アニオタ、夏祭りに誘う
「ところでさ、あの……弾腿? ってやつ、強いの?」
じりじりと日光が降り注ぐ歩道を帰り道として歩きながら、頼子が常春にそう尋ねてきた。……無論、距離は離れている。
汗まみれな頼子とは真逆で、常春は一滴も汗をにじませていない。武術だけでなく、汗をかかない方法も教わりたい気分になる。
「もちろん。むしろ、弾腿だけでも十分戦えるくらいだよ。何せ、山東省の拳法だからね。……たとえばさ、弾腿の中に、やたらと腕を振り回す動きがなかった?」
「そういえば、あるかも。あれが強いの? なんだか子供が駄々こねてるみたいで格好悪いかも」
「格好が悪いほど実戦的なのが武術のあるあるなんだよ。空手とかボクシングでやるようなパンチは使うためにそれなりの鍛錬の含蓄が必要だけど、あの腕を振り回す動きはすぐにでも使えるよ。僕の蟷螂拳にもしょっちゅう出てくる動きだけど、ああいう速攻で使えて実戦の役に立つ技が多いのが山東省の拳法の特徴なんだ。山東省は昔、荒い土地柄だったからね、そこで育った拳法がケンカで弱いわけがないんだよ」
頼子は感心したような声をもらしてから、「じゃあさ」と次なる話に繋げてくる。
「常春が使ってる、めちゃくちゃ高く跳ねたり、一瞬で相手に近づいたりする動きあるじゃん。あれ、あたしにもできる?」
「軽身功のことだね。できなくはないけど、すぐには無理だよ。習得に数年はかかる。全身に重りをつけたままランニングしたり、馬の尻尾を掌に乗せながら馬の後ろをずっと走り続けたり……結構エグいよ?」
案の定、頼子は嫌そうな表情を浮かべた。
常春は苦笑しつつ、なだめるように言った。
「まあ、軽身功は必ず必要ってわけじゃないから。頼子はまず基礎をひたすら練るべき段階だよ。武術の修行は建築と一緒で、土台となる基礎を練った数だけ大成しやすい。今教えてる基礎を完全にモノにできれば、中国北方武術の八割は楽に習得できる。今を頑張れば、必ず将来に良い結果が出る。だからさ、地道に頑張ろう?」
常春が笑いかけると、頼子は唇を尖らせ「……ん」と首肯する。
そのまま俯き加減にして表情を隠しながら、ちらり、ちらりと、しきりに常春へ熱っぽい瞳を向ける。
頼子は常春に武術を学ぶ時、「自分で自分を守れるようになりたい」という理由を出した。
無論、それは嘘ではない。
一学期の時、強引にワゴン車へ連れ込まれた時は自分の無力を呪ったものだ。交通事故を起こさせてまで自分を救ってくれた常春には、感謝の言葉も無い。
だが、真の理由は別にあった。
(こうやって拳法を習ってる間……常春と一緒にいられるから)
内心に抱いているのは、実に乙女チックな真意。
頼子は以前から感じていた。常春と自分との間にある、近くて遠い距離を。
それは、武術に関する知識の有無が作っている心理的乖離。
それが嫌ならば、武術について少しは学ぶべきだと思ったのだ。
それに、夏休みになれば、わざわざ理由がなければ常春に会うことはできない。いや、別に用がなくても会えるが、恥ずかしくて頼子にはハードルが高かった。だから大義名分が欲しかった。
無論、それらの事は口が裂けても常春には言えない。
しかし、常春は獣並みに鋭い。こうして隣で考えているだけで、胸の内を読まれてしまいそうな気がして、なんだか恥ずかしくなってくる。
「そ、そういえばさ、あんな神社で練習して大丈夫かなっ? バチが当たったりしないかなっ?」
なのでついつい、話の方向を逸らしにかかってしまう。
しかし常春は疑問を持たず、話を合わせてくれた。
「仮にあそこに神様が本当にいたとしても、笑って許してくれると思うよ。だって、十喜珠朝涼を神格化して祀ってる神社だもの」
「十喜珠朝涼?」
「そういえば、頼子って昔からこの街に住んでるわけじゃないんだっけ。じゃあ知らないかもね。十喜珠朝涼っていうのは、このS市出身の女剣豪のことだよ」
「へぇー……剣豪ってことは、強かったの?」
「それはもう。剣術史稀に見る天才剣士だったって話だよ。十喜珠さんは大変強く、そして大変美しい女性でね、娶りたいっていう男も掃いて捨てるほどいたらしいんだ。でも「自分を剣で負かした男と結婚する」の一点張りでね、幾人もの剣豪が彼女に挑んだんだけど、結局誰一人として彼女には勝てず、あっという間に行き遅れて、独身のまま生涯を終えたって話さ。——そういう人物像から、彼女は死後、神格化されたんだ。武道の神、そして女性の地位向上を応援する神としてね」
