part2
ある日の放課後、いつものように図書室で図鑑を読み漁っていると後ろから声を掛けられた。
「ねぇ、高見さん。それ、いつまで読んでんの?」
振り向くと、同じクラスの白石さんがほんの少し不機嫌そうに私を見ている。
「図鑑。私毎日ここに来てるのにいっつも先に読んでるよね」
「あっ……ごめん」
思わず謝ると「別に怒ってるわけじゃない。いいって」と言い白石さんは唇の端をゆがめた。後から思えばあれは彼女なりの笑顔だったんだと思う。
彼女は白石瞳さん。同じクラスだけど一度も話したことない。いつも教室の隅でつまらなそうに窓の外を眺めていたり、ノートに何か絵を描いていたりする。
私と似ていて、クラスの誰とも繋がっていない人だ。だけど私と決定的に違うところがある。それは彼女自身がそのことを露ほども気にしていない所だ。
給食の時間一人外れた席で食べている時も、体育の時間先生とペアになり体操をしている時も彼女は淡々と学校生活を過ごしている。
いつも独りの彼女だが、そんな彼女を憐れんだり嘲る子はいない。
むしろ逆だ。美術部に所属している彼女は、県大会の常連で時には全国大会にも出品され表彰されている。大人たちに才能を認められ、同級生と一線を画す場所にいる彼女は孤独というより孤高。沢山の生徒から憐れみというよりは羨望の眼差しを送られている。
私もそんな彼女を羨むその他大勢の一人だった。
羨望どころか憐みの目すら向けて貰えず、強いて言えば時々暇潰しの悪意だけ向けられて、そしてそんな事を先生からは気付いてすら貰えずにいる。それが私だ。
さっきは“私と似ていて”とかって言っちゃったけどこうして考えてみると、私と白石さんって全然違う。
白石さんは脇に抱えていたスケッチブックを机の上に置き「今日も負けちゃった」と呟き隣に座った。
「ねぇ、ごめん。本当。いいよ、これ」
私が慌てて図鑑を差し出そうとすると、白石さんは「いやっ、だから、いいって」と受け取るのを拒んだ。
「でも……」
「別に急いでるわけじゃないし」
「……ごめんなさい」
「……怒ってないって言ってんじゃん」
そう素っ気なく言う白石さんの声はどう聞いても怒っているように聞こえる。
これ以上謝ってもさらに怒らせるだけになってしまいそうだ。
「動物……好きなの?」
何となく聞いた私の質問に白石さんは何も言わず私の方を見てきた。ほんの少しの沈黙が続いた後、彼女はふと笑い言った。
「……嫌いじゃない。人間よりは好きかも」
キツイ口調とは裏腹にその笑顔は今まで見てきた白石さんの笑顔の中で一番魅力的だった。
思わず「分かる。私も」と返すと白石さんの笑みはより深まった。
もしかして、まさかだけど、白石さんと仲良くなるチャンスなのかもしれない。
私ははやる気持ちを抑え、次の言葉を考えた。
えっと、仲良くなるには何て言って話を続ければいい……?
「じゃあこれって絵の為の資料?」
私の言葉に白石さんは「そうそう。次の絵に必要でね。凄い。何で分かったの?」と目を丸くして驚いた。
「よく美術部の人が図鑑とか写真集とか借りに来るから……」
「ふふっ、図書委員より図書委員じゃん」
目を伏せる私に白石さんは悪戯っぽく笑いかけてくれた。
誰かとこんなに長い時間話したのは久しぶりで、だからこそだろう、ついつい私は油断してしまった。
「次の絵もカラス?」
言った後に気付いた。しまった。この質問は白石さんには禁句なのだ。
案の定、途端に白石さんはむっすりと黙り込んでしまった。
あぁ~しまった。これまでクラスメイトが同じ質問をして白石さんを怒らせる場面を何度も見てきたのに。
――白石さんはカラスの絵しか描かないのだ。
この前も県の美術大会で優秀賞を受賞し、学校の廊下にも張り出されていた彼女の絵はやはりカラスの絵だった。
カラスが大空に飛び立つ瞬間を捉えた絵で、細かい技術とかは私にも分からないけど、とにかく澄んだカラスの瞳が印象的に残る絵だった。
生きていることの喜びを全身で表現するカラス、その瞳は私にはターシャよろしくカメラのフラッシュのように眩しく見えた。
本当に、それこそ死にたくなるくらい。
「……あの、『飛翔』だったよね? あの絵のタイトル。あれ凄い上手だったから……気に障ったならごめんなさい……」
「……あぁ~もう怒ってないって。あと上手とかそういうのも要らない」
白石さんはそう言って鬱陶しそうに髪を掻き上げた。
私達の間に気まずい沈黙が流れた。
折角の仲良くなるチャンスだったのに……。
肩を落とし諦めかけたその時、白石さんはふと「あのさ、もうカラスは卒業するつもりなの」と呟いた。
まさか話し続けてくれるなんて思わなかった私は何とか舌をこねくり回し「卒業?」とだけ辛うじて返した。
白石さんは暫く何か考え込むような顔をした後「……まっ、いいや」と呟き、続けて言った。
「とにかく、絵の為にその図鑑が必要なの。悪いけどさ、その図鑑読み終わったら、今度は私に貸してよ」
「えっ?」
「私、普段は放課後ずっと美術室かここだから。じゃあよろしく」
「いや、ちゃんと貸し出しの手続きしないといけないし……」
「面倒臭い。どうせそんな図鑑、私か高見さんか位しか読んでないんだからいいじゃん」
有無を言わせぬ口調でそう言うと白石さんは自分の荷物を持ってさっと席を立って行ってしまった。
図書室を出る直前、彼女は私の方を振り返り言った。
「あのさ、私本当に怒ってないから。只こんな話し方しか出来ないだし気にしないで。じゃあね」
そう言って白石さんは少しだけ微笑んだかと思うと逃げるように去っていってしまった。
図書室に一人取り残された私。いつもと同じ景色に戻ったはずなのに妙に寒々しく映る。
ただ同時に胸の真ん中にポカポカと暖かい灯りがともる。
白石さんに嫌われなかったこと、何年ぶりに誰かと約束をしたこと。
そんな事を想うと胸の動悸が早まっていく。
「ターシャ。ごめんね。明日からはしばらく会えないかも」
私の呟きにページの奥からターシャが“分かったよ。しょうがないなぁ”と応えてくれる。
そんな事を考えニヤつく私をからかうように、すっかり陽が落ちかけた窓の外からカラスが一羽短く鳴いた。