アニオタ、特殊なアルバイトでお金を稼ぐ
「魔王軍」との一件から一週間とちょっと後。
日曜日となった。
この日は当然学校は休み。
だが休日中でも、部活に打ち込んだり、アルバイトに励んだりする者も少なくない。
——常春は、後者に含まれていた。
電車を降り、改札をくぐり、春の昼の陽気を感じながら街中を歩く。
バイト先への道を進むにつれて、周囲に立つ建物の背が低くなっていく。
行き交う人の中に、白人や黒人の割合が増えていく。
やがて常春は、そこにたどり着いた。
有刺鉄線の張られた背の高いフェンス。その向こう側に広がっているのは、こちら側とは情景が異なる街並みだった。
行き交う車両は一般乗用車や、トラック、軍用の装甲車などいろいろだが、それらはみな外国ナンバーであった。
標識や看板に書かれている言語も、全て英語。
そして、歩く人々すべてが、見るからに外国人だった。
情景の感じが異なるのは当たり前だった。
このフェンスから先は、日本ではないのだから。
遠くから聞こえるのは、遠雷のようなジェット音。戦闘機が離陸する音である。
そう。ここは日本の中にあるアメリカ——在日米軍基地である。
「次! 推掌轆轤手からの斜歩外亮捶」!」
萌え系アニメキャラTシャツにジャージズボンという格好をした、小柄な少年——常春が流暢な英語でそう鋭く発した。
とたん、常春の目の前に集まる十数人もの集団が、いっせいに指示通りの動きを行なった。
全員、常春よりも圧倒的に大柄な外国人たちだった。
彼らはみなフィットネス用の軽装を身にまとい、常春の指示に合わせて、技を刻んでいた。
「転身左圏捶!」
全員が動く。
「左斜番車式!」
全員が動く。
「右斜番車式!」
全員が動く。
彼らが行なっているのは、蟷螂拳の基本の套路である「小番車」。
全員、常春から教わった動きである。
——そう。この外国人たちは、全員常春から武術を学んでいる。
大半を占めているのは米兵だが、米兵だけでなく、FBIやCIAの関係者も何人か混じっている。
ここは、米軍基地内にあるジムの中。
常春の「アルバイト」とは——米軍や米関係者たちに実戦的な武術を教える「武術教官」であった。
常春がこの特殊なアルバイトを始めたのは、去年の夏くらいからだ。
米軍関係者の知り合いから、自宅のパソコンにメールが届いたのだ。
英語で書かれたそのメールの文面は「君の持つ優れた武術を、我々に教えてみないか?」というものだった。
その知り合いとは、師を通じて知り合った。なので、常春が師の武術の伝承責任者であることを知っていた。——当然、その腕前の非凡さも。
常春はちょっと悩んだ。英語は問題なく話せるが、自分が米兵の気に召すような教育ができるか分からなかったからだ。
それに、中国武術に対する世界の評価は賛否両論だ。
本当に強い者が、少数派だからだ。
多くの者は、西洋的に改変された空手や、ボクシング、総合格闘技などになす術なくやられてしまう。
原因はひとえに、文化大革命にて行われた、中国伝統武術への大弾圧であった。これによって多くの貴重な武術が失伝し、残った武術も実戦的機能性を抜き取られ、出来損ないばかりにされてしまった。
すでに文革は過去のことであるが、武術の殺人的技法に対しては、中国では今なお強いアレルギーがある。……これでは正しい伝承など望むべくもないだろう。弱体化は必然といえる。
だが本来、中国や日本といったアジアの古い武術は、小柄なアジア人でも十分に強くなれるように工夫がなされている。それは、五体満足であれば、誰であっても強くなれるということだ。
自分にはそれを知っている者として、この事実を世に広める義務がある。常春は、そのように思えたのだ。
それに、俗っぽい話だが、指導料の高さにも心惹かれた。
常春はアニオタという身分であるがゆえ、フィギュアやグッズを買うのに金がかかる身だ。高校生にしてこの破格の収入はありがたいと思った。
常春は「引き受ける」と返信。
しばらくして、住んでいる場所に一番近い在日米軍基地におもむき、指導することが決まった。
大佐が部下たちに「武術教官をやることになったトコハル・イセシマだ」と、常春を紹介した。
だが、いくら武術の腕前が優れていても、常春の見た目はヒョロヒョロでチビのナードそのものだ。部下たちはジョークだと思ってハハハと笑った。
論より証拠と思い、常春は前に出て、蟷螂拳の套路を披露した。
すると、部下たちの笑いが止まり、全員が常春の技を注視した。
套路を終える頃には、もはやおしゃべりをする者は誰もいなくなっていた。
しばしの沈黙の後、一人の白人の大男が前に出た。……のちにその大男が、一つの部隊の隊長であると聞かされた。
「イセシマと言ったか。確かに君の技には感服したが、パフォーマンスだけでは実力は分からない。だから、私と試合をしよう。君が我々から高い指導料を取るに値する実力があるかを見極めさせてもらう」
隊長の言葉に、常春はニッコリ笑って「All right」と言った。
二人は向かい合う。
大佐の合図とともに、試合は始まった。
隊長は空手の有段者で、ボクシングにも深く通じていた。
隊長はまず小手調べにとジャブを放ったが、それが最初で最後の攻撃となった。
常春の姿が消えた——と思った瞬間には、ハンマーで殴られたような衝撃が前足のスネに響いた。
常春がジャブを回避しつつ足を進め、隊長のスネを踵で叩きつけるように蹴ったからだ。斧刃脚という中国武術式のローキック。本気を出せばスネを蹴り折ることもできるが、それはできないので加減した。
バランスを大きく崩した隊長。常春は掴みかかると一瞬のうちにその巨体を組み伏せ、動けなくした。実戦なら、いつでも背中をナイフで刺せる状態だ。
「……降参だ」
隊長のその一言とともに、拍手が湧いた。
そうして、常春の武術教官入りが決まった。
以来、常春はこうして武術を教えている。
套路の練習はもちろんのこと、希望する者には、目を使わずに気配で敵を察知する修行や、暗闇の中でも目がよく見えるようになる修行や、気配を消して敵の背後に近づいて刺し殺す方法などを教えた。
「よし、今日はこれまでとする!」
やがて、今日の常春のレッスンは終わる。
練習生は各人汗を拭いたりしながら、帰る準備を進め始めた。
常春が汗一つかいていないのは、体力差ではなく、単純に武術の動きに慣れているからである。もし海兵隊がやるような訓練をすれば、さすがにへばってしまうだろう。求められている身体能力の種類が違うのだ。
「老師、水はどうですか?」
そう言って水入りのボトルを差し出してきたのは、去年に常春が試合で倒した隊長だった。あの日負けて以来、すっかり熱心な練習生となっている。
常春は手を左右に振って、
「大丈夫ですよ。僕はこれから帰りますから」
「そうですか。ところで……」
隊長は、常春のTシャツにプリントされたアニメ絵を見ながら、
「前から思っていたんですが、それは、何というアニメーションですか」
「ああ、「お茶立て町のお茶目なお茶屋さん」っていうんですけど、知りません?」
「いえ、全く。自分の知るジャパニメーションは、ハヤト・ミヤジマの作品だけなので」
「宮嶋隼人ですね。僕も面白いと思いますよ。でも「お茶茶茶」も面白いから、機会があったらぜひ視てくださいね」
軍基地に来てまで、布教活動を行うアニオタであった。