アニオタ、武縁との再会を果たす
演武会開始まで、残り十五分。
普段は固く閉ざされている十喜珠神社の拝殿は、今は開け放たれており、内装が露出してまるでライブステージのようになっていた。
床は道場で使うのと同じ木材と構造であり、ちょっとやそっとでは壊れないように頑丈にできている。十喜珠朝涼は武神でもあるため、こういう武張った内装にしているのだ。ここまで綺麗に保たれているのは、定期的にメンテナンスをしているからであろうか。
その拝殿のすぐ裏には神殿がある。中には十喜珠朝涼が使っていた愛刀などの私物が封印されている。一度だけ窃盗集団の被害を受けたそうだが、不思議なことに盗まれたのは稽古着や襦袢といった衣類だけで、刀は無事だったという。
その神殿のさらに裏に、これから演武を行う武道家達が集まっていた。
「……なぜお前がここにいる? オタク野郎」
常春の目の前でひどく不機嫌そうな顔をしている槙村公平も、その一人であった。
彼と向かい合う常春は、苦笑混じりに、
「ご挨拶だなぁ、槙村くん。というか、ここにいるって事は、演武会に出るからに決まってるじゃないか。お互い頑張ろう、ね?」
「やかましい。馴れ馴れしく手ぇ差し出すな。掌の上に唾吐きかけるぞ」
んー相変わらず嫌われてるなぁ、と内心ちょっぴり落ち込みつつ手を引っ込める常春。
常春の方は、槙村に対してけっこう好意的な感情を抱いているのだ。自分に対する反骨心を糧にしてどんどんたくましく変わっていくのを見るのが好きだったりする。
「衛命流」と書かれた空手着に身を包んでいる槙村からは、不機嫌な波動こそ感じるものの、以前のような浮ついた気配が欠片も感じられなかった。以前はあれだけ下心を剥き出しにしていた頼子に対し一瞥すらしなくなっているのがその証拠である。
「槙村。あまり他流の方に噛み付くものではないよ」
穏やかな声色でたしなめたのは、眼鏡をかけた細身の優男である。
知性の色を感じさせる顔立ちと、ワイシャツとスラックスというその出で立ちには、学者然とした雰囲気がある。けれど黒いスラックスに包まれた脚は根を張るがごとき盤石さで土を踏んでおり、半袖のワイシャツから伸びる腕はやや焼けており、なおかつ硬質的である。どれだけ知的にマスキングしても、随所から覗ける鍛錬の裏付けは隠し切れない。
何より、常春はその人物を知っていた。
「下地さん、ご無沙汰しています」
「こちらこそ。久しく顔を合わせたね、伊勢志摩くん」
常春と優男——下地弘は、慣れ親しんだ口調で挨拶を交わした。
「槙村くんの新しい師匠って、下地さんだったんですね」
「こちらこそ、槙村がまさか伊勢志摩くんの友達であるとは知らなかったよ」
「ダチじゃないっすよ」
ふてくされたような顔で槙村が否定する。
下地はその様子を見て、確信を抱いた。
「なるほど。槙村、君が前に言っていた「どうしてもぶっ飛ばしたい奴」というのは……伊勢志摩くんのことだったのか」
槙村は答えない。けれど気まずそうに顔を背けるその仕草は、まぎれもなく是であった。
下地は、まるでヒマラヤの頂を目指す登山家を見送るような、そんな涼しい微笑を浮かべて言った。
「……槙村、随分と大きな山を登る決心をしたんだね」
「ほっといてくださいよっ」
言い捨てると、槙村はドスドスと常春達から離れていった。
そんな槙村と入れ違う形で、一人の少女が歩み寄った。槙村と同じ道着を着ているが、彼女は黒帯であった。
「ああ見えて、結構可愛らしいところあるんですよ。口は悪いけれど、頑張り屋さんですし」
鶴の双翼の飾りがついた髪留めによって一つに結えられた長い黒髪が揺れる。純和風といえる面立ちは、どこか下地に面影が重なる。
常春は彼女のことも知っていた。下地弘の娘、下地鶴羽である。
「鶴羽さんも、お元気そうですね」
「ええ。伊勢志摩さんこそ壮健そうで」
雅な微笑を見せる鶴羽。しかし天と並行に持ち上げられた右手の上には、そんな清楚な美しさとは不釣り合いな、巨大な蜘蛛が乗っかっていた。
「いやああああああああああああああああああああああああ!?」
それを見た頼子が、着替えの時と同じような悲鳴を上げて跳び上がった。風のような速さで常春の後ろに隠れる。
彼女の蜘蛛好きを知る常春は、苦笑をたたえて蜘蛛を指差し質問する。
「そのアシダカグモはどこで?」
「神殿の外壁を高速で這っていたので、逆ナンパさせていただきました。うふふ、あとで朝涼様にお返しいたしますわ。神社を護る大切な侍ですもの」
言いながら、左手人差し指でちろちろと蜘蛛の頭を撫でる和風美少女。
「常春ぅ、何なのこの人ぉっ……?」
一方、涙目で常春の背中に隠れ続ける頼子。
「あ、この娘は僕と同じ学校に通う宗方頼子さん。同級生であると同時に、僕の学生でもあるんだ」
紹介すると、鶴羽はおくゆかしい笑みを浮かべ「下地鶴羽と申します。以後、お見知り置きを」と丁寧に紹介する。
頼子は「……ども」と、怖がりな子供のように小さく頷く。
鶴羽が常春へ近づいてくる。同時にアシダカ軍曹も近づいてくるわけなので、頼子はぴょいんっと大きく距離をとった。
蜘蛛を持っていない左手を防音壁のように常春の右耳元に立ててから、甘い吐息とともにこそっと告げた。
「ところで伊勢志摩さん、いつぞやに初音ちゃんがお世話になったそうですね」
