない悪意が行き場をなくして暴れだす。


 コロセ、コロセ、シズメロ、ミンナシズメテシマエ


 ジャマヲシタ、ダレダ、ダレダ、ダレダ……!!!


 ナゼ オマエハ オレタチトオナジニナラナイ!!!


 彼らの悪意に満ちた視線が一斉に善治に向けられた。


 なぜ善治が彼らと同化しなかったのかなんて、そんなこと聞かれたところで善治自身にもわからない。

 ただひとつわかっていることは、足はいまだに動かないということだった。この場に縫い留められたように動けないことに変わりはない。こんな状態で、悪意をむき出しにする悪霊どもから逃げるすべなんて思いつかなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