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アニオタ、痴漢の容疑をかけられる

 楽しい時間はあっという間だ。


 現在午後七時半。演武会まであと三十分。


 頼子は残念そうな顔をしてから、常春を伴って、十喜珠(ときたま)神社の後ろに広がる木立へと赴いた。


 着替えるためである。


 頼子がさっきから持ち歩いていた手提げ袋の中には、Tシャツとジャージズボンが入っていた。


「えっと……それなら最初からその服を着てくればよかったんじゃない?」


 常春にそう指摘されると、頼子はサッと頬を朱で染めた。


 浴衣を着て来て、後から運動着に着替える……なんと七面倒だろう。自分でもそう思う。


 でも仕方がないではないか。——浴衣姿を、見せたかったのだから。


 それを表立って言うわけにもいかず、頼子は唇を尖らせながらそれらしい理屈を言った。


「お、女の子は極力、おしゃれしてたいものなのっ」


「おお、なるほど」


 常春の納得する声を聞くと、頼子はそっぽを向いて「……ばか」と聞こえない声で呟いた。


 そういうわけで、着替える場所が必要になった。けれどそんな場所はなかなか無く、そのために、木という遮蔽物に満ちたこの木立へと訪れたのである。


 大きくありつつも、不気味なほどに静謐(せいひつ)な空気に満ちた林である。幾本もの太い杉が天高くまで梢を伸ばしており、夜闇の中だと無数の巨人の群れにも見える。けれど梢は見上げるくらい高い位置にあるため、乱立する幹の隙間から満月が見通せた。


 途中で、遠くの木陰に仲睦まじい若者のカップルが見えた。男女は木の幹に寄りかかりながら唇をねじ込み合っていた。男が女の浴衣の襟元に手を入れ始めたのを見て、頼子は真っ赤になって目を逸らした。


(な、何考えてんの…………こんなところで、は、はしたないっ)


 少しでも早く逃れようと、足並みを早め、ずっこけそうになる。やむを得ず、異常に夜目が利く常春にリードしてもらう。


 そうして少し歩き、「良さげ」な場所を見つけた。


 人一人が隠れられるほどの太い幹。その横には低木があり、葉の密度も濃い。身を隠すにはもってこいだ。


「絶対に覗かないでよ! 覗いたらぶっとばすからねっ」


「大丈夫だから。安心して着替えておいでよ」


 苦笑する常春に見守られながら、ほんのり朱に染まった顔の頼子は物陰に隠れた。


 彼が覗きをするとは、頼子だって思っていない。けれど、想い人の近くで肌を晒す事に恥ずかしさを禁じ得なかった。


(……いや、二回くらい見られてたよね、裸)


 思い出してかーっと顔が熱くなるのを感じた頼子はブンブンとかぶりを振り、ええいままよとばかりに帯を解いた。「三度目」が起きないことを祈ろう……


 しゅるる、という衣擦れ音とともに腰が緩む。さらに浴衣をはだけさせ、とうとう下着姿になってしまった。


 夜闇の中でも発光しているように目立つ白皙(はくせき)の肌。砂時計のような曲線美。

 大きく形の良い胸と尻を整えるように包み込んでいるのは、紫色のブラとショーツ。花柄と紫という組み合わせは上品さと妖しさを醸し出しており、いかにも「オトナの女」って感じの下着である。それを並のグラドルが霞んで見えるほどのプロポーションを誇る頼子が着用しているのだから、普通の男が見れば理性に猛毒であろう。


 そう、紛れもなく「勝負下着」と言える気合の入ったものであった。


(ばっかじゃないのっ…………なんでこんなの選んでんだあたしっ……!)


