アニオタ、憤慨する
転助とのタイマンの翌日。
『二年A組、伊勢志摩常春くん、放課後、職員室に来なさい』
そんな放送が聞こえたのは、昼休み、二年A組教室で昼食を食べようとした時だった。
「……だってさ、伊勢志摩」
頼子が、なんだか気まずそうな顔と口調で言った。
「まあ、呼び出される覚悟はしてたよ、うん」
常春が苦笑混じりにそう返す。
常春の机を中心にし、常春、綱吉、頼子の三人で囲って座っていた。
キモオタ二人組の食卓に、頼子という極上の清涼剤が紛れ込んだことで、周囲からは複雑な感情を込めた視線が集中していた。
だがそれは、頼子のせいというわけではなかった。
「十中八九、昨日の「カマキリ野郎事件」のことでおじゃるなぁ」
菓子パンをもふもふ食べながら、綱吉がしみじみ言った。
まさにそれだ。
昨日の一件で、常春のことが学校中で噂になっているのだ。
学校の生徒や関係者は、常春が「魔王軍」のバイクに乗って去る場面しか見ていない。
にもかかわらず、人の口とは面白いというか恐ろしいというか、ないことないこと尾ひれをつけまくって噂が広がっているのだ。
ふと、ひときわ強い視線を感じ、常春はそちらを向いた。
槙村だった。
最初は憎たらしげに常春を見ていたが、目が合ったとたん、顔をそらされた。
まあいいかと思い、常春は作りすぎたという頼子の弁当を食べ始めた。
「あのさ伊勢志摩……職員室、行くんだよね?」
「うん」
「ウチも一緒に行っていいかな? ていうか、行く。ウチも今回の件とは無関係じゃないし」
アスパラの肉巻きを味わいながら、常春は考えた。
方便としてウソをつくにせよ、本当のことを言うにせよ、頼子がいた方が説得力が増すのは確かだろう。
飲み込んでから、常春は微笑して、
「助かるよ。お願いできるかな」
「う、うん」
「あと、アスパラの肉巻きおいしいね」
「ありがと。それ、自信作」
「マロもお一つ食して良いでおじゃるか?」
周囲の奇異の目など一切気にせず、昼食を楽しむ三人であった。
放課後、職員室にて。
「なるほど、話はわかった」
来客用の応接テーブルを挟み、なめし革のソファに座った常春と頼子が向かい合っている相手は、教頭と生徒指導部の教師だった。
最初、頼子は追い返されそうになったのだが、今回の校門占拠の一件に関わっていることを説明すると、入れてくれた。
そうして、事情を話した。
「つまり、おととい伊勢志摩くんが、あの暴走グループのメンバーに絡まれてた宗方さんを助けた。で、昨日のあのバイク集団はその報復に来た、と」
常春から聞いた話を、教頭がそらんじていく。
「だけど、宗方さんに絡んだ暴走グループのメンバーがボスに話した内容は、自分たちのやったことを棚に上げて伊勢志摩くんだけを悪く言ったような、嘘が混じった内容だった。伊勢志摩くんは昨日ボスに真実を伝えた上で説得したら、ボスは嘘をついたメンバーにヤキ入れ? というのをして、伊勢志摩くんに謝罪して帰した——これでいいんだね、伊勢志摩くん?」
「はい。相違ありません」
曇りの無い表情でサラッと嘘をついた常春であった。
頼子を助けたところまでは真実だが、さすがに「タイマンで解決しました」なんて言えないので、それ以降はそれっぽく嘘を作った。実際、常春は無傷で帰ってきたため、説得力はそこそこあった。
頼子も何も突っ込まず、静観していてくれた。
教頭は、ふぅ、と疲れたようなため息をつくと、次のように訊いてきた。
「我々が追求したいのは、昨日のバイク事件ではなく、宗方さんを助けた時のことです。——暴力を使わずに助けたのかね?」
変な所でめざとい。常春は思った。
常春は「頼子を助けた」とは言ったが、「どうやって助けたのか」は言っていない。そこに気がつかないで流してくれれば楽だったのだが。
とはいえ、そこは抜かりないのが常春であった。
「いえ、二発くらい、ローキックを食らわせて助けました。僕は昔通信空手をやっていて、腕に覚えはあったので」
常春はそう嘘を重ねた。
「手を出さずに解決しました」なんて嘘をついても、疑われるからだ。
こんな小柄で非力そうなアニオタが、女の子一人を引っ張ったまま四人組から逃げたというのは、いささか非現実的で信ぴょう性に欠ける。なら、最初からある程度手を出したと言っておけば、説得力が増すだろう。
「通信空手」なら、なんだか平和な響きなので、「人殺し専用の武術を昔から習っていました」なんて言うよりかは穏当である。
「あの場は仕方がありませんでした。もし僕が手を出さなければ、宗方さんは大変なことになっていたかもしれませんでしたから。僕は、一人の男として、自らの行いになんら恥は感じていません」
