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ボクとセンパイとワタシ  作者: やんしゅ鷗
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第一章 ようそこ〝すーぱー〟演劇部へ


 僕達姉弟と(あか)(がね)先輩との最初の出会いは、気持ちの良い青空が広がる四月の空の下、お世辞にも快適とは言えない満員電車の中でのことだった。その日僕は、朝のゴタゴタのせいでいつも乗っている電車に乗り遅れてしまい、仕方なく背広姿のサラリーマン達に押し合いへしあいされる羽目に陥っていたのだ。

 「うぅ~、こんなことになったのも黒亞(くろあ)のせいだ」

 揉みくちゃにされながら恨みがましくも僕は呟く。近くにいたサラリーマンが目線だけこちらに向けてきたが、小声だったのでその内容までは聞こえていないはず。

(私のせいじゃないわよ。全ては白亞(はくあ)がだらしないせいでしょう)

 声が聞こえる。だがその声はこの電車内にいる人達の耳には決して届くことはないだろう。なぜなら黒亞の声は、僕の頭の中だけに聞こえてくる声なき声なのだから。

 「家を出る直前でああだこうだと言いだしたのは黒亞じゃないか」

(あんな寝ぐせだらけの頭で人前に出ろって言うの。あんた、私に恥をかかせる気?)

 「恥をかくのは僕であって黒亞じゃないでしょう」

 (同じことよ)

 「だからって……」

 思ったより声が大きくなってしまったらしく、気づいた時にはいくつかの視線がこちらに向けられていた。こいつ大丈夫か、という空気も少し感じられる。顔が赤くなるのを感じ、たまらなくなってうつむいた。またやってしまったと内心深く反省する。

 (ふん、言わんこっちゃない)

 鼻を鳴らして馬鹿にするように言う黒亞の言葉にも声を返すことなく、ただただ僕は電車に揺られていた。事件が起こったのはそんなときである。

 「……いっ!」

 背筋を伸ばし、反射的につま先立ちとなった僕が悲鳴を上げかけると、すぐさま黒亞が異変に気付き声をかけてくる。

 (なにどうしたの、変な声出して?)

 春先の満員電車内はかなりムッとしていたにもかかわらず、冷たい汗が僕の背中を流れていく。多分全身に鳥肌も立っているはずだ。

 言うべきかどうか逡巡し、意を決した僕はそれでも囁くように言った。

 「ち……ちか……」呼吸をなんとか整え、絞り出すように僕は言葉を紡ぐ。「……痴漢」

 (は?)

 「痴漢……されてる」

 (誰が?)

 「……僕が」

 自分で言ってて死にたくなる。脱線事故でも起こってくれないかと願い、それでは他の乗客の皆さんの迷惑になると気づき思い直す。反省するのでどうか神様、この哀れな子羊をお助け下さい。

 (神は死んだわ)

 無情に言い放つ黒亞の言葉通り、僕の臀部にあてられた手が動きを止めることはなかった。混み合っているためまともに振り返ることもできないので、その手の主が男性か女性かもはっきりとはわからない。まあそのどちらであっても僕の臀部が撫でられているというこの異常事態に変わりはないのだ。まずは落ち着こう。落ち着いて状況を判断し、この危機を脱する計画を立てるのだ。

 作戦その一、大声をだす。

 (痴漢はされなくなるだろうけど、あんたにもそれなりのダメージはあるでしょうね)

 僕が女性だったらこの手も使えたのだろうが、さすがに痴漢に遭ったなどと主張するのは抵抗がある。黒亞の言う通り、最悪の場合僕自身が変態扱いされても不思議はない。

 作戦その二、力づくで止めさせる。

 (ミスター虚弱体質のあんたにそんな真似ができるとは思えないけど)

 困ったことにグゥの音も出ない。たしかに腕相撲ですら今まで誰にも勝ったことがない僕が、凶暴な痴漢相手に立ち打ちなどできるわけもない。なにより怖いし。

 (凶暴かどうかなんてやってみなくちゃ判らない思うけど)

 「……やるってなにをだよ?」

 作戦その三、泣き寝入り。

 (……情けなくて私が泣けてくるわ)

 目的地である四城学園の最寄り駅まであと数駅。尻を触られるぐらいなんぼのもんじゃいと恥辱に耐え、男らしく黙ってやり過ごす。男として、というよりも人としての大事なものをいろいろと失う気もするが。

 (代わってあげようか)

 黒亞の提案は魅力的だったが、差し出されたその手をとることがどれほどの犠牲を伴うかということを僕はこの身を持って痛いほどよく知っている。

 「駄目だよ、騒ぎは困る」

 (女々しい男。ケツを触られるのも無理ないわ) 

 ケツっていうな、生々しい。

 仕方がない、臀部を撫でまわされようとも死ぬわけでもないのだ。僕が自分にそう言い聞かせようとしたまさにその瞬間、ようやく神様がその重い腰を上げてくれた。

 金髪碧眼の、王子様の姿となって。  

 「その薄汚い手を彼女から離したまえ」

 電車内の端から端まで響き渡りそうな凛とした声と共に伸ばされた白く形の良い手が、僕の臀部を撫でる痴漢の手首を掴み捻りあげる。続けて上がったのは中年男性の皺枯れたた悲鳴だ。床の上に組み伏せられているのはいかにも中堅サラリーマンといった容貌の太った男性であり、そしてその男を抑え込んでいるのは、輝くような金の髪と蒼い瞳をもつまさに絵本から飛び出してきたかのような美しい若者だった。

 その気高い美しさに思わず僕は見惚れてしまう。王子様は呆然と立ちつくす僕に優しく微笑みかけ、そして言った。

 「大丈夫かい、お嬢さん?」

 お嬢さんではありませんと頭の隅では思ったが声にならず、ただ頷くことしかできない。

 「そうか、それは良かった」

 電車が次の駅に到着し、扉がゆっくりと開いていく。王子様は痴漢男の腕をとって無理やりその身を起させると、喚く中年男など意にも介さずにそのまま電車から降りていった。

 「安心してくれたまえ。この男は私が責任を持って駅員に引き渡しておくよ」

とても自然なウィンクを一つし、王子様は言う。扉が閉まる直前、車内の乗客全員から一斉に拍手の音が鳴り響いた。舞台を後にする役者のように一礼する王子様の姿に、僕は思わず呟いた。「本当にいたんだ……王子様って」

 (はぁ?なに言ってんのあんた)そんな僕に心底呆れた様子で黒亞が言う。(あの制服が目に入らなかったわけ。あれ、どう考えても女じゃん)  

「……わかってるよ、そんなこと」


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