頼子は感心した声をもらしてから、
「でも……なんだかかわいそう、だよね」
「かわいそう?」
「うん。だって、自分を好きになってくれる男はたくさんいたんでしょ? それを全部はねのけて、一人で死んでいくなんてさ……強くても、幸せになれるとは限らないんだな、って」
「幸せかどうかは、十喜珠さんにしか分からないよ。確かに、自分を打ち負かしてくれる殿方に巡り合えなかったのは、女性として考えるなら運が無かったのかもしれない。けど、彼女はその強さのお陰で、女性のみに降りかかるいくつかの災いから自身を守ることができたはずだ。果てに、死後、こうして神様として祀られている。……幸福かどうかなんて、立ち位置次第でコロコロ変わってしまうものなんだと、僕は思う。
ほら、僕なんてアニメアニメ言ってるせいで、クラスの女子からキモいキモいって言われてるでしょ? だけど僕はその分、堂々とアニメを楽しんだり、綱吉くんとブヒブヒ言っていられるじゃない。アニオタとしての立ち位置で考えれば、なかなか幸福だとは思わないかな?」
冗談めかした口調で、真面目くさった話の幕を切る常春。
「……それはただ、そいつらの見る目がないだけでしょ」
「え?」
「なんでもないっ」
頼子はぷいっと顔を背ける。その頬は真っ赤だった。
気恥ずかしさから気をそらすため、別のことを考えた。
今日の練習の事。
最初は「こんなヘンテコな立ち方無理だ」と思っていたものが、今では当たり前のようにできている。
思ったよりも覚えやすいものであるようだ、拳法というのは。
それと、もうひとつ。
(あの神社……なんだかすごく懐かしい感じがしたなぁ)
十喜珠神社の周辺は夏祭りが行われる場所の一つだ。頼子も毎年の祭りには参加するが、ああして十喜珠神社に足を踏み入れた経験は最近を除いて皆無であった。にもかかわらず、なんだか初めて来た気がしない、奇妙な懐かしさを覚えたのだ。
けれど、ああいう小さな神社はどこも似たような建物や置物の配置をしているのだろう。だからそういう既視感を覚えたのだ。そのように結論づけて、この思考も終わらせた。
「……そういえば、もうすぐ夏祭りだよね」
頼子はそうこぼした。今思い出したことだ。
「うん。確か、あと一週間後……」
常春はそこで言葉を途切れさせると、しばらく考え込むように唸りをもらし、やがて意を決したかのごとく言った。
「あのさ、頼子……僕と一緒に、夏祭りに行かない?」
頼子は固まった。
かと思えば、頬をみるみる赤く染めていく。
「え、う、嘘、それって、まさか、デ……デー——」
「夏祭りの最中、古武道の演武会があるんだ。そこへ一緒に出てみないかい?」
言い切る前に常春がそう用件を述べると、頼子はまるで興が醒めたような表情になった。
けれど、いつもの常春だと自分を強引に納得させ、話を合わせることにした。
「待ってよ、えっと……「一緒に」って、あたしも出ろってことっ?」
頷く常春。
「いや、いきなり人前で演武しろとか言われても……恥ずかしいんだけど」
「でも、頼子は自分の身を守るために拳法を習ってるんでしょ? だったら、人前で恥ずかしいっていうのは少し困りものだよ。人前でも恥じらったり緊張しないようにするために、こういう演武会みたいな催しは良い訓練になるんだよ」
「教えてくれたあんたに失礼だけどさ……笑われない? あんな地味で変な動きする拳法見せたら」
「大丈夫だよ。頼子、上手くなったもの」
嘘偽りのない答えを返す常春。
頼子は数秒考え、ある事を思いついて目を広げると、常春に訊いてきた。
「じゃ、じゃあさ……その演武会っていうのに出るついでに、さ…………」
「うん?」
「あ……あたしと一緒に、さ、お祭り、回ってくれる……?」
豊満な胸の下で指をもじもじもじもじ絡ませながら、頼子は真っ赤な顔で唇を尖らせて訊いた。
「いいよ」
「っ……! そ、それじゃあ、参加しよっかな……」
常春の快諾に、頼子は花開くように笑い、かと思えばそれをぶっきらぼうな表情で隠す。
こうして——二人の夏休みの予定が新たに決まった。




