第10話 この料亭ができたワケ
「どこでも好きなとこ座ってて」
清史郎に言われて、琴音は迷いつつもカウンターの端に腰を下ろす。
ほどなくして厨房から戻ってきた清史郎の手には、あのなんとか焼きが五、六個山盛りにのった大皿があった。
「え、こんなにたくさん……?」
目の前に置かれた大皿に目を丸くしていると、清史郎は琴音から目をそらして照れ臭そうに頬を指で掻く。
「それ……実は俺も好物で。あとで食べようと思って、大目に作っておいたんだ。お茶もどうぞ。お茶もてんてら焼きもどっちも熱いから気をつけてな」
そうだそうだ。何焼きっていうんだったっけなともやもやしていたけれど、てんてら焼きだった。心のもやもやが一つ消えてさっそくてんてら焼きを一つ手にとる。確かにあつあつ。それを両手で交互にもって冷まし、ほどよいあたたかさになったところで大きな口をあけてパクっと食らいついた。
「うーん、おいしい」
ぱりっとした表面の下には、もっちりしっとりしたあの甘じょっぱい生地。さらにその中には、スイートポテトのような甘さの餡が舌ざわり滑らかに口の中になじんでくる。
そして濃いめに入れてくれたお茶が、また合うのだ。口の中がさっぱりとして、再びてんてら焼きのもっちりした甘さが恋しくなる。
「これ、さつまいもの餡でしたっけ? こっちも美味しいですね。私、すっかりてんてら焼きが大好きになっちゃいました」
晩御飯を食べ終わったときはもうお腹一杯と思ったものだったけれど、あのあと慣れない着物を着て料亭の中をあちらこちらに忙しく動きながらお手伝いしていたから、すっかりまたお腹が減っていた。
それで一つ食べ終わってもまだ食欲が止まらず、もう一個手を伸ばしてハムっとかぶりつく。
こっちは最初に食べたものと同じ、えんどう豆の餡だ。くー、このざらっとしたほのかに甘い餡ももっちり生地によく合うのよね、ほくほくしていたら、カウンターの向こうで一緒にてんてら焼きを頬張っていた清史郎と目が合う。
もしかして、よく食べる人だと思われたかな……。すごい勢いで食べちゃったもんね。おいしかったしお腹がすいていたから仕方ないとはいえ、恥ずかしくなって琴音はカウンターに目を落とす。
そういえば、三か月前まで付き合っていた彼氏には、お前はよく食べるなと呆れられたものだった。それで次第に食べることを我慢するようになっていたのだけど、本当は琴音はおいしいものが大好きなのだ。でも世の男性は、ぱくぱくたくさん食べる女の子はあまり好まないもの。この目の前の彼もきっとそうにちがいない、そう思ってこれ以上食べることを躊躇う琴音。
しかし清史郎から返ってきたのは、意外にも安心したような声だった。
「よかった……元気そうだ」
「え……元気?」
清史郎の意外な言葉に、琴音は視線をあげる。
彼は呆れるでも馬鹿にするでもなく、目を細めてほほえましいものを見るような目で琴音のことを見ていた。
「琴音さん、はじめはとても弱っているように見えた。心身ともに弱りきった人間にしかこの店の門は視えないんだよ。ここは幽世と現世の狭間にある、あやかしの料亭だから」
「……あやかし……ですか?」
聞きなれない単語ばかり。でも、『あやかし』という単語が意味するところはなんとなく理解できた。
この料亭で出会った客たちはみな、異形の姿をしていた。そして、目の前の清史郎にも、艶やかな黒髪の間から二本の角が覗いている。
彼らはきっとその『あやかし』とかいう存在なのだろう。
「『幽世』っていうのは、人間が住む現世と重なるようにして存在している別世界のこと。あやかしは、『妖怪』とか『もののけ』と呼ばれることもある。人間とは違う、でもこの国でずっと昔から存在していたモノたちのことだよ。俺は『鬼』と呼ばれるあやかしなんだ。この料亭はもともと、俺の父親の酒呑童子が開いた店。それを今は俺が継いでなんとかやってる」
その鬼の名前は、琴音も耳にしたことがあった。かつて平安の時代に跋扈した、鬼の頭領じゃなかったっけ……。ということは、清史郎はその恐ろしい酒呑童子の息子ということになる。
「このてんてら焼きも、親父が生まれた丹波の国の郷土料理らしくてさ。小さいころよく作ってもらったんだよ」
てんてら焼きは清史郎にとっても思い出の味だったんだ。だからこんなに、食べる人の心をほっこりさせるんだろうなと琴音は確信する。
でも、清史郎の語る父親・酒呑童子の話は、琴音が小説や漫画で読んだことのある酒呑童子とはずいぶん違うことが気にかかる。
鬼って……怖いものじゃないの? でも、目の前の清史郎からはそんな怖さはみじんも感じない。確かに頭から角は生えているけれど、それさえなければ二十代のイケメン青年にしか見えなかった。