 一体この祭りに何を期待したというのか。無意識のうちにこのチョイスをした自分の潜在意識を問い詰めたい気分であった。


 一刻も早くこのオトナ下着を視界から消し去りたい。そう思ってそそくさと浴衣をたたみ、手提げ鞄の中の着替えと交換しようとした。


「へ…………?」


 そこで、自分の右腕に、妙な虫が立っているのに気付く。


 黄色と黒の縞模様の蜘蛛。


 たしかジョロウグモといったか。


「きゃあああああああああああああああああああああ!?」


 絹を裂くような頼子の悲鳴が、静謐な木立の空気を激震させる。


「やめて! はなれて! やだやだやだあああああ!!」


 涙を浮かべながら腕をブンブン振り回す。


 それが功を奏し、蜘蛛は頼子の手から離れて地面に落ちた。


 蜘蛛問題はそれで解決したのだが、次なる問題が起こった。


「どうしたの、頼子っ!?」


 長年の危機察知能力が、常春を反射的に突き動かした。


 兵は拙速を尊ぶ。戦士としては正しい判断であった。


 だが、男としては至らずであった。常春はまず最初に、何があったのかを呼びかけるべきであった。拙速を(たっと)ぶ精神が思わぬ判断ミスを呼んだ。


「……あ」


 しまった、と思ってももう遅い。


 「三度目」が起きてしまっていた。


 常春の目には、下着姿の頼子がしっかり映ってしまっていた。


 大人っぽい紫の下着が、彼女の豊満な部分に形良くフィットしている。


「き……」


 今まさに頼子が再び悲鳴を爆発させようとする、一瞬前に、


「——っ!!」


 殺気。


 同時に、鋭い圧力。


 常春は身をかわした。人間大の塊が風のごとく真横を通過する。


 否。人間だった。


 夜行術を心得ている常春の目には、暗闇でもその人物の装いが明確に視認できた。


 常春と同い年ほどの美少女。生え際から末端まで金一色の金髪ストレートヘアだが、顔立ちは凛とした東アジア人のものだ。美麗と言っていい華やかな容貌だが、纏っているのは手首足首まで藍色ずくめという華やかさもへったくれもない地味な衣装。


 その服が(しのび)の装束であるということと、その美少女が自分の既知の人物であるということを、常春は同時に確信した。


(確か、(たちばな)会長——)


 潮騒高校二年生にして、生徒会長——橘戦少女(ゔぁるきりー)


 どうして彼女がここに? というか、直前まで気配が感じられなかった。そもそもあの服って忍装束だよね——あらゆる疑問が常春の脳裏で生まれる最中、日米ハーフの生徒会長は下着姿の頼子を背にして立つ。庇うように(・・・・・)


「キミ、(みさお)は無事か!?」


 戦少女(ゔぁるきりー)の鋭くも気遣わしげな問いかけ。


 それを脈絡なく投げかけられた頼子は目を白黒させる。すでに常春に半裸を見られた羞恥はすっきり霧散していた。


「え、いや、あの、あたしは——」


「その反応から察するに、間に合ったようだな。よかった……早く服を羽織って十喜珠神社へ逃げるがいい。この犬畜生は私が引き受けよう。……死なない程度に、(オス)として生を受けたことを後悔させてやる」


 そう言って、戦少女(ゔぁるきりー)は静かな怒気を孕んだ青い瞳で、真っ直ぐ常春を射抜いた。


(あれ? 僕、ちょっとヤバくない?)


 ——悲鳴を上げた、下着姿の美少女。

 ——恥ずかしげもなく萌え系アニメキャラTシャツを着た不審者(アニオタ)

 ——人気のとぼしい暗がり。


 ……うん。犯罪の匂いがするね。


「ちょっと待って、僕はただ——」


 常春が弁明を言い切るよりも速く、戦少女(ゔぁるきりー)は鋭く常春の懐へと潜り込んできた。それに伴い、空気を穿って突き進んでくる拳。


 速い!


 常春は割と本気で回避を試みた。軽身功を活かした突発的な跳躍をもって、戦少女(ゔぁるきりー)の上を跳び越えた。


「なっ……!?」


 その常人離れした動きに、戦少女(ゔぁるきりー)は舌を巻く。しかし動きは一切止めず、滑るような退歩に合わせて背後へ肘を放った。今なお滞空中の常春を狙う。


 常春はその肘を靴裏で受け——大きく吹っ飛んだ。


(どう考えても女の子の腕力じゃないぞっ……!)


 宙を舞いながら、常春は驚く。


 混血の生徒会長は低い体勢から腰を上げると、胸の前で両手を動かし始めた。


 独股印()大金剛輪印()外獅子印()内獅子印()外縛印()内縛印()智拳印()日輪印()隠形印()——九つの手印を高速で切り、それと並行して九つの言葉を唱えていく。


 それらの意は「()める()()()()陣裂(・・)きて、()()り」。


(『九字(くじ)護身法(ごしんほう)』!)


 着地と同時に、常春の脳裏にその単語が浮かんだ。


 道教を起源とし、のちに密教に取り入れられた呪術。邪念を祓い、精神の純度を高めるその呪文は、忍の者達がよく唱えていた。


 その九字を切り終えた戦少女(ゔぁるきりー)の気からは、もう戸惑いの一切も感じられない。氷の(やじり)のごとき静かなる攻撃性。ただそれだけ。それ以外の感情が全く読めないし感じられない。


 ——来る!


