アニオタ、喝破する
「降参? ははっ……冗談がキツいじゃないか。俺を見ろ、まだ首も四肢も繋がっているじゃないか。そもそも、ヒビが入った程度だ。まだ動くには不足はない」
言い訳をするように言いつのると、一条はゆっくりと立ち上がり始めた。
左足を地面につけて踏ん張ると、あからさまに眉間に深いシワを寄せた。
けれど、立ち上がってみせた。
一条には、まだ、戦意が残っていた。
常春も眉間にシワを作った。不気味さと、憤りで。
「……もうやめておけ。それ以上は足が死ぬぞ」
「構うものかぁ!!」
火を吹くように叫ぶ一条。
「俺はどのみち、もう長くない!! だが、俺は病で少しずつ腐っていくような惨めな死に様は御免被るっ!! 最後まで肉体を使い尽くし、俺が認めた者の手にかかってくたばりたいのだ!! ——伊勢志摩常春、お前が俺に「死」を贈ってくれぇっ!!」
「……」
「さぁ、かかってくるがいい!! そして、俺を殺してみろ!! お前ならば、殺人の証拠を残さずに相手を殺す方法をたくさん知っているはずだ!! その技をかけてみろ!! お前の技で死ねるのなら、本望!! さあ!! さあ!! さあ殺せ、殺してくれぇっ!!」
まるで飢えた物乞いのように、「死」の一文字をねだる一条。
そんな狂戦士に向かって、常春は一歩、また一歩と、歩を刻み始めた。
自分の願いを叶えてくれるのだと感じた一条は、破顔する。
やがて、一条の目と鼻の先まで到着した常春は——その頬に拳を叩き込んだ。
「……な」
武術の技法などではない。
技を名乗ることすらおこがましい、腕力任せでお粗末な「殴打」。
さほど痛くはない。
だが、その場違いな攻撃に、一条の思考は停止する。
「いい加減にしろ。この馬鹿野郎」
静かな怒気を孕んだ常春の言葉。
敵意とは違う、強い非難の視線に射抜かれた一条は、さらにわけがわからなくなる。
何を言っている?
そう言いたげな一条に対し、常春はさらに糾弾を重ねた。
「自分の命が、自分一人のモノだと思うんじゃない。この情け知らず。——お前のさっきの言葉、もう一度あの人に聞かせてみろよ」
常春が指差した先には、
「…………美織?」
悲壮感ただよう表情のまま涙を流し続ける、恋人の姿があった。
「もう、やめて……タカくんっ…………そんなふうに、自分を、粗末にしないでっ……!」
嗚咽混じりの声で、美織はそう訴えてきた。
一条は、先ほどの『斧刃脚』以上のショックを心に受けた。
そのショックによって、一条はようやく我に返った。
戦いによって盛り上がっていた高揚感が一気に冷め、先ほどまでの自分を客観的に見つめ直す余裕が生まれた。
「……俺は」
彼女は、こんな薄汚れた自分を、十五年経った今なお愛してくれていた。
そんな今時珍しいほど一途な女が、死に急ごうとする自分を見て、どう思っただろう?
