第16話 明治、末ごろの出来事でした
舞子は、『豆福』と名乗った。
明治の末ごろに、祇園で舞子をしていたのだという。
鶴屋という置屋に所属していて、毎日あちこちのお座敷にひっぱりだこだったんだそうだ。
そんなとき、豆福は一人の青年と出会う。
彼の名は、佐藤善治といい、大阪にある商社に入ったばかりの青年だった。彼は社長のカバン持ちとして祇園のお座敷に来ていたが、歳の近い二人はすぐに意気投合し、善治はきっとまた遊びに来ると約束してくれたという。
といっても、豆福がいるのは祇園の花街。
年若い新入社員の給料で通えるような場所ではない。だから、善治が社長のカバン持ちとして付き添ってくるときだけ、二人は顔を合わせることができたのだった。
ほどなくして二人はそれだけでは満足できず、頻繁に手紙を交わすようになる。
しかしそのすぐあと、浪費癖を妻に咎められた社長はお座敷遊びをぱたりとやめてしまったため、善治もそれ以降、豆福の前に顔を出すことはできなくなった。
「そんな日が二、三か月続いたある日のことどす。善治はんが、ひょっこり一人でお座敷に遊びにきたんどす。社長さんもおらずたった一人で、アテだけを指名して。嫌な予感がしてお金はどないしたん? ってアテは聞いたんどすけど、善治はんはちょっと臨時収入が入ったから言うて、笑うてはったんどす……このとき、もっと問い詰めてればあんなことにはならへんかったのに」
そういって、舞子……豆福は、きれいに整った秀眉をきゅっと寄せた。
「それから何度か善治はんは祇園にやってきては、アテを座敷へ呼びました。善治はんはご両親もはやくに亡くしはった言うてたし、どこにそんなお金があるんやろうと心配はしとりましたが、アテも善治はんに会えるのが嬉しくて、深くは聞きまへんでした。そんなある日、大阪府警の刑事の方が数人、アテのいる置屋に来はったんどす」
刑事たちは、とある容疑者を追っていると豆福に話した。その容疑者の名前は『佐藤善治』。会社から多額の金を横領した容疑で、警察が捜査していたのだ。
「横領!?」
思わずその単語に反応して、琴音が声をあげる。
会社の金を横領という話なら琴音も嫌というほど聞き覚えがあった。琴音の元カレが同様のことをしでかして逃亡し、それで琴音も会社に居づらくなって仕事をやめたのだ。もうその横領という単語を聞いただけで胃をきゅっと掴まれたように痛くなる。
もっとも琴音の元カレが会社の金を横領したのは、ギャンブルのせいで消費者金融から多額の借金をしたが返せなくなったためだったようなので、豆福の彼氏よりもさらにどうしようもない。縁が切れて本当に良かったと、いまはそう思っている。
「どうした?」
清史郎が不思議そうに琴音を見るので、琴音は顔の前でぶんぶんと手をふる。
「すみません。ちょっと嫌なこと思い出しちゃって……。あ、話の腰も折っちゃってごめんなさい。どうぞ続けて」
琴音が促すと、豆福は小さく頷いて話を続ける。
「善治はんは会社からも自宅からも姿を消してはったようですが、数日後……嵐山の千鳥ヶ淵で変わり果てた姿で浮いているのが発見されました」
「……そんな……」
そうか。だから、その善治が好きだった椿餅を千鳥ヶ淵に投げたい……なんていう話になったのかと、琴音は内心納得する。
けれど、豆福の話はそれで終わりではなかった。
「アテは悲しみにくれて、毎日泣きはらしとりました。しばらく座敷にもあがれんと、自分の部屋で呆けたようになっとったんどす。そやけど、善治はんが亡くなってから季節がめぐり、日が経ってきたらしだいに善治はんの供養のために何かしたいと思うようになりました。それで、善治はんあてに、受け取る人のいない手紙を書いたんどす。でもそれが、新聞社で働いていた馴染みのお客はんに知られてしもて……」
今度は、清史郎が「あ!」と声をあげた。
「なんかどっかで聞き覚えがあると思ったら、……そっか俺、その話、新聞で読んだんだ。当時は、すごい話題になってた。たしか、明治四十年くらいでしたよね?」
清史郎は、まるでリアルタイムでその話を見聞きしたかのような口調で話すので、それが少し琴音には気にかかる。彼はいま、いくつなんだろう。
てっきり見た目どおりに自分と近い年代だと思い込んでいた琴音だったが、考えてみれば彼の父親は平安の時代から今も生きている酒呑童子なのだ。彼だって数百年を生きていたとしても不思議ではない。
「そうどす。アテは明治二十年生まれやから。もうカネツケのための晴れ着も用意してもろてた頃やったんどす」
カネツケ? ってなんだろう? と思っていると、清史郎がこそっと「カネツケっていうのは成人式みたいなもん」と教えてくれた。
「いまでいうワイドショーで連日報道されるアイドルスキャンダル……みたいな感じだったんだ。いや、あのころは今より情報も娯楽も少なかったから、いまよりもっと注目されていたかもしれない。うちに来るお客さんたちも、みんなその話題でもちきりだった」
と、清史郎は言う。
つまり現世だけでなく、あやかしたちのいる幽世にまで噂が蔓延するほどの大事件だったのだ。
「あの新聞の記事のあと、アテをお座敷に呼びたいいうお客はんも増えました。それで、またお座敷にも出るようになったんどす。そうして、月日は流れて。アテも次第に元の生活を取り戻していきました。そんなある日、アテは何人かの舞妓はんや芸子のお姉はんたちと一緒に、お客はんにつれられて舟遊びにでかけたんどす。それが、まさかあないなことになるなんて、知らずに……」
豆福は目の前にある和菓子にも手を付けず、じっと視線を落としている。しかしその眼は悲しみに沈み、遠い昔のつらい記憶と向き合っているようでもあった。




