第21話 あやかしの秘密
この料亭には一台だけ車がある。
勝手口に面した小さな裏庭に停めてある真っ白な、いかにも業務用といったバンだ。
普段は清史郎が市場へ仕入れに行くときに使うくらいだけど、彼は現世と幽世どちらの世界にも買い付けにいっているらしく、ときどき見たことのない食材を買ってきたりすることもあった。
店の裏口に停めてあるそのバンに、いつもの調理人姿から私服に着替えた清史郎と琴音が乗り込む。
彼の私服は、白い清潔そうなTシャツの上に紺の長袖シャツ、それに黒のチノパン。黒髪のきりっとしたイケメン顔によく似合っていると琴音は思う。もっとも、長身な彼は何を着ても似合いそうだけど。
一方琴音は、ふんわりとした春もののブラウスにジーンズ。ワンピースにしようかなと考えたけれど、ボートに乗り降りするときに足を大きく広げなくちゃいけないかも? と思い直して、パンツスタイルにしてみたのだ。
運転席には清史郎、助手席の琴音は椿餅の入ったお重の風呂敷包みを膝の上に抱えて乗り込む。
彼が車に差し込んだキーには、可愛らしい赤鬼のキーホルダーが揺れていた。
走り出した車が裏の門をくぐると、いつの間にか車は現世の車道に出ていた。
「あれ? ここって」
店があるのは現世と幽世の間だったはずだが、気が付いたらバンの前後には普通に車が走っている。それに周りの景色にも見覚えがあった。
道路の右側にはこんもりと緑が多い茂っている。流れに沿って車が進んでいくと、すぐに赤く大きな門が見えてきた。ここは八坂神社だ。
「そう。祇園と八坂神社の間にある東大路通りだよ。うちの正面の門は祇園の中とつながってるけど、裏門の方は車が出せるようにこの道とつながっているんだ」
清史郎は車を左折させ、人通りの多い河原町通りを進んでいく。
「でも、突然この車が現れたら、ほかの人がびっくりしたりするんじゃないですか?」
びっくりどころか、怪奇現象だと思われかねない。
このあたりは京都の中でも人通りが絶えない界隈だ。噂になって動画でも取られたりしたらどうするんだろうと心配になる琴音だったが、清史郎はハンドルを握ったままなんでもないことのように言う。
「昔からタヌキやキツネが人を化かすっていうだろ? あれは術をかけて人の目をごまかしているわけだけど、店の入り口も似たようなもん。結界と目くらましの術がかけられているんだ。まぁ、監視カメラで二十四時間定点監視とかされたらさすがに困るから、そういうカメラに映りこまない場所を選んではいるけどな」
いまいちわかるようなわからないような説明に、琴音はなんだかキツネに化かされているようなもやもやとしたものを感じたものの、そういうものだと言われれば納得するしかなかった。
そこで、琴音はあることに気づく。
「あれ? 清史郎さん、角は!?」
いつも清史郎の黒髪の間にひょこっと覗いていた角がなくなっていた。
角がなくなってしまえば、彼があやかしだと示す外見上の特徴は何もない。普通の人間と全く変わらなく見えた。
はじめのころは彼の角が気になって、話すときについ目がいってしまったものだったが、最近は慣れてそんなこともなくなっていた。だから逆に、彼の頭から角が消えているとそれはそれで違和感が強い。
「ああ、これも、店の出入り口と同じ。簡単な化かしの術で見えなくしているだけ……って、そんなじっとみられると困るんだけど……」
そう言って清史郎はハンドルを握ったまま、ほんのり顔を赤らめている。
「ほえ? はっ、あっ、ごめんなさいっ」
つい助手席から身を乗り出すようにして清史郎の頭を凝視していた自分に気づいた琴音は、慌てて助手席に座りなおす。
一瞬歪みかけていた車の軌道を元に戻しながら、清史郎は小さく咳払いした。
「現世に住んでるあやかしは多かれ少なかれやってることだから、別に珍しいことじゃない。おイネさんの旦那さんだって、京都の北にある神社を守っている狛犬だけど、現世にいるときは何かに化けてるはずだし」
と、早口で説明してくれる清史郎。
しかし、なんだかさっきよりも彼は運転席のドア側に寄っているようにも見える。
(そんなに私が近づくと嫌なのかな……)
うっかり近寄りすぎただけなのに。やっぱり清史郎には避けられてるのかな、なんて心の中でしゅんとしながら、琴音は車窓に流れる京都の街の景色に目を移した。