「生きる」
これから話すことは、今から半年以上先の話である。
常春との一件ののち、一条と美織は結婚した。
無論、式を挙げる金も時間もないので、入籍のみの地味婚だが。
当然ながら、美織の両親は難色を示した。むべなるかな。理由があったとはいえ、一条は立派な前科持ちである。そんな人間と結婚して、娘が幸せになれるかと聞かれたら、親として首を傾げざるを得ないだろう。
けれど、美織の顔を見て、是が非でも結婚するという意思を読んだ。
こういう顔をしたら言う事を聞かないことを、反対を押し切って声優になった過去の経験則から両親は分かっていた。
諦めたように結婚を認めた両親に、美織と一条は喜んで抱き合った。
公式SNS上で結婚の報告をするや、ネットは祭りとなった。
普通に祝福する者、ひねくれたスラングで遠回しに祝福する者、推しの結婚に発狂する者……反応はさまざまであった。
さらにもう一つ、二人の間に変化が訪れた。
美織は妊娠していた。無論、一条との子だ。
それを知っても、美織は少しも驚かなかった。自分が望んだ結果だったからだ。
一条と再会を果たした翌朝、美織はこう頼んでいたのだ。——死ぬ前に、私にタカくんとの子を授けて、と。
望み通り、一条はコンドームを使わずに美織と体を重ね、めでたく懐妊というわけだ。
最愛の男の血を引く子が宿る腹部を愛おしそうに撫でながら、出産の時を待つ。
——惜しまれるのは、父親が生きている間、子供の顔を見れないということだ。
一条は残念そうに笑ったが、せめて生まれた子供に父の存在だけでも教えようと、写真をよく撮るようになった。気がつけば美織のスマホのフォルダには、一条の写真が400枚以上保存されていた。
十五年の時を経て、めでたく夫婦となった二人。
一緒にいられる時間は長くない。けれどその短い時間を、濃密に過ごそうと決めた。
ご飯を食べに行ったり、通っていた高校を見に行ったり、互いの中学の卒業アルバムを見せ合ってからかい合ったり……
一条は常に浮かべていた厳めしい表情を崩し、柔和な笑みをたくさん見せた。その笑顔も、美織のスマホにしっかり保存されている。
一条にとっても、美織にとっても、間違いなくこれまでの人生の中で一番幸せな日々であった。
そう。あまりに幸せすぎて——その「変化」に気づくのがかなり遅くなった。
話の方向が大きく変わって申し訳ないが、これから少し、東洋の武術についての話をしよう。
武術というのは、戦うため、殺すため、生き残るための技術である。これは東洋も西洋も変わらない。
だが東洋において、武術は戦闘術以外の側面もあわせ持つ。
それは——「生きる」ための技術。
これは、自分を害する敵を排除し命を守り、生き残ることだけを言うのではない。
呼吸や瞑想などによって心身の健康を保ち、「力」と「気」を養い、病から身を守り、なおかつ周囲の人々と良好な関係を築き、幸せに「生きる」こと。
人を殺す技術から、数多の意味を見出せるのである。武術を哲学の域にまで発展させた、宮本武蔵や李小龍のように。
かつて日本を占領下に置いたGHQは「軍国主義の火種となる野蛮な文化」として武術を排斥しようとしたが、これは東洋武術の「武」の部分しか見えていない者特有の浅薄極まる意見である。
外敵、邪念、病などから己を守り、「生きる」ことこそが東洋武術の本質。
これは日本も中国も変わらない。
——こんな話がある。
脳卒中によって、半身が麻痺した女性がいた。
その女性はとある正骨院へ行き、動かなくなった半身を動かす方法はあるのか相談した。
医者は言った。「苦しい思いをすることになるが、可能性はある」と。
日本武道には「殺活法」という技法が存在する。文字通り、「殺す」と「活かす」を司る技だ。
人体の機能を深く理解することで、相手を一瞬で殺したり、負傷や不調を治して活気を取り戻させたりすることができる。
深い武芸の含蓄があったその医者は、殺活法のうちの「活法」を女性に施した。
その施術は激痛をともなう辛いものであったが、数ヶ月の間繰り返すと、徐々に変化が訪れた。
なんと、動かなかった手が動くようになり、やがて日常生活に支障がない程度にまで麻痺が治ったのである。
肉体には、自分の力で肉体を修復しようとする自然治癒力が存在する。殺活法でその力を強引に促し、死んでいた神経の疎通を自己回復させたのである。
——こんな話がある。
気功による麻酔を施した上で行われた外科手術。
麻酔薬を一切投与されていないにもかかわらず、患者は痛みを一切感じることなく、無事に手術を終えた。
——こんな話がある。
幼くして肺結核に冒され、大人になる前に死に至るだろうと宣告された中国の少年。
まだ貧しい新中国の下流であったがゆえに、抗生物質を買う金も無く、死を待つばかりだった。
しかし、中国武術の基本功と気功法を何度も繰り返すうちに、喀血の頻度が下がり、やがて完治。十歳どころか、七十を過ぎてもなお元気に生きている。
長々と語ってしまい申し訳ないが、つまり何を主張したいかというと、こうである。
——西洋的な考え方や科学が、万事正しいとは限らないということだ。
今の日本人は、崇拝と呼んでいいレベルで西洋科学にのめり込んでしまっている。
科学で解明できないことは皆インチキだ、としたり顔でうそぶく。
そんな彼らは、よく口々に言う。——東洋医学なんてインチキだ、と。
