アニオタ、浴衣美少女をガン見する
一週間後……
午後六時。真夏の宵。
昼間ほどではないにせよ、汗ばむ程度の暑気が空気に宿っていた。
けれど一箇所だけ、昼間とさほど変わらぬ熱気を発している場所があった。
熱気といっても、それは気温だけにとどまらない。湧き立つ人の活気。
軒を連ねる露天の鉄板がかもしだす、コンロの熱とB級グルメの香りが漂う一本道。
通りを豪快に照らす煌々とした灯りと、絶えず奏でられている祭囃子。
「お待たせー」
伊勢志摩常春は、その明るい通りの入り口で待っている宗方頼子に声をかけた。
「う、うん……」
頼子は唇を尖らせ、気持ちが生み出した熱気を顔に宿らせてうつむく。
ちらりと常春を見る。ここ最近よく見る類の格好。ジャージのズボンに、萌え系アニメキャラのTシャツである。
けれど、そんなオタク臭まるだしの常春とは対照的に、頼子の装いは煌びやかであった。
白い花柄で彩られた、女物の浴衣姿。
足元には黒い漆塗りのぽっくり下駄。
後頭部で結えられた後ろ髪を、竹の簪が貫いている。その簪に紐付けされた梅花のガラス細工が、もじもじする頼子の振動に合わせてゆらゆら揺れている。
常春はそんな頼子を、じぃっと見つめていた。
花柄の布地を形よく膨らませる豊満なバストの下で、心音が高鳴る。
(めっちゃ見てるんですけど……っ!)
心中に浮かび上がるのは、恥じらいと期待。
この衣装は、おばあちゃん——宗方小夜子から譲られたものだ。
生地を彩る白い花の名前は花水木。花言葉は『私の想いを受け取って』。
なんでも、若い頃はこれでおじいちゃんと夏の逢瀬を楽しんだのだとか。
常春と夏祭りに行くと聞くや、小夜子は嬉々としてこの衣装をくれた。
「頑張ってね。孫は二人希望よ」という冗談めかした応援に頼子は真っ赤になって否定を返しつつ、心の中で感謝した。
やっぱり、好きな男の前では、少しでもめかし込みたかったのだ。
少しは……自分に対して「女」を感じてくれているだろうか?
「ど……どうしたの、常春。そんなにじっと見つめて……」
唇を尖らせたまま、頼子はせわしなく前髪をいじいじする。
熱っぽい瞳でチラチラとアニオタを見る。
対して、アニオタは、
「いや、これから演武会があるのに、その格好でできるのかなって」
なんとも色っぽさにかけることを口走った。
がくーっ。頼子は足元を歩いているアリンコをいじりたい衝動に駆られた。
——ああ、うん、分かってた。そういう奴だもんね常春って。美少女フィギュアのスカートの下は細かく気にするくせに、リアルの女の子には無反応だもんね。もう知らないっ、ナントカっていうアニメのフィギュアと結婚しちゃえっ。
頼子が早くもいじけモードに入ろうとした時だった。
「でも、その浴衣よく似合ってる。今日の頼子、すごく綺麗だよ」
ひゅっ。
笛みたいな声が出た。
なんという不意打ちだろう。
鼓動が止まるかと思った。
大きな胸をふるふる振動させんばかりに、心臓が甘苦しく早鐘を打っている。
顔だけじゃなくて全身が照れている。汗がじんわり出てくる。白い素肌が赤鬼みたいに真っ赤っかだ。
「それじゃあ、回ろっか」
優しく微笑みかけてくれる常春に対して、
「…………はい」
頼子はしおらしく返事をし、その後ろを歩き始めた。
できれば手を繋ぎたい。だけどこれ以上大胆なことをしたら、本当に胸が破裂して死にそう。
なので、せめて彼のTシャツの裾をちまりと摘んだ。
この爆発しそうな胸の高鳴りは、当分収まりそうにない。
夏祭りを二人で回った。
頼子にリクエストを尋ねたが「……どこでもいい」と言うので、常春は目についた所へ寄ることにした。
スマホの時計を見る。現在午後六時ジャスト。
演武会は八時からなので、二時間の猶予があると判断。それまでは頼子と一緒に祭りを楽しもうと思った。
まず寄ったのはたこ焼き屋であった。
テキ屋のおっちゃんによって豪快に焼き上げられた大粒のタコ焼きに、鰹節とマヨネーズを景気良く撒き散らす。青海苔は「歯に付く」という理由で頼子が却下した。
出店巡りのためにあらかじめお腹を空かせていた頼子は口に一粒放り込み、その熱気で思わず口をハフハフさせた。その顔が面白くて笑った常春を頼子は涙目でバシバシ叩いてきたので、笑いを堪えながら水のボトルを差し出した。無事に一粒食べ終えた頼子はじとっとした目で常春を見て「ばーか」と言った。
次に寄ったのは金魚掬い。
他の客が一匹二匹三匹程度でポイを破ってしまう中、常春は緻密な力加減でポイを操り、あっという間に碗の中を金魚だらけにしてしまった。漁獲された大量のサンマのような金魚たちのありさまに、周囲の人は拍手を送り、テキ屋のおやじは金魚みたいに口をパクパク開閉させた。……頼子に「飼う?」と尋ねてかぶりを振られたので、金魚はすべて水に戻した。おやじはホッとしていた。
次に寄ったのは輪投げ。
手裏剣の心得もある常春なら、与えられた輪っか全てを一等賞の所へ投げ入れることも容易だった。だがそれはしなかった。頼子が等級の低いコーナーにある金属の指輪を、常春の顔と交互に見ていたからだ。常春は持ち輪をその等の所へ入れた。
「わぁ……」
それによって手に入れた指輪を、頼子は宝物でも見るかのように瞳輝かせていた。
なんてことはない。銀っぽくコーティングした安物の鉄の指輪だ。そこにアイヌ模様にも似た幾何学模様が刻まれている。
「そんなに欲しかったの、これ?」
ためらいがちに頷く頼子。ほんのり頬が赤く、唇が尖っていた。
最近なんとなくわかったのだが、この表情は恥ずかしがっている時にする顔だ。何が恥ずかしいのか。子供っぽい趣味と思われるのが恥ずかしいのだろうか。
常春の思案をよそに、頼子はもらった指輪を指に嵌めていた。
右手の薬指に。
本当は左手の薬指につけたかったのだが、常春の目の前でそれをするのは勇気が要る。家に帰ってから嵌め直し、虚構的な幸福感をたくさん味わうとしよう……それが楽しみで、頼子の唇が自然と弧を描く。
そんなしとやかな頼子の微笑を見てから、常春はようやく今の状況の意味に気がついた。
これはデートなのでは、と。