「おかしいわよねっ……自分でお膳立てしておいて、今更「やめて」なんて言うなんて……でも、もう嫌なの」
「美織……」
「さっきのタカくん、すごく怖かった…………あんなタカくん、もう見たくないの。タカくんが殺すところも、殺されるところも、私見たくない……」
涙ながらの訴えに、一条の心が震える。
しかし、しかし自分は——
「美織……お前も分かってるだろう? 俺は、もう長くないんだ。何をしようとも、病で死んでいく運命なんだよ。死から逃れられない……それは甘んじて受け入れよう。だが——腐っていくような死に方は嫌なんだ! 俺は人である前に、武術家だ! 武術家らしく、戦って死にたいんだ! 分かってくれよっ!!」
一条の魂の訴えが、空気を激震させる。
誰も彼もが沈黙する。
「分かりたくもないね」
それを破ったのは、常春だった。
「ああ、そうだな。あんたはもうじき死ぬんだろうな。——だが、それがどうした。そんなもん、自分を求めてくれている『日常』から逃げて、『非日常』に浸り続けたいがための言い訳だろ」
一条は目を見張る。心の奥底に、針を通された感覚を覚えたからだ。
「確かにあんたの死期は近いかもしれない。でも……どんな人間だって「死」から逃れることはできないんだ。人はいつか死ぬ。その上「いつか」がいつなのかも分からない。僕も、初音も、貴織さんも、もしかしたら明日、あるいは今日中に、何らかの理由で死んでしまうかもしれない。
——分かるか? あんたは死期が近いだけで、僕たちと何も変わらないんだ。僕たちと同じ空を共有して、今、ここで生きてるんだ」
常春は一条の胸ぐらを掴む。
そのまま引き寄せ、喝破した。
「……命数が少ないからどうした!? だったらその残り少ない命数の中で、幸せな『日常』を作る努力をしてみろよ! お前なんかを愛してくれている人に、報いる努力をしてみろよ! 『非日常』に逃げるな! 最期くらい勇気を出して、『日常』に帰ってこいよっ!」
一条は、ようやく目が覚めた気がした。
病で腐って死ぬ。そんな現実が嫌で、もっとマシな死に方をすることしか考えていなかった。
自分が孤独であったのならば、死に様だけ考えていればよかったのかもしれない。
けれど、一条は一人ではなかった。
愛してくれている女がいた。
それは、親とうまく折り合いがつけられず、世間からも後ろ指をさされ、殺し殺されの日々ばかりを送ってきた一条の人生の中で、たった一つの宝物だった。
ならば、それを粗末にせず、大切にすることこそが、自分の余生における最大の使命なのではないだろうか。
長い間、頼れるものは自分だけだと思っていたからこそ、鈍っていた。見えなかった。
一条は、ようやく目が覚めたのだ。自分の勝手さを自覚したのだ。
ぽつり、と次のように口にした。
「……美織。お前に今から二つのお願いがある」
「……なに?」
「まず一つ目……俺を一発殴ってほしい」
そう頼まれるや、美織はわけも聞かずツカツカと一条のもとへ歩み寄り、頬へ平手を張った。
そして、ひと回り大きな一条の体を抱きしめた。
「馬鹿っ……! こんなに無茶して……っ!!」
「今まで、すまなかったな……許してくれ」
胸の中を涙で濡らしてくる美織の背中を、無骨な手で優しく抱き返す一条。
しばらくそうした後、一条は常春の方へ視線を移し、穏やかな口調で言った。
「伊勢志摩常春。やはり、君に再会できて良かった。戦えて良かった。君のおかげで……俺はようやく自分のすべき事を見つけることができたよ」
「……そうか」
常春は頷く。
一条は胸の中から美織を解放すると、その涙に濡れた瞳へ視線を真っ直ぐ合わせた。
「では、あと一つ……頼みたい」
「なぁに? 何でも言って」
美織の泣き腫らした笑みはとても綺麗で色っぽく、滅多な事で動じないはずの一条の心をざわつかせた。
一条は一呼吸置いてから、告げた。
「俺と結婚してほしい」
潤んだ瞳が、大きく見開かれた。
「もう先が短い命だが、その間、俺の側にずっといて欲しい。……それが俺の「最期のわがまま」だ」
一条は、思いの丈を美織にぶつけた。
美織は先ほど以上の大粒の涙をこぼしながら、こそばゆそうな笑顔で返答した。
「——喜んで」
一条の顔に、初めて戦意以外の笑みが浮かんだ。
そんな二人を、常春と初音は離れて見ていた。
「……なんか、いろんなことが起こって、わたしまだ混乱してる」
「無理もないよ。普通起きないことだもの。僕たちの住む『日常』の中では」
ん、と頷く初音。
「わたしね、まだ美織さんの事許せない。でもね……この結末で良かった、っていうことだけは、わたしにも分かるよ」
常春はそんな初音の言葉に頷きつつ、心の中で密かに思った。
これからネットの声優板が荒れるかもしれないな、と。
一条編は次でラストの予定。




