第1話 不運続き!
「今日の天気予報、晴れだって言ってたよね!?」
風情あふれる祇園の街並みを貫く花見小路通り。
その濡れた石畳でキャリーバッグを引く琴音は、ぶつくさ文句をいいながら歩いていた。
ついでにいうと土砂降りの雨の中、傘もない。
「なんでコンビニの傘も、全部売れきれちゃうかなぁ」
すでに日は落ち、通りを囲む町屋造りの茶屋や料亭にはほんのりと灯篭の明かりが灯っている。
いつもであれば観光客でにぎわうこの界隈も、いまは突然振り出した大雨のせいでほとんど人影がなかった。
石畳にたたきつける雨音で、琴音の独り言はすっかりかき消されてしまう。
「それにしても、なんでこんなについてないんだろう……」
スプリングコートもぐっしょり濡れて、下に着ているワンピースまで水がしみ込んでくるので、春先だというのに寒くて仕方がない。
昨日見た週間天気予報によると、ここしばらくはずっと晴れマークのはずだった。だから、雨具なんて何も持っては来なかったのに。それに、もし雨が降ってもすぐにどこかで買えばいいやと思っていた。
けれど、京都・河原町でバスを降りたとたん、急に雨が降り出したのが運の尽き。急いでコンビニを探して立ち寄ったけれど、同じことを考える人が他にも何人もいたようで、あいにく折り畳み傘もビニール傘もすべて買われたあとだった。
そのままコンビニの軒下で雨が止むまで雨宿りしていたが、こんな時間に祇園までやってきたのにはワケがあった。この祇園の先にあるという創作和食のお店にディナーの予約をしてあったのだ。前にスマホサイトで見かけたお店で、価格も手ごろなのに評判も上々だった。
せっかく京都に来たのだから、ぱーっと贅沢して美味しいものを食べたい気持ちはある。でも、いまの懐事情がそれを許してはくれなかった。そのお店を予約したのが、いまの琴音にできるぎりぎりの贅沢だったのだ。
このまま雨が止むのを待っていたら予約に間に合わなくなってしまう。幸い、そのときはまだ雨脚はさほど強くなく、急いでいけば多少は濡れるだろがなんとかなる気がした。
それで濡れるのを覚悟で歩き出したものの、祇園界隈に入ったあたりで急に雨の勢いが増してきて、このとおりすっかりぐしょぬれになってしまったのだ。
このキャリーバッグだって、本当ならホテルに預けてくるはずだった。
それなのに、京都についた直後に予約したホテルへ行ってみると、なぜか人の気配がまったくなかった。嫌な予感を覚えつつ、正面入り口のガラス扉にぺらっと一枚の紙が貼ってあったので何かと思って眺めてみると、倒産のお知らせだった。
慌ててほかのホテルに電話をしてみるものの、今は春休みでそろそろ桜も咲き始める行楽シーズン。ホテルも旅館もどこもいっぱいで、いまだに今日泊まる宿も見つかっていない。
そもそもこの京都旅行を急に思い立ったのだって、ついていない日常から逃れたかったからだ。
大学を卒業してから五年間働いていた会社には、社内恋愛で結婚を考えていた彼氏がいた。しかし、三か月前。経理課にいた彼が会社のお金を横領して姿をくらませてからすべてが一変してしまう。
琴音まで彼と一緒に横領の片棒を担いでいたんじゃないかと疑われたのだ。警察で事情を話して身の潔白を信じてはもらえたけれど、会社の同僚たちの琴音を見る目はそれを機にがらっと変わってしまった。
みな口には出さないが、心の中では琴音のことを疑っていたようだった。琴音だって、彼に貸していた百万円が返ってこなくて大損なのに。
それで会社にいるのが辛くなって、先月仕事を辞めたばかりだった。
その後転職先を探して転職サイトやハローワークを頼ってみたけれど、結果は散々。
それでもう何もかも嫌になって、とにかく現実から離れたくて。なけなしのお金を持って長距離バスに乗り込むと、京都へと一人傷心旅行にやってきたのだ。
「でも、その京都でも散々な目に合うなんて、疫病神でも憑いてるんじゃないの? この分だと、予約した店もやってないかもね」
やぶれかぶれにそんなことを呟きながら祇園を抜け、ようやく目当ての店に到着する。そこは静かな住宅街にある小さなお店だった。
(ええ……とても静か。っていうか、明かりすらついていないんだけど)
案の定、店はしっかりと戸締りがしてあって、窓から覗くと店内は真っ暗だった。
営業してそうな気配はまるでない。
慌ててスマホで確認すると、予約は明日の日付になっていた。そして今日は定休日。ここまでずぶぬれになってまでやって来たのに、まったくの無駄足になってしまった。
「……あーあ」
なんだかもう、何もかも嫌になってしまう。
これで今日の宿だけじゃなく、夕飯の予定も消えてしまった。
これからどうしよう。しばし悩むものの、閉まっている店の前で雨に濡れながらたたずんでいても仕方ないので、琴音は元来た道を引き返すことにした。
再び祇園の石畳の上をキャリーバッグを引いてとぼとぼと四条河原町の駅へと向かって歩く……のだが、急にがくんんとキャリーバッグが重くなった。
あれ? と思ってキャリーバッグを調べてみると、車輪が一つ壊れて外れている。これじゃあもう引っ張ることもできやしない。
琴音はやれやれと、キャリーバッグを両手で抱きかかえ歩き出す。引っ張っているときは感じなかった重みが、ずしりと両手にのしかかってきた。
キャリーバッグは想像以上に重く、数歩もいかないうちに雨でかじかんだ手が滑って石畳の上に落としてしまう。
落ちた衝撃でキャリーバッグが開き、中に入っていた着替えが石畳に散らばる。
不運つづきもここまでくると憤りを通り越して、呆れるしかない。
着替えもすっかり雨に濡れてしまった。これじゃあ泊まるところが見つかっても、乾いた衣服に着替えることすらできない。
もうこのまま何もかも捨ててしまいたい気分になるが、自分の服やら下着やらをばらまいた状態で放置しておくのもさすがにまずい。
琴音はしゃがんで散らばった荷物を拾うとキャリーバッグに詰め戻した。ふたの上に片膝を載せて力任せに押し込めようとする。
けれど、私これどうやって中に全部納めていたんだろう? と不思議になるくらいキャリーバッグはパンパンで閉まらなかった。
どうしようもないので、開いたままのキャリーバッグを抱えあげると、琴音はとぼとぼ歩き始める。
(本当に、どこまでついてないんだろう。どこまで惨めなんだろう、私……)
数々の不安な出来事が次から次へと思い起こされて、涙がぽろぽろと頬を伝い雨と混ざった。でも両手がふさがっていてそれを拭うことすらできない。
立ち並ぶ祇園の風情ある町屋のたたずまいを、楽しむ余裕なんていまの琴音にはまったくなかった。周りの雅な風景が、よけいに惨めさをつのらせる。
もうすべてが嫌になりそうになった、そのときだった。
その町屋の一角で、ポッと小さな灯りがともるのが目の端に映った。




