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十五年来の再会《下》

 一条の口からあの鬼神のごときアニオタの名が出てきたことに、三人は驚きを見せなかった。


 そんな師の顔を見て、長年一緒に暮らしてきた親子の以心伝心のごとく、一条は感づいた。


「……やはり、あの少年に会っていましたか。彼の蟷螂拳は全く改悪がなされていない正統派。である以上、あなた方『正伝聯盟(せいでんれんめい)』と遅かれ早かれ接触するであろうことは想像に難くありません」


「あなた方、などと……お前はまだ我々の仲間なのだ。そのような他人行儀なことを言わないでおくれ」


「いいえ、(かく)老師。俺はその少年と戦い、そして殺す(・・)かもしれません。同門同士で争えば、『正伝聯盟』は犬畜生の烙印を押され、武術界で後ろ指を指されてしまうことになるでしょう。だからこそ俺は「他人」でなければなりません。……俺はどうしても、死する前にあの少年ともう一戦交えてみたい。誰にも邪魔されることのない状況で、互いの武をぶつけ合いたい」


「——そうかい。じゃあ大切な仲間をブチ殺される前に、「他人」のあんたを私刑(リンチ)にかけなきゃねぇ」


 戦意と敵意で研ぎ澄まされた麗剣の声。


 一条の前方を麗剣(れいけん)が、後方を宝仁(ほうじん)が陣取っていた。


 二人とも、顔に戦う意志が浮かんでいた。


 それを見た浩然(こうぜん)が、厳しい語気で静止を呼びかけた。


「やめなさい、二人ともっ」


「いいえやめませんよ老師。あなたはこの戦争マニアに対して思い入れが強すぎる。できないあなたに代わって、あたしら弟子が動かないといけません」


「は、はいっ。ぼ、ボクも常春さんのこと、け、結構好きですからっ。放っておけませんっ」


 師の言葉もむなしく、二人の弟子は戦意をおさめようとはしなかった。


 一条は細長いため息をついてから、




「郭老師のおっしゃる通りだ——やめたまえ。今の君たちでは二人がかりでも俺を止めることはできない。そもそも、兄弟弟子を傷つけたくはない」




 静かな殺気を放ってきた。


 弟子二人は身を震わせた。まるで丸裸で南極のど真ん中に放り出されたかのように。


 無数の剣先がひんやりと刺さってくるような、冷たく、剣呑で、陰鬱とした気迫。


 二人は確信する。この男、すでに『三老』にかなり近い境地、あるいは同じ境地に至っているのだと。直感で理解できた。


 しかし、吐いた唾は飲めない。引き退ることは、麗剣の自尊心が許さなかった。


「安心しなよ。あたしはあんたを兄弟子とは思ってないからさっ!!」


 己を奮い立たせるようにそう発し、麗剣は風のごとく動き出した。


 滑るような足さばきで直進。足の推進に噛み合うように同調した手刀の一突きが、虚空を矢のごとく突き進んだ。全身の力が乗った『穿掌(せんしょう)』が一条の喉元へ迫る。


 一条は内から外へ右手を動かし、その貫手(ぬきて)を払おうとする。


 その瞬間、麗剣の貫手がにゅるり(・・・・)と蛇のごとく軌道を変え、掌の形をとって一条の胸に侵入を果たす。狙いは寸勁(すんけい)。掌と胸の間にできたわずかな空間を重心移動で一気に押し潰し、ほぼゼロ距離で最大の(ちから)を爆発させる腹積もり。


 だが、敵は腐っても伝統武術家だ。発勁の原理と対処法を知り尽くしている。(ちから)を爆発させるためのわずかな隙間を、一条は自ら前へ進むことで先に潰した。


「イッ!!」


 さらにオマケとばかりに、震脚を用いての踏み込み。倍加された自重を強引に押し進める体当たりを掌越しに受け、麗剣の体が跳ね飛ばされた。しかし受け身を取り、壁への激突を避けた。