 音も振動も全く感じられない幽霊じみた足取りで、突風のごとく駆け寄ってくる金髪の忍。


 瞬く間に両者の間合いが重なった。


「おっとっ!」


 シュッと迅速に訪れた掌底を、常春は軽く回避。しかしその掌底は常春を望んだ場所へ移動させるブラフ。回避を終えた次の瞬間には、真下からすくい上げるような蹴りが迫っていた。


 常春は顎を引き、その蹴りを紙一重で回避。だがその蹴り足はすぐに軌道を柔らかく変化し、常春の腹を穿たんばかりに真っ直ぐ蹴り出された。が、常春はそれすらも軽く体をズラして避けてみせた。


 けれど忍の攻撃はなおも止まらない。蹴り足でそのまま踏み込みつつ、肘を真っ直ぐ近づけてくる。


 蹴りから肘打への拍子変化が極めて迅速であり、避けられないと瞬時に悟った常春は、肘を両手で柔らかく受けた。


(重いっ……!)


 しかし肘に込められた重みは、まるで巨像が勢いよく寄りかかってきたかのごとしであった。常春は弾かれ、両足の指の力で勢いを殺した。


 ——足の指…………そうか、なるほど。「固定力」を使った打撃か。


 彼女はその強靭な足指の力を使って体を大地へ固定し、その盤石な「固定力」を打撃力に変換したのだ。自身の体の位置が一箇所に固定されれば、打った衝撃は緩衝されることなく伝わる。これならば女性でも重い打撃が打てるだろう。


 忍者というのは「歩く」ことのプロフェッショナルだ。敵に存在を悟られない歩法や、不安定な地形を円滑に進む歩法など、多種多様な「歩き」が存在する。熟達した忍術使いならば、氷の上を疾走することも可能だ。


 「歩く」ことが、忍び技にも、逃げ技にも、そして殺し技にもなる。それが忍者の格闘術。


 加えて、彼女自身の実力。


 数手交えて、常春は悟っていた。


 彼女は、自分に伯仲(はくちゅう)するほどの実力があると。


 常春と同じ学年ならば、同い年だ。少なくとも、彼女が留年し(ダブり)まくっているという話は聞いたことがない。


 まさか、こんな身近に、こんな若い天才がまだいたとは。


 しかし、それ以前に……


「待って欲しい。僕は潔白だ。痴漢なんかじゃない。もう戦うのはやめよう」


 戦いの行方以前に、この戦いの前提(・・)からしてすでに間違っているのだ!


 その言い分に対して、忍者の生徒会長は、


「ああ、そうだな。やめようじゃないか」


 思ったよりもあっさり了承してくれた。


 まさか110番するんじゃ……と身構えて、やめた。


 その凛とした美貌にはすでに敵意の色はなく、友好の微笑さえ浮かんでいたからだ。


 そのあまりの変貌ぶりに、常春は喜ぶよりもきょとんとした。


「え? 信じてくれるのかい?」


「信じるとも。というより、九字を切る直前で「違う」と気がついた。キミの技は純粋で邪念がなく、目も腐っていなかった。……そこから先は私のおふざけ(・・・・)だ。キミの実力を確かめたくなって、九字で心を誤魔化してまで腕試しをさせてもらったよ」


 戦少女(ゔぁるきりー)は常春の前まで歩み寄り——その歩きからは相変わらず音がしない——手を差し出した。友誼(ゆうぎ)を訴えかけるような微笑みとともに。


「素晴らしい。その若さで大したものじゃあないか」


「……そのセリフ、そのままお返しするよ」


 常春はその手を掴み、同じく微笑し握手に応じた。


 その様子を、いつの間にか運動着に着替え終えていた頼子が、きょとんとした顔で見ていたのだった。


実際の忍者装束は渋柿色あるいは藍染めらしいです。

特に藍染めは蛇除けの効果があるそうです。昔のアメリカの鉱山でも、毒蛇除けのためにインディゴのデニムを穿いていたとか。


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― 新着の感想 ―
[一言] まさかのリアルニンジャとは。というか、名付け親は何を考えて名前にヴァルキリーにしたんでしょう。ニンジャとヴァルキリー、全く共通するものがないような…
[一言] そういえば居ましたね、ヴァルキリー会長・・・ えっ、パツキンヴァルキリーニンジャ? ニンジャ・・・? アイエエエエ!?ヴァルキリーニンジャナンデ!? エモイ!
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