アニオタ、『非日常』に心地よくなる
もう、何手、技を交えただろう。
十五手から先は、全然覚えていない。
だが、そんなものはどこまでも些事。
自分はまだ五体満足で手足が動き、相手はまだ死んでいない。
それだけ分かっていれば十分だった。
「イッ!!」
気合と震脚が常春の耳朶を打つと同時に、一条の渾身の頭突き『鷹捉虎撲』が大槌のごとく振り下ろされた。
対し、常春は一歩退がって頭突きのリーチからギリギリ逃れつつ、膝を突き出した。ちょうど一条の顔面が落ちてくる位置へと。
常春の膝が顔面を潰すよりも速く、一条の掌が割り込まれた。膝を受け止めると同時に常春の足を取ろうとしたので、常春は素早くその足を引っ込めてそのまま重心ごと退歩する。
すると一条は再び力強く足を進めつつ、左掌を猛然と繰り出してきた。心意六合拳の『単把』である。
常春は右腕をその掌に滑らせて軌道をズラしてから、もう片方の左拳を鋭く円弧に振り出した。『圏捶』と呼ばれるその回し打ちが狙うのはこめかみの経穴「太陽」。重心移動の勢いも混ぜたその拳が直撃すれば確実に即死する。
その死の一手を、一条は空いた右腕で防御する。そのまま常春の左腕を捕まえ、引っ張り込もうとする。
「ぬ……?」
しかし常春も、右手で一条の髪を掴み取った。そのまま重心を後退させ、その勢いを用いて引き寄せた。そうして勢いよく倒れ込んできた一条の胸部に膝を叩き込み、脊柱を粉砕して絶命させる算段である。『摘要拳』という套路に含まれる技『白猿取果』だった。
「っ」
だが、一条の動きもまた見事だった。常春の引っ張る力に合わせて地を蹴り、膝を叩き込まれるよりも速く常春に覆いかぶさった。
共倒れになり、地面を転がる二人。
常春はもつれ合いながらも攻撃をやめなかった。一条の脚を自分の両脚で挟み込み、身をひねる勢いを利用して膝の関節を折ろうとした。……早々に感づかれて逃げられたが。
二人は迅速に立ち上がる。
再び互いに間合いを侵犯し、その侵犯者を屠らんと連撃を繰り出し合った。
交わされる一手一手が、相手に確実に致命傷を与え得る威力と効力を有していた。
それらをギリギリで防ぎ合う二人の攻防は、まさしくほんの少しの判断ミスが死を招く綱渡り的なものであった。
一条の歓喜が、震脚とともに空気を震わせた。
「いいぞ、いいぞ! 伊勢志摩常春っ!! もっと、もっとだ!!」
目玉を蟷螂手の指突でくり抜こうとし——失敗。
「やればできるじゃないか!! 素晴らしいぞ!! 確かに君は強くなっている!! あの頃よりもずっと!! 先ほどの言葉は撤回だ!!」
両耳に掌底を打ち込んで鼓膜を破裂させようとし——失敗。
「俺は今、この上なく君に感謝している!! ただ病に喰われて腐っていくような死に方ではなく、命を燃やし尽くすような最期を贈ってくれる君という武術家に!! 喜ばしい! 喜ばしいっ!!」
髪を掴み、頭皮を引っぺがして絶命させようとし——失敗。
「死が飛び交う戦場!! やはりここが、俺が死するに相応しい場所だったのだ!! さあ、もっと闘争を!! もっと殺手を!! もっと流血を!! 俺をもっと歓喜させてくれ、伊勢志摩常春っ!!」
一条の言う通りだった。
「情」という不純物を排すれば、人はこんなにも体が動くのだ。
武術とは肉体の錬金術。何気ない一挙手一投足を「殺し」に変える。
常春が血の滲むような鍛錬によって練り上げた「武」は、今、純金のごとく輝いていた。
飛び散る砂と汗。
爆ぜ合う力と技。
極限のやり取り。
死と隣り合わせの戦いが長引くにつれ、常春の体にある変化が訪れた。
筋肉が、神経が、目覚めていく。
眠っていた感覚が、開いていく。
懐かしい感覚。
師とともに死地を巡っていた時期と同じ感じ。
全身の筋繊維すべてが、意のままに動く感じ。
身体中の血液が、高速で回り巡っている感じ。
肉体という小宇宙を制したような全能感。
一条は攻防を介して、そんな常春の「回帰」を読み、破顔した。
「よくぞ帰ってきた!! おかえり、伊勢志摩常春——『非日常』へ!!」
——『非日常』?
ああ、そうか。僕は今、『非日常』にいるんだ。
どうしてだろう。あれだけ『日常』を愛していたはずなのに……
『非日常』の方が——神のごとく思うがままになる。
脆く、ままならぬ『日常』より、ずっと。
百戦錬磨の戦士二人による死の押し付け合いは、さらに激しさを増していった。