 麗剣は仕切り直しとばかりに近づくまでのわずかな間、一条の相手をするのは宝仁。


 宝仁は迷いを捨て、人の形をした矢と化した。長年やってきた形意拳の中で最も得意な一手『崩拳(ボンチュアン)』を一条の背中めがけて繰り出した。


 始まりから終わりまでのコマをいくつか取り除いたがごとき速さで、必倒(ひっとう)の正拳が迫る。


「っ!?」


 しかし一条は難なく反応してみせた。拳が背中を打ち抜く前に身をねじり、回避したのだ。


 さらにその回避はそのまま次への布石になっていた。踊るような体さばきで瞬く間に背後を取るや、震脚で踏み込むのに合わせた右掌打を打ち込んだ。両肩と掌の関係を三角州(デルタ)にすることで、震脚で生んだ勁を掌一点に集中させる心意六合拳の一手『単把(たんぱ)』である。


「かっ……!?」


 無論、手加減はした。けれどその掌を背中に受けた宝仁は一瞬、呼吸が止まった。


 次の一瞬には大きく吹っ飛ぶ。さらにその次の一瞬には、近づいていた麗剣とぶつかった。


「わ!?」「きゃっ!?」二人仲良く床に倒れる。


 (もつ)れ合ったのはほんの一瞬。すぐに両者は離れ、出来るだけすみやかに立ち上がろうとする。


 だがそれよりもさらに速く、無骨なコンバットブーツが両者の頭の間に震脚を叩き込んだ。


 鼓膜を打ち破らんばかりの踏み込みの音から、一条の並外れた功夫(ゴンフー)の片鱗を感じた二人は戦慄する。もしこのブーツの下にあるのが人の頭だったら、スイカのごとく木っ端微塵に砕け散っていただろう。


 勝敗は決していた。


「『兵は国の大事なり』——戦はむやみやたらに仕掛けるべきものではない。俺のような戦争マニア(・・・・・)なら誰でも知っていることだ」


 一条の底冷えする眼差しに見下ろされる二人。


 先ほど自分がついた悪態を皮肉として再利用され、麗剣は悔しげに歯噛みする。しかしそれ以上に練度の差を見せつけられた心が怯む。宝仁も青ざめていた。


 きっと一条は、実際にこの震脚で人の頭を踏み潰したことがあるのだろう。そうとしか思えないほど慣れた動きに見えた。いや、そもそも、そんな悪魔のごとき発想ができる頭が恐ろしい。


 ——違う。


 この男はまさしく別世界の住人だ。


 こんなに近くにいるのに、分厚い壁のようなものを感じる。


 そんな風に怯えを見せる麗剣と宝仁を見て、もう勝敗は決まったとばかりに片足を引っ込め、踵を返す一条。


 店のドアから出て行こうとしたその時、


「待て」


 浩然がそう強い語気で止めた。


「待たない」


「待てと言っている!」


 浩然は久しぶりに強い一声を放ち、一条へと鋭く接近した。


 そのままするり(・・・)と一条の片腕へと触れる。そのまま一瞬で「力の流れ」を奪い取り、動けない状態に追い込もうと考える。太極拳に習熟した浩然には、それを完璧にやれる自信と腕前があった。


 しかし、十五年という年月は、一条を想像以上に大きく成長させていた。


 一条の「力の流れ」に己の流れを合わせ、そのまま御そうとした瞬間、


(合わせ返される(・・・・・・・)——!?)


 乗っ取ろうとした「力の流れ」を奪い返された。


 負けじともう一度流れを合わせようと試みる。

 一条もまた、それに応じる。

 絡み合う蛇のごとく手を交え、立ち位置を目まぐるしく変え、まるで踊るように「流れ」の奪い合いを繰り広げる師弟。


 だが、やがて「力の流れ」が一条の足元深くへと誘導されたかと思うと、


「ぬぉっ……」


 大地の反力を足底から膨れ上がらせ、その勢いによって浩然の体が後ろに泳いだ。


 それは僅かな隙。


 しかしその僅かな隙は、一条が逃げ出すのには十分すぎる猶予だった。


「待てっ」


 ドアを蹴飛ばして外へ出た一条を、浩然は追いかけようとする。


 だが、いくら武術の腕前が超人的であっても、浩然はしょせん老人である。瞬発力や持久力といった単純な身体能力(フィジカル)においては、半分以上も年若い一条の方が上だった。


 どんどん切り離され、やがて見えなくなった。


二三貴(ふみたか)……」


 取り残された浩然の声が、夏の熱気の中に虚しく溶けていった。


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