part4
南校舎三階の一番奥。放課後の美術室に白石さんはいた。
夕焼け色に染まる教室の隅で彼女は何やら難しい顔を浮かべながらキャンバスに向かっている。
「ねぇ、白石さん」
何度か声を掛けると白石さんはようやく気付いてくれた。
「……あぁ、高見さん。もういいの?」
「うん。長い間ごめんね」
私はそう言ってカバンから図書室の動物図鑑を取り出し白石さんに手渡した。
「ありがとう」
白石さんはパラパラと図鑑を捲り出す。
イヌ、ネコ、ネズミ、ツバメ、ゾウ、カラス、キリン……白石さんは黙々と1ページ1ページ何かを探すように丁寧に読み込んでいく。
用は済んだと思いそっとその場を立ち去ろうとした時、「ねぇ」と白石さんに呼び止められた。
「何?」
「高見さんさぁ、何かオススメの動物いない?」
「オススメ?」
「うん。この前も言ったけど次の絵のモデルにピッタリの動物」
白石さんはデッサン用のペンでおでこを掻きながら聞いてきた。
「えっ、そんな、分からないよ。私絵とか描かないし……白石さんがどんな絵を描きたいかも分からないし……」
私は両手と頭を振り答えたが、白石さんはあの有無を言わせぬ口調で「いいから。好きな動物言ってよ」と言ってきた。
何だか、相変わらずだなぁ。私が言うのもなんだけど通りで友達いないわけだよ。
どの動物を言おうか、本当はもう決まっていたが敢えて少し悩んだ振りをした。
あまりに直ぐにあの動物を言うのは何だか気味悪がられるような気がしたからだ。
「……ターシャとか?」
私は恐る恐る口にした。考えてみれば誰かにターシャの事を教えるのは初めてだ。
「ターシャ?」
白石さんは索引からターシャのページを探す。
「217ページだよ」
「えっ、いちいち覚えてんの? 何かキモイね」
白石さんはそう言って可笑しそうに笑った。恐れた甲斐なく結局キモがられてしまった。
だけど、ページを開いた白石さんはターシャを見て「えっ、可愛い」と呟いてくれた。
「高見さんはこのターシャって猿が好きなんだ」
「……うん」
「メガネザルの仲間なんだね。」
「そうだよ」
クラスメイトならここで悪気無く「じゃあ高見さんと同じじゃん」とか言ってからかってくるだろう。もし白石さんもそういう人だったらもうすぐに帰ってしまおう。
そんな事も考えていたが白石さんは「ふーん」と呟いたきり何も言わずただ黙って図鑑に載ったターシャの大きな目を見つめていた。
しばらく沈黙が続いたのち「……あのさ、高見さんって放課後忙しかったりする?」と突然、白石さんは聞いてきた。
「えっ? あっ、いや別に何も無いよ」
私がそう答えると白石さんは少しぶっきらぼうな口調で言ってきた。
「ねぇ、じゃあさ、これから放課後ちょっと私に付き合ってよ」
「えっ?」
「絵って観察だし、対象を理解することから始めなきゃいけないの……だから、これから暫くターシャの事について色々教えて欲しいっていうかさ……」
白石さんがブツブツそんな事を呟いていると、突然美術室のドアが開いて誰かが入ってきた。
「おやっ? 珍しい。白石さんがお友達を連れてきている」
入ってきたのは去年赴任してきたばかりの美術の先生だった。名前は確か藤野先生。白髪だらけの頭にべっこう色の眼鏡、いかにもお爺ちゃんといった風体に穏やかな性格。賛否別れる人ではあるが私は結構好きな先生だった。
「あぁ、もう! 別にそんなんじゃないから!」
白石さんは先生に向け怒った。その頬がほんのり紅かったのは夕陽のせいだろうか。
「キャンバスを挟んで向かい合っておきながら友達じゃないなんて通用しませんよ。こんにちは。あなたは白石さんと同じクラスの高見さんですね。美術部にようこそ」
先生はそう言ってにっこり微笑みかけてきた。
「あっ、いやっ、ごめんなさい。別に入部希望って訳じゃないんです」
私が慌てて訂正するも、先生はゆっくり頭を振り「あぁ、いや、そんなこと構いやしませんよ。こうやって白石さんと仲良くしてくれるそれだけで充分です。ありがとう」と言い、また笑った。
「ねぇ、もう先生、何なの? 何か用事があってきたんでしょ?」
白石さんはそう言ってプリプリと怒った。
何というかこんな白石さんを見るのは初めてだ。いつも素っ気なくどこか冷たい印象がある人なのに先生の前だとまるで子供だ。
なんとなくだけど、白石さんは先生の事が好きなんだろうな。そんな事をふと思った。
「あぁ、そうでした。白石さん。今度の文化祭出品用の作品はどうですか?」
先生は眼鏡を掛け直し、白石さんをじっと見つめた。
「あぁ、もう! これから描くとこ」
白石さんは憮然とした表情で応えた。
「……ふぅ、まぁ、それならよろしくお願いしますね。くれぐれもカラスは一旦卒業ですよ?」
「分かってるって」
そっぽを向き答える白石さん。先生は小さく息を吐いた後、私にだけ軽く苦笑いを見せ教室を出て行った。
ドアの閉まる音が響く。
ふと訪れた静寂を破るように白石さんは「そういう訳だから」とだけ言いターシャのページを開いたまま、キャンバスに向かった。
「ターシャってどこに住んでるの?」
白石さんはデッサン用のペンを選びながら聞いてきた。