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第13話 春の料理と変わったお客

 この日もそこそこの客の入りで、大きな四角い木の盆に食べ終わった食器を載せて、カウンター裏にある厨房へと運び込んだ。


「ふぅ、椿の間の食器を引き上げてきました。それと、八塩折之酒(やしおりのさけ)、一壺追加だそうです」


「そこの冷蔵庫から持って行って」


「はーい」


 厨房の作業台には色とりどりの器が並ぶ。

 その上に料理を盛り付けていた清史郎に言われて、琴音は酒用の冷蔵庫から茶色い小ぶりの壺を取り出した。壺には封をするように細長い和紙が貼られていて、そこに『八塩折之酒』と達筆な字で書かれている。


 これは古事記や日本書紀の中にも出てくるという伝説の酒なのだそうだ。なんでもヤマタノオロチ退治をすることになったスサノオが、酒好きのヤマタノオロチを泥酔させるためにも使ったお酒なんだとか。


 このお酒は今はもう現世では作られておらず、幽世にある酒蔵から取り寄せているあやかし人気の酒なのだ。

 もちろんこの料亭には現世で人間が作った酒も置いてあり、現世と幽世、両方の酒が楽しめるのも評判の一つとなっていた。


 冷蔵庫から酒壺を手に取ったとたん、ひんやりとした冷たさが伝わってくる。琴音はそれを小さな丸盆に乗せると、さらに冷蔵庫の中で冷やしてあった刻み模様が美しい切子(きりこ)のグラスを二つ取り出してそれも盆に並べた。


 そうこうしている間に、清史郎が作っている次の料理もできあがりそうだ。あたたかいものはあたたかいうちに、冷やしてあるものは冷たいうちに召し上がっていただきたいから、これも早く運んできてしまおう。


「すぐ戻ってきますね」


 酒壺ののったお盆をよいしょと持ち上げると、琴音は清史郎に声をかける。


「ああ、ごめんね。次から次へと。やっぱりこんなにお客さんが多い日は、一人じゃ厳しいよね。一応募集はかけてはいるんだけど……」


 清史郎はすまなそうな顔をする。

 確かにもう一人仲居さんがいればとても助かるけれど、今はまだいないので仕方がない。早く新しい人が見つかるのを祈るばかりだ。


 椿の間へ酒壺を運んでいき、急いで戻ってくると次の料理はもうできあがっていて、あとは運ばれるのを待つばかりになっていた。

 桜の花びらを思わせる可愛らしい桃色の蓋つき陶器の椀。この中には、少し大きな桜餅のようなものが入っていて、とろりとしたあんかけがかかっている。


 これは、『鯛の桜蒸し』という料理だった。


 この料亭の料理は季節ごとに料理を変えているのだという。季節といっても、四季ではなくて、日本古来からある七十二候。つまり年に七十二回メニューが変わることになる。


 この鯛の桜蒸しは七十二候のうちの一つ、三月下旬にあたる『桜始開(さくらはじめてひらく)』という季節に合わせて作られたメニューだった。


 この時期に捕れる鯛は身体が桜色をして花びらを思わせる白い斑点が浮かぶことから桜鯛と呼ばれ、特に脂がのって美味しいのだそうだ。

『鯛の桜蒸し』は、桜鯛の切り身を道明寺粉(どうみょうじこ)で包み込んで、桜の葉を巻いて蒸したもの。それに、銀あんというとろりとした葛のあんをかけて食べる。


 琴音にも数日前、清史郎が味の確認のためといって試食させてくてた。料理を客の元へ運びながらそのときの味を思い出す。


 見た目も桜餅みたいで可愛らしいけれど、一口食べると口の中にふわっと桜の香りが広がるのだ。桜が満開になるにはあと数日かかりそうだけど、一足先に春を全身で体感しているよう。


 そして、もちもちとした道明寺で包み込まれた中には、ふっくらと蒸しあげられた桜鯛。よく脂ののった旬の桜鯛は、噛むと鯛の旨味が凝縮されたスープがじわっとにじみ出てくる。


 その美味しい旨味を、薄く出汁で味付けされた銀あんがもれなくからめとって、一滴残らず口の中へ。旬の鯛の旨味をあますところなく堪能できるこの一品。琴音はこんな美味しい鯛を食べたのは初めてで、鯛に対する印象ががらりと変わってしまった。


(ぜひとも、お客様たちにもこの味を堪能してもらわなくちゃ)


 客たちが顔をほころばせるところを見るのも、またうれしいもの。

 琴音はそれを思うとうきうきと心を弾ませながら、客たちのもとへ料理を運ぶ。


「おおっ! 桜鯛か。もうこんな季節なんじゃのぉ」


「そうそう。今日はこれを食べに来たんだよ。これを。これ食べないとやっぱ春は始まらないよな」


 と常連たちは、椀の蓋を開けたとたん笑顔になる。

 やっぱり美味しいものは人を笑顔にするよね、とほくほくしながら琴音は盆の上の料理を配り終えた。


 それが終わると再び厨房へ戻って新しい料理を運ぶということを繰り返し、最後の『水菓子』と呼ばれるデザートを配膳しているころのことだった。


 琴音は玄関に人の気配を感じる。誰か来たようだ。


(あれ? こんな時間に?)


 もう夜明け前の時分。そろそろ店は閉店になる。

 もしかして琴音と同じように一見さんの客なのだろうか。でももうラストオーダーも過ぎている。とりあえず、一旦カウンターの裏へ盆をしまうと、琴音は玄関へ出迎えに行った。


「はい、ただいまお伺いします」


 玄関の土間に一人の和服姿の女性が立っているのが見えた。

 三つ指をついてご挨拶しようとした琴音だったが、その途中で中腰のまま「……え」と言葉が詰まって動きを止める。


(え……何……このお客様……)


 土間に立っていたのは、一人の美しい舞妓だった。

 独特の髪型に、ピンクや白の小さな花がふんだんにあしらわれた華やかな花かんざしが髪を彩る。


 白地に舞う桜の花びらが描かれた振袖に、腰から下がる金色のだらり帯。足には高いぽっくり下駄、顔には真っ白なおしろいが塗られ下唇に朱色がのせられている……というどこからどう見ても舞妓の姿をしていた。


 とはいえ普通の舞妓であるならば、琴音もそこまで驚くこともなかっただろう。

 この料亭は幽世と現世のはざまにあると清史郎は言うが、その現世の入り口は祇園にあるのだ。だから祇園をはじめ、京都にいくつかある花街の舞妓が料亭にやってきたとしても不思議はない。


 ただ異様なことに、顔を俯かせた彼女は頭の先から足の先までぐっしょりと濡れていた。振袖からも帯からもぽたぽたと絶え間なく雫を滴らせている。まるでたったいま水の中からあがってきたばかりのようだ。


 うつむき加減だったその舞妓は琴音に気づくとゆっくりと顔を上げ、焦点の定まらない目を琴音に向ける。


「ひっ……」


 恐怖のあまり一歩あとずさりする琴音。舞妓はおびえる琴音を追おうとするように右手をゆっくりとあげると、震える声で告げた。


「お頼もうします。どうか……どうか椿餅(つばきもち)を、つくっておくれやす」

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