宗方頼子という「武術家」
楽しい夏祭りも、時間が経ってしまうとその空気に慣れてしまい、さほど興奮もしなくなるものだ。
何より、常春たちはまだ学生である。あまり遅くまで外出しているのは褒められたものではない。
そういうわけで、常春たちは熱気と光にあふれた祭りを抜け、帰宅のため夜道を歩いていた。
時刻はすでに夜の九時半を過ぎている。腕の立つ常春や戦女神ならばともかく、頼子に夜道を一人歩きさせることは気が引ける。
そういうわけで、三人で横並びで歩いていた。
金髪の生徒会長は、常春と頼子のことをたいそう気に入ったようで、よく楽しげに話題をふってきた。二人はそれに微笑混じりで対応していた。
やがて、頼子の家まで到着。昭和情緒漂う日本家屋の引き戸を開けると、寝ずに待っていてくれた小夜子がそのシワの走るかんばせに笑みを浮かべていた。「常春ちゃんなら、一緒にお泊まりしても良かったのよ?」と冗談めかしたことを言ってきたため、頼子が真っ赤になって否定した。
何か言いたげな——というより羨ましげな——顔をした頼子に見送られながら、常春は戦女神とともに宗方邸を後にした。
彼女の金髪は、夜の闇の中にあってもまばゆく見えた。
あらゆる意味でキラキラなその忍者は、和洋折衷な美貌に意地悪そうな笑みを浮かべながら、
「んっふっふ、二人きりだねぇ。襲われやしないかと心配になってしまうなぁ」
「ははは、心配しなくてもいいよ。多分僕が負けて死ぬと思うから」
「謙遜なさるな。分かっているぞ? すでに君の実力が普通ではないことを。それと……」
キラキラ忍者は、そこで言葉を濁した。
いくつかの拍子を開けてから、先ほどとは違うやや真剣な語気で問うてきた。
「あの可愛い子、宗方くん、だったか。…………彼女、武術を学び始めてどれくらいになるのだったかな?」
「一ヶ月経つか経たないか、ってくらいの期間かな」
常春が素直に告げると、金髪のくノ一は少し非難のニュアンスを込めた口調で言葉を返した。
「————嘘を吐くのは良くないぞ?」
常春は一笑し、彼女の言葉を否定した。
「嘘じゃないよ。本当に一ヶ月くらいなんだ。……それで「ああ」なんだよ?」
そんな常春の額には、汗が一滴浮かんでいた。……夏祭りが始まってから、一度も汗などかいていなかった常春が。
事態の異常性を常春も認識していると見た金髪くノ一は、内から湧き上がる興奮を押さえ込みながら、その異常性について詳しく言及した。
「中国拳法にはさほど詳しいわけではないが、彼女の見せたあの『弾腿』…………あれは一ヶ月やそこらで育てられるような練度ではないだろう。それくらいなら、私にだって分かる。……あの子、これまでにも武術の経験が?」
「ううん。まったく。僕が教え始めるまで、あの子の動きはまったくの素人だったよ」
「そうか……そいつはまったく、恐ろしくも魅力的な話だな」
キラキラ忍者は、参ったと言わんばかりに笑った。
常春と戦女神が畏怖していたのは——頼子の異常とも呼べる成長性。
芋虫が蛹という過程を無視して蝶になるがごとく、
植物が蕾という段階を無視して開花するがごとく、
孵化した卵から成鳥が誕生するがごとく、
宗方頼子というごく普通の女の子は、武術家として驚異的速度で成長していた。——師に「天性の才がある」と言わしめた常春をも超えるスピードで。
戦女神に追求されるまでもなく、頼子の「異常性」は、ずっと隣にいた常春が一番よく分かっていた。
「天才」という単語すら役不足に思えるほどの、圧倒的な武の才覚。
「伊勢志摩くん————あの子は、私と同じく『戈牙者』の血を引いている可能性が高い」
心臓を直接叩かれたようなショックを受ける常春。
だがすぐに正常な鼓動を取り戻すと、金髪のくノ一へ視線を移した。……常春の脳裏に浮かんでいるのは、自分に拮抗するほどの武の実力。
「君も、なのか」
「そうだ。私の母はアメリカ人だが、そのひい爺さんは442連隊の生き残りで、そして『戈牙者』だった。母にその能力が受け継がれることはなかったが、私は隔世遺伝という形で『戈牙の遺伝子』を受け継ぐことができた。……この私と同じように、宗方くんにも『戈牙者』の遺伝子が発現したのかもしれない」
——『戈牙者』という単語は、武術に通じる者の心に「羨望」と「畏怖」を生み出すものである。
鎌倉時代、モンゴル帝国による侵攻を、侍たちは辛くも食い止めた。しかし、それは当時の日本の戦力を在らん限り詰め込んで勝ち得た、決死の勝利であった。
日ノ本の今後を憂う一部の有志達は、日々進化し続ける海外の夷狄に危機感を覚えた。
そして考えた。単独で百人力に匹敵する、強者の集団を作り上げようと。
どれほど頑強な戦士でさえひと噛みで喰い殺せる、戈の牙を持つ神獣のごとき戦士を何人も生み出そうと。
そういう思想のもとに結成された集団こそが『戈牙』。