常春は鶴羽へ目を向ける。同じように、周りに聞こえないような小さい声で、
「……知っているんですね、初音の別の顔を」
「ええ。わたしともう一人、初音ちゃんの親友の孫麗剣ちゃんだけは知っています」
「麗剣さんとも知り合いでしたか」
「はい。うふふふ、世間って狭いですね」
上品に笑声をこぼす鶴羽。安堵したように緩んだ笑みを見せる常春。
「……む」
それを見て、頼子はなんだか胸がムカムカした。
またも自分が全く知らない女性。しかも、仲良さそう。
自分は毎朝暑い思いをしてまで常春に近づこうと頑張っているのに、知らない誰かにあんなにあっさり近づかれていることが、なんだかちょっとシャクだった。
手に持っている蜘蛛が怖いので、近づくのは気が引ける。だけど、ここは頑張らないといけない気がした。
頼子は意を決し、やや腰が引けた低い体勢で常春に近づき、恐る恐るそのシャツの裾を引っ張った。それに反応して、振り向く。
「あ、あのっ……もうすぐ、始まるんでしょっ、演武会……最後に、なんかっ、助言が欲しいかな、って……」
恐怖と必死さによって上ずった声で頼子が言う。すがるような上目遣いもまじえて。
パチパチと目をしばたたかせる常春とは対照的に、鶴羽は何か察したような微笑を一瞬見せると、至近距離ともいえた常春との距離をサッと離す。
「うふふ、そろそろこの方を神社に返してさしあげませんと。それではまた」
鶴羽はアシダカ軍曹とともに、神殿へとゆるりと去っていった。
(気を、使われた……?)
そう思いながら鶴羽の後ろ姿を黙って見送っていると、
「頼子?」
「わひゃ! な、なにっ」
「いや、そんなに驚かなくても……頼子が呼んだんだしさ。それで、欲しい助言って何?」
「え? ええっと、その……」
その場しのぎの出任せであったため、無論用件など考えておらず、頼子はしどろもどろになる。
けれど、おろおろしている間に、足元の不安定さに一瞬よろけてしまう。ぽっくり下駄を履いているからだ。
頼子はそこに活路を見出した。
「あ、あたしっ、下駄じゃんっ? これでどうやって演武すればいいのかなって」
それは今思いついた急ごしらえの質問であると同時に、本音でもあった。
ぽっくり下駄では、どう考えても武術の演武には不向きだ。習ってまだ一ヶ月ほどの頼子ではなおのこと。
「ああ、そのことね。大丈夫だよ、ほら、見えるでしょ? あの神社の拝殿に開かれた道場みたいな空間。あそこに上がって演武するんだ。だから裸足で大丈夫だよ」
「そっか……よかった」
とりあえず、履き物問題は解決した。
あとは、本番で存分に実力を発揮するだけだ。
とはいったものの、
(やっばい。なんか、緊張してきたかも…………!)
これから人前であの拳法を見せるのだと思うと、否が応でも緊張を覚えてしまう。ドジったらどうしよう。
ていうか、やばい。股がそわそわする。…………トイレに行きたくなってきた。
スマホを見る。時間は……あと十五分。
「ごめん常春、その…………トイレ、行きたいんだけど……」
「あ、うん。近くにコンビニがあるから、そこに行ってくるといいよ」
「ごめんね、すぐ戻るから」
言うやいわんや、頼子は小走りで神社を抜けた。
路肩に沿ってどこまでも伸びた祭りの黄色い光の中に、ほんのりと白い光を放つコンビニを見つけた。さらに足を早める。
「きゃ!」
だがその途中、横から出たきた誰かとぶつかる。
尻餅をつくかと思ったが、少しよろけただけで、重心の安定は保てた。鍛錬の成果だろうか。
一方、ぶつかった相手方は、よろけるどころか、微動だにしなかった。まるでゴムの柱にぶつかったような、ぶつかった衝撃のほとんどを吸い取られたような感触。
女子にしては長身な頼子と同じくらい、あるいは少し低いくらいの細身の男だった。
背筋に鉄棒を通したかのようにまっすぐ整った立ち姿勢。初老ほどの年代を思わせるその細面は、パッと見だと日本人っぽいが、よく見ると額から鼻筋までの彫りが深く、なおかつどこか丸みを帯びている感じがした。さらに額から一段下がったような位置で静謐に光るブルーアイズが、異国の色をいっそう強くあらわしていた。
「——Извините」
極めつけに、聞いたことのない言葉がその口から飛び出してきた。
「いずびにーちぇ」と聞こえた。これって何語で、何て意味だっただろう? 博学とはいえない頼子の教養では分かりかねた。
目をぱちくりさせる頼子を見て、その男は何かに気づいたように目をしばたたかせると、咳払いし、再び言った。流暢な日本語で。
「——すまない。大丈夫か?」
「え? あ、はい……こちらこそ、ごめんなさい」
「Да」
男は軽く一礼し、横を通り過ぎた。
今の返事を聞いて思い出す。……ロシア語だ。
去りゆく男の後ろ姿を、ぼんやりと見つめる。
その歩き方は、地面に引かれた一本の直線を常にまたいでいるかのごとく、整然としていた。そんな歩き方をする人間に、頼子は心当たりがあった。……常春だ。
あの人も、何か武術をやってたりするのだろうか。もしそうだとするなら、これから始まる演武会にも……
「って、いけないっ。早くおしっこしないとっ……!」
頼子は当初の目的を思い出し、さっさとコンビニに入っていったのだった。
ダーダー!




