アニオタ、古傷が痛む
武術の修行に終わりはない。
どんなに強くなろうと、どんなに達人として名を知らしめようと、修行にゴールはあり得ない。
それは、武術というジャンルが、無限に人を成長させるものであるからだ。
成長というのは、強さの面だけではない。精神的な面もそうだ。ただの武力闘争の道具ではなく、人間という生き物の行き着く果てを求め続ける「学問」としての側面を持つ。
この稀有な文化を生み出したのは、日本や中国といったアジア諸国であるが、この二カ国の武術に対する見方もまたそれぞれ異なる。
日本では、武術を「神域に近づくための修練」と考える。
中国では、武術を「人をして人を超えた域に心身を成長させる学問」と考える。
後者の文化である中国武術を学ぶ伊勢志摩常春もまた、自分が人間であると踏まえた上で、人間の常識を超えた力と精神を学ぼうと不断の修練を重ねる者の一人であった。
毎朝四時に目を覚ましてから、拳法の練習。夕飯前、まだ空腹の状態で行う気功の練習……「鍛錬」は、もはや飯を食って歯を磨くのと同じ「習慣」になっていた。
夏休み明けの学校を出て、『正伝聯盟』にて武術の指導をしてから帰り、現在夜七時。
常春は自宅のマンション近くにあるうらぶれた公園の木の下で、静かに気功を練っていた。
常春はすでに、子供とは思えないほどの武術の功夫を得ている。師をして「天才」と言わしめる類い稀な才と、常春本人の絶え間ない修行の結実であった。
しかし、それでも修行は続く。
今、常春には、武術家として重要な選択を迫られている段階にあった。
それは、「究極の一つ」の選択。
常春の蟷螂拳は、確かに常人を大きく逸脱している。
しかしながら、武術史に強く名を残している達人たちは、みな、ある条件を持っている。
それこそが「究極の一つ」——すなわち、極限まで極め抜かれた「一つの技能」である。
中国人には、数の多さを誇る思想がある。その思想は中国武術にも少なからず反映されている。現に蟷螂拳には、結構な数の套路が存在する。
けれども、昔日の達人たちはみな、極限まで練り上げた一つの技……すなわち「究極の一つ」を持っていた。
常春は蟷螂拳一筋で今まで修行を続けてきた。
しかし、その「蟷螂拳」という枠内で考えるなら、常春は全ての技術を広く、そこそこ深く身につけているという状態。
弱点は無いが、突出した特技も無い。
つまるところ、常春は今なお「究極の一つ」を持っていないのだ。
良く言えばオールラウンダー。
悪く言えば器用貧乏。
武術史的な観点から見れば、常春はまだ「名手」としての条件を満たしていないのだ。
「究極の一つ」は強い。
いくつもある槍の套路を省き、基本の三つの槍法のみを練り上げた末に「神槍」と呼ばれた李書文、
『崩拳』という一つの技を何年も練り続け、その一発だけで人を殺せるほどにまで高めた郭雲深、
初太刀を徹底的に鍛え上げた結果、新撰組をも身構えさせるほどにまでその名を轟かせた示現流、
縦一閃に斬り下ろすだけの剣技で万法を打ち破るに至った、柳生新陰流や小野派一刀流、
一つのことを極め抜くことの強さは、このように歴史が証明している。
無論、「自分は争うためでなく、自己の人間性を高めるために武術をやっている」「武術という貴重な伝統文化を絶やさず、次の世代へ繋げる橋渡し役になろう」という意識で武術をやっている人間は、師の教える技を墨守していれば良いのかもしれない。
けれど、少なくとも常春はそうではない。伝統を守ろうという意識はあるものの、戦うためという前提を決して離れない。
常春にとって、無力さとは「悪」だった。
武器を捨てれば相手は引き下がる、命乞いをすれば見逃してもらえる、首を差し出せば相手は憐憫を覚えて引き下がってくれる……それらの考えが絵本じみた都合の良い夢物語であることを、常春は歴史と経験則から嫌という程知っている。
強者と弱者の間に、交渉も選択肢も存在しない。
強者は欲しいままに弱者から奪い蹂躙し、弱者はただ泣き寝入りする他ない。
そうでないのなら——なぜ「彼女」は死んだのだ?
常春の脳裏には、一人の女の姿があった。
両手足を縄で縛られた自分。その向かい側には、自分と同じように拘束された「彼女」の姿。
無抵抗な「彼女」に群がり、ありとあらゆる類の狼藉を「彼女」の心身に働く、六人のならず者達。
「彼女」の矜恃と尊厳と大志が、命もろとも殺されていくさまを、自分は見せつけられた。
——気が乱れた。
「…………ごめんね、レーナ」
記憶に再度蓋をしようとするが、時すでに遅し。
一度蓋を開いた入れ物からは、遠き日の記憶の芳香と腐臭が香り、当時の幸と不幸を否応無しに想起させた。
——エレーナ・ヤロスラヴォヴナ・ロゴフスカヤ。
四年前、常春が心から愛し、そしてあまりにも残酷な形で別離を迎えた女性。
彼女と恋人として過ごした、たった七日間のことを。




