アニオタ、備える
——浩然の話を聞かされた常春は、スマホを取り落としそうになるほどの驚愕を覚えていた。
「一条が……日本に来ている……!?」
一条のことを話して間もないうちに、一条が日本に来た。
運命のようなものを感じずにはいられない。
しかも、すでに病によって死が近く、最期の目的が自分との再戦であるとは。
『私はあらゆる意味でショックだった。あの子の死期がすでに間近であること、あの子が君との戦いをどうしても続けたがっていること……正直、あの子が帰ってきたという喜びを相殺してしまうほどに』
それはそうだ。
やっと帰ってきたと思ったら、すでに余命幾ばくも無く、さらには師と親交のある者に果し合いを挑もうとしているのだ。
伝統的な武術家ならば、とんでもない師匠不幸者だと悲憤するところであろう。
『あの子は、君との再戦を望んでいる。だが私はそれを望まない。あの子が傷つくことも、君が傷つくことも、どちらも嫌だ』
「郭老師……」
『だから常春くん、しばらくこの『至熙菜館』には来ないで欲しい』
浩然の言わんとしていることを、常春はすぐに察した。
『君がすでに『正伝聯盟』と親交があることはバレてしまっている。である以上、ここに君が来るものと踏んでいるはずだ。だが逆に言えば、あの子は君の来る場所をこの『至熙菜館』以外に知らない。つまり君がしばらくここへ来ることを自粛していれば、出会う確率はグッと減る』
「……あなたは、それで良いのですか? 彼の師として」
弟子の最期の望みを叶えてやろうとは思わないのか。
そんな常春の言外の問いを読んだ浩然は、電話の向こうでかぶりを振った。
『ただの腕試しならば見逃そう。だが、二三貴は君のことを殺す気だ。であるならば、止めないわけにはいかない。二三貴はもう、私に伯仲するほど強くなっていた。もし君とあの子が本気で戦えば、勝敗は分からない。どちらか片方が死ぬということしか分からない。……私はあの子の師であると同時に、君の所属している『正伝聯盟』の重鎮だ。私情のみで無闇に動くことなどできない。まして、あの子が殺すところも、殺されるところも見たくない……』
「……分かりました。そういうことでしたら、しばらくはそちらへ赴くのを自粛させていただきます」
『すまない……』
「いいえ。しばらくしたら、またお会いしましょう」
そこで、通話を切った。
もう一度米軍基地のフェンスにもたれかかり、空を見上げる。
青々とした晴天。
この空の下では、『日常』も『非日常』も、同時に起こっている。
今、常春の身には『非日常』の足音が近づいている。
じりじり、じりじり、と。
インクがにじむような緩慢さで、確実に近づいている。
確かに、『正伝聯盟』のもとへ足を運ばないことにはした。
だが常春の胸には確信めいたものがあった。
(多分、僕は……一条に再会してしまうかもしれない)
それは、あくまで直感。
だが、常春の抱いた直感は、よく現実となっていた。まるで自分自身が厄を運んでいるような錯覚に陥るほどに。
そう。それほどまでに『日常』が崩れるのはあっけない。
——なればこそ、備える。
常春は無抵抗主義が嫌いだった。
無抵抗ならば、相手は何もしてこない。無抵抗こそ最強の武器。
そんな考え方は、唾棄すべき「絶対悪」だ。
現実はそんなに甘やかではない。常春はそれを嫌という程知っている。
無抵抗ならば、相手はラッキーだと思って剣を振り下ろすだろう。
仮に命が助かったとしても、命以外の全てを奪われる。財産も、尊厳も、権利も、貞操も、何もかも。
『日常』を守れるのは、美辞麗句でも、大言壮語でも、ましてや無抵抗主義でもない。
「力」だ。
無力さは何の役にも立たない。
このフェンスの向こうにいる人々は、それを誰よりも分かっている。
守りたい『日常』があるからこそ、戦う。
それは、軍人に限らず、すべての人間にとって必要なことだ。
——なればこそ。
「……家に帰って、修行でもしよう」
常春は、孤独に己を鍛える選択をするのである。