彼らは外界から隔絶された場所で里を作り、そこで「強者の生産」に心血を注いだ。
「強者の生産」のために、彼らは手段を選ばなかった。
定期的に武人同士を殺し合わせて力をつけさせたり、弱い一族には罰則を与えたり、武人として優秀な人間同士をつがわせてより強力な個体を生み出したりなどといった動物的行為にも手を染めた。……特に最後のは、強い男女同士であれば近親相姦すら厭わなかった。
外界からは「異常」と断ぜられる行為が、その里では常識のごとくまかり通っていた。
しかしそんな過酷な環境で育った戦士は、単独で外界の武士数十人分に比肩する、驚異的な戦闘力を持っていた。彼らは『戈牙者』と呼ばれ、恐れられた。
日本史の裏舞台では、必ずと言っても良いほど『戈牙者』の活躍があった。戦国大名はこぞって『戈牙者』を配下に引き入れ、江戸幕府は公儀隠密として雇い、幕末期では倒幕派の謀略のために利用された。
江戸幕府が崩壊し、日本が近代国家への道へ舵を切った後も、『戈牙』という前時代的な集団は存続し、政権と強いつながりを持ち続けた。
それが剥離したのは、第二次世界大戦で敗戦した後だった。GHQによる日本解体政策により、『戈牙』という戦闘集団も解体の憂き目に遭う。……それ以降、戈牙は日本から姿を消した。
けれど、日本史の裏側で活躍した『戈牙者』の遺伝子は、日本人や外国人の中にもばら撒かれていた。
それゆえ、日本人ないしその血を引く人間の中には、先祖返りという形で驚異的な武芸の才に目覚める人間が稀に現われるようになった。
「もし頼子が本当に『戈牙者』の血筋なんだとしたら…………このまま武術の学習を続ければ、いずれ僕よりも強くなる。それも、そう遠くないうちに」
常春は「天才」だ。
しかし武術の世界において、『戈牙者』という単語は「天才」以上の意味を持つ。
「宗方頼子は、「武の申し子」だ」
金髪のくノ一はそう断言する。
「しかし、才能があるから良い人生を歩めるのか? 否だ。才能があったって、それのせいで逆に不幸になった人間もいるだろう。それは武術の世界ではなおさらだ。才能と腕前に恵まれても、傲慢さや粗暴さのせいで命を落とした達人だってたくさんいる。まして、武術は人殺しのための技術。それで強くなってその才能を世の中に活かせるとしたら、その手段はやはり「殺し」だ。「殺し」は「非日常」。幸福な「日常」とは決して相入れない。…………ひい爺さんも言っていた。「戦場で殺した兵士の亡霊が自分の体をメッタ刺しにしてくる夢を、ときどき見る」とな」
その通りだ。
殺人とは本来、頭のおかしい人間のする行為だ。逆に言うと、軍人や兵士が国民から称えられるのは、自分たちを守るためにその汚れた行為を引き受けてくれるからである。地震や台風の被災者を助けてくれるからでは断じてない。
そして武術の修行とは、どうしても「殺し」の修行になってしまいがちだ。
常春は最近になって、ようやく後悔を覚えていた。
頼子が希望するから良かれと思って武術を教え始めたが、それはかえってあの子を奈落に引きずりこむ行為につながるのではないかと思い始めたからだ。……あの子は本来、「日常」の住人であったはずなのに。
でも、
「僕は、あの子の先生だ。あの子が道を踏み外しそうになったら、迷わず止める。そもそも……あの子は人を傷つけることを楽しめるような子じゃない」
常春は信じていた。
『ねぇ!? あんたの言う「日常」って何!? それって、あんたみたいにボロボロになりながら頑張ってる人達を排除して目を背けて、自分たちだけ平和の中でヌクヌクしようって連中の集まりなの!? だとしたら、そこにあんたの「日常」なんて無いじゃん! あんたは「日常」っていうお花畑に水をあげてるだけの部外者じゃん! あんたはそのお花畑に加われないじゃん! なら! あんたのための「日常」ってやつは、どこにあるっていうのよっ!?』
だって、あの子は言ったのだ。言ってくれたのだ。
あんただけが手を汚し続けるなんて嫌だ、あんたも「日常」の住人でいなさいよ、と。
実はあれを聞いて、常春はすごく嬉しかったのだ。
頼子を悪漢から助けた事を褒めるどころか非行少年のごとく咎めてきた、あの教師ども。「非日常」から目を背けて「日常」に逃げているだけの分際で、「非日常」の住人を都合良く聖人面で非難する幼児的な偽善者ども。
世間の大半を占めているそんな連中とは違い、彼女は清も濁も知った上で、自分を叱ってくれた。強力な力を持つ自分を恐れず、遠ざけず、厭わず、真っ直ぐ見つめて手を掴んでくれた。
だから、
「頼子は僕が絶対に守る。外の危険からも、内の危険からも」
すでに決めていることを、常春はあえて口にしたのだった。
戈牙は、ケンガンアシュラの呉一族、ケンイチの暗鶚衆みたいなもの。
しなこいと武装少女は、人間の品種改良によって起こる遺伝病のリスクとか書いてて面白い。