確かに、本物以上にニセモノが多いのは事実だ。
けれど、「本物」は存在するのもまた事実。
「本物」の武術や気功は、現在の科学では説明のつかないものも数多い。だからこそ胡散臭さがいまだに拭えない。
その最たるものは、気功である。
特に謎が多いのが、武術の気功。
武術の気功は、健康法としてだけでなく、武芸が強くなるためのものでもある。
八極拳の達人として知られる李書文は華奢かつ小柄で、手も女性のように柔和であった。しかし戦いの中では、信じられない怪力を誇った。この矛盾は、ひとえに気の鍛錬がもたらしたものである。
正統派の中国武術では、そういった高度な気功法が必ずと言っていいほど伝えられていた。
そして、一条二三貴が学んだ心意六合拳も——その「正統派」に含まれるものだった。
一条は常春との再戦を決意するまでの間、武術の技の練習ばかりに熱を入れて、気の鍛錬はさっぱりだった。
戦場におもむくのが日常化していた一条にとって、成果が得られるまでに時間がかかる気功を練るより、手っ取り早く使える拳法のような徒手格闘を重点的に練る方が効率が良かった。そのため一条の鍛錬は、必然的に拳法へ偏っていた。
気功へ熱を入れ始めたのは、常春との再戦の後だった。
拳法を鍛錬すると、戦場の事を思い出してしまう。残り少ない人生を平和に生きると決めた一条は、激しい武術の練習はせず、気功の鍛錬へと時間を費やした。
鍛錬は、これから死に行く一条にとっての「思い出のおさらい」であった。唯一無二の師である郭浩然のもとで武術に打ち込んだ、懐かしい少年時代の。
『二三貴、どうやらお前は攻撃にはやる気持ちが強いみたいだ。気を練る鍛錬も熱心にやりなさい』
あの頃の師に指摘された言葉が今の自分に当てはまり、一条は思わず笑ってしまった。
気というのは、発勁と同時に発散するだけではダメらしい。そんなことばかりやっていると、体を壊してしまうという。
だからこそ、気功によって気を巡らせ、体の中で動かす技術を学ぶ。
閑話休題。
一条は美織との最期の『日常』を濃密に味わいつつ、修行時代を振り返るように気功を行った。
そんな日々を繰り返しているうちに、一条にある「変化」がおとずれていた。
すでに半年経っているにもかかわらず——まだ生きていた。
それだけではない。
体の痛みの程度が和らぎ、なおかつ痛みが出る頻度も減っていたのだ。
もしかしてと思い、一条は病院で検査を受けたところ、
「なんとかなるかもしれませんよ」
医者のそんな言葉とともに、病状が抑制、回復へ向かっていることを聞かされた。
明るかった世界が、さらに明るくなった感じがした。
さらに確信した。
自分の繰り返していた気の鍛錬が、体を蝕む病に打ち勝つ力を与えていたことを。
強くなりたい、敵を打ち倒したい……そんな不純物のような雑念を捨て、ただ純粋に気を練ることのみに集中したことで、郭浩然直伝の気功法は最大限のポテンシャルを発揮し、一条の体を癒していたことを。
気功の鍛錬を命じていた師の偉大さを、ここに来て思い知った。
医者はさらに言った。今手術を受ければ治る可能性は十分にある、と。
以前の一条ならば、そこで悩んだかもしれない。どこの馬の骨とも知れない者に肉体を切り開かせることに、戦士として抵抗を覚えたかもしれない。
けれど今の自分には、大切な妻と、その胎の中の子供がいる。
生き残れる可能性が見つかった以上、そこから目を背けてはならない。自分はその二人を守るために最善を尽くさなければならない。
それが、夫であり、父親でもある自分の新しい責務。
「受けます」と即答した。
その後、一条は手術を受け、無事に病を克服する。
美織のお産にも立ち合い、見れるはずのなかった我が子の顔もおがむことができた。女の子だった。
その後、美織は再び妊娠、出産を経験する。なんと今度は双子の男女だった。
生活は楽とはいえないが、戦場をさまよっていた頃とは比べるまでもない、幸せな日々がこれからも続くことになる。
『非日常』を駆け抜けた白兵戦最強の傭兵「一条二三貴」は死んだ。
代わりに——『日常』を生きる三児の父「一条二三貴」が新たに生まれるのである。
一条編はこれにて終了です。
正直、結末にかなり悩みました。ここをどうにかしたいがために、続きを書くのが遅くなったと言ってもいいかもしれません。
最初は一条君のことを殺す気満々でしたが、書いているうちに愛着のようなものが湧き、どうにかして彼を救えないかと色々な本を読みあさりました。
そこで目をつけたのが、気功や殺活法で病やハンデを克服したという「実話」でした。
悪性腫瘍を気功で治したという実例を見つけ「これなら一条君を救えるかもしれない!」と張り切り、ようやくキーボードを打つ手が動き始めました。
そうして出来上がったのが、この結末です。
正直、賛否が分かれる結末である感じが否めません。
けれど、「賛」か「否」のいずれか一方のみに偏った物語は存在しない、と思います。
人の数ほど意見があります。強制的に全員に左を向かせる全体主義でもない限り、みんな同じ意見ということはないと思います。
そう言い訳じみた主張をした上で、またひとつ最強アニオタの戦いを終えたいと思います……
ちなみに常春くんは、無事に透華たんから直筆サインをもらいましたとさ。