さらに、そんなふうに正当性を主張する。
だが常春は、この大人たちの頭の固さを甘く見ていた。
「……ですが、やはり暴力行為は褒められたものではありませんね」
常春は耳を疑った。
助ける方法は、多少暴力にうったえるくらいしか方法がなかった。そう言っているのが聞こえなかったのか、この大人たちは。
それを訴えると、筋骨隆々な指導部の教師が、威圧するような口調で言った。
「他に何か方法があったんじゃないのか、伊勢志摩。たとえば……そう、警察に電話をするとか」
警察が来る前に全てが終わってしまったらどうする。
「あと、叫んで誰かに助けを求めるとか」
その場所には、常春以外に頼子を助けられる人物はいなかった。
「助けられる人が誰もいなくても、警察を目の前で呼んでみせたり、助けを呼ぶフリをしたりして、連中を逃げさせるとか」
そんなギャンブルみたいな手段にどうして頼らなければならない。
「強引に宗方を引っ張って逃げるとか」
そんなことができたらとっくにやっている。
「ま、待ってください。伊勢志摩はウチを助けるために仕方なく——」
「宗方は黙っていなさい! 我々は伊勢志摩に訊いているんだ!」
見かねた頼子が常春をかばおうとするが、指導部教師の強い口調で封殺されてしまう。
……常春は、自分の心に、ふつふつと熱い何かが煮えたぎるのを実感していた。
教頭が、さっさと終わらせたいという気だるげな感情のこもった口調で言った。
「いいですか、伊勢志摩くん。暴力はいけないことです。どういう場合であれ、暴力に頼らず、平和的に、かつ穏便に解決することが一番——」
「何を寝惚けたことを」
不快感と怒りを押し殺したような、常春の低い一言。
その場にいる全員が、心の底から戦慄した。
常春の眼光から発せられる凄まじい気迫が、そこにいる者全員を心胆から震え上がらせた。
「あなた方の大好きな警察とやらが通報から駆けつけるのは、いつだって全てが終わった後だ。そんな「事後処理部隊」が来るまでの間、苦しみ続けろと言いたいのか?」
常春の鋭い舌鋒に、教師両名はたじろいでいた。
「そんな中、自分の身すら守ってはいけないというのか? 黙ってされるがままになれというのか? 殴られろと? 蹴られろと? 刺されろと? 折られろと? 殺されろと? レイプされろと? ……あなた方は、自分がどれほど残酷なことを口にしているのか、自覚しておいでか」
「いや……そういうわけでは」
「そういうことになるんですよ。何より……あの場で助けるどころか、居もしなかったあなた方大人に、僕の判断を非難されるのは甚だ不愉快だ」
職員室が静まり返る。
教頭と指導部教師どころか、他の教員まで黙りこくっていた。
常春は、燃えていた心を沈めた。ふぅ、とため息を吐き、立ち上がった。
「……少し、言いすぎてしまいました。でも、僕は自分のやったことを少しも恥じてはいませんし、間違っているとも思っていません。では、失礼します」
久しく激情に任せてしまったことを反省しつつ、常春は職員室を後にした。
職員室の沈黙は、しばらく続いた。
「伊勢志摩って、怒るとめちゃくちゃ怖いんだね」
夕陽が見守る帰り道、隣を歩いていた頼子がふとそんなことを言った。
常春はキョトンとしながら、
「え、僕、そんなに怖かった?」
「うん、めっちゃ」
「そっか……」
常春は怒りを抑えられなかった少し前の自分を恥じてから、努めて穏やかな口調で言った。
「さっき、ああは言ったけど、先生たちの理屈も確かに分かるんだ。暴力に訴えるのは極力避けた方がいいっていうのは僕も同感だよ。でもね、世の中には、叩き潰さないと理解できない人だっている」
非武装で非暴力を訴えて、手を止めてくれる相手ばかりではない。
無抵抗をいいことに、好き勝手に振舞う奴もいる。
……いや、案外そういう輩は多い。
常春は人づてに、そして「実体験」として、それを知っていた。
ここではないどこかを見ているような顔で前を見つめる常春の横顔を、頼子はぼんやりと見つめていた。
「それにしても、伊勢志摩って嘘が上手いよね」
「そう……だね。うん」
そこに関しては、常春も同意見だった。
常春は、必要であれば、嘘や詭弁も平気でもてあそぶ。
そうしなければ生きていけないような地域を、昔たくさん見てきたから。
南米の熱帯雨林には、擬態昆虫がたくさん棲んでいる。擬態するのは、生きるために必要だからだ。
人間の社会もまた、時には嘘も必要なのである。
——そんな常春の内面を知らぬまま、頼子はただただその顔を見つめていた。