アニオタ、タイマンをはる
バイクに乗って連れてこられたのは、廃工場の中だった。
「ここは俺らの集会場の一つなんだぜ。んでもって、タイマンのためのスタジアムでもある」
先頭を歩く転助が、そううそぶいた。
常春は、転助の手下らに囲まれながら歩いていた。
広い廃工場の真ん中に着くと、手下が散らばった。
あっという間に、常春と転助を中心とした、大きな円陣が出来上がった。
転助が思い出したように、
「そういや、名前聞いてなかったな。お前、名前は?」
「伊勢志摩常春」
「オーケー、覚えたぜ。俺のことは筧でも転助でも好きに呼べや」
常春はその言葉にうなずき一つ返さず、淡々と言った。
「試合はしても構いませんが、一つ条件があります。——この試合に勝っても負けても、金輪際、学校前で待ち伏せるような真似はしないでください。もし約束してくれないのなら、僕はこの場にいる全員に重傷を負わせて逃げます」
そうして力の差を植えつけて、連中の戦意を削ぐ算段だった。削げなくても、全員の足の骨を折ることでしばらくバイクを運転できなくしてしまえば、校門前で待ち伏せされることもない。警察も「高校生一人で暴走族二十人以上を叩きのめしました」なんて漫画みたいな話は信じないだろう。その時は常春も徹底的にシラを切り通すつもりだった。
常春の優位ありきなその物言いに、周囲から罵声が飛んでくるが、
「やかましいっ!!」
転助が一喝したとたん、ピタリと止んだ。
常春を見て、ニッと人の良さげな笑みを浮かべる転助。
「いいぜ。約束してやんよ。このタイマン、勝っても負けても遺恨は残さねぇ」
そして、転助は特攻服を脱ぎ捨て、構えをとった。
左足を前に出し、右拳を耳元に、左拳を腰に置いた構え。
(あれは「陰の体構え」……ということは、柳生心眼流)
江戸期に興った日本の古武術の一派。将軍家剣術指南役の柳生宗矩の元で柳生新陰流を学んだ竹永隼人が、学んだものに自らの工夫を加えて創始したといわれている。
「トオォォォォォォォォォォ!!!」
その口から轟く気合。
ビリビリと廃工場全体に波及し、周囲の団員の心胆を寒からしめる。
常春も、気圧されはしなかったものの、その気迫の分厚さを皮膚と骨でビリビリ感じ取っていた。
転助はゆっくり足を擦って進み、じりじり距離を縮めていく。
やがて、両者の間合いが接触した瞬間、転助が先に手を出してきた。
鋭く伸びる正拳突き。
常春は横へ体をずらして回避。
「エイッ!!」
だが次の瞬間、気合一喝とともに、もう片方の拳が鋭く弧を描いて迫った。さっきの正拳は牽制だったのだ。
常春は回転しながらしゃがみ込んだ。
転助の拳の下をくぐりつつ、回転の勢いを用いて足を蹴り払おうとした。掃腿と呼ばれる、中国武術特有の蹴り技だ。
しかし、転助の足が跳ねた。
しかも跳ねただけではない、体の位置を空中で移動させ、地にコンパスのように円弧を描く常春の足へ着地しようとした。踏んで折る気だ。
常春の判断は速かった。軸足を蹴っ飛ばし、これから踏まれようとしている蹴り足へ勢いよく重心を移したのだ。その重心移動とともに、両拳で転助の顔面と胸部を同時に突きかかった。「摘要拳」という套路に存在する動きだった。
だが、転助は正中線の急所をしっかりガードしていた。常春の両拳を防ぐが、そこに込められた重心移動の勢いには流され、大きく吹っ飛んだ。
柳生心眼流は柔術の要素も持った武術だ。吹っ飛びはしたが、滑らかに受け身をとって立ち上がった。
「へぇ、やるじゃねーの、蟷螂拳。俺と喧嘩した奴ぁ、たいてい最初のワンツーでダウンすんだけどよぉ。こりゃ……久しく楽しい喧嘩になりそうだぜ」
転助は挑戦的な笑みを浮かべる。
柳生心眼流は「基本七ヶ條」という7つの型を中心にして構成されている。その技術内容の多くが、拳で突いたり振り当てたりといった当身となっている。
柳生心眼流の拳法は、甲冑を着ながら闘うことを目的として構成されている。そのため、当身の威力は、鎧の上から受けても衝撃が響くほどの凄まじいものだ。
そして、この転助が振るう拳法の腕は、おおよそチンピラがちょっぴりかじった程度のものではなかった。
厳格に、誠実に、真摯に練り上げてきた「含蓄」を感じる。
「それほどの腕を持っているというのに、なぜあなたは暴走族のヘッドなんかをやっているのですか?」
だからこそ、常春はそう訊かずにはいられなかった。
すると、転助は唾を端に吐き捨て、
「……いろいろあんだよ、人にゃよ」
と、陰鬱な表情で言った。
だが、すぐに挑戦的な笑みに戻り、構えた。
「おら、んな話どうでもいいんだよぉ!! 楽しい喧嘩の最中なんだ、そっちに集中しようやぁ!!」
確かに、このまま喋っていても、闘いは終わらない。
今度は常春から先に動き出した。
軽身功の軽やかさを最大限に生かした足さばきを用い、10メートルほど離れた距離を文字通りの「一瞬」で潰しきる。八歩趕蝉歩という歩法だ。箭疾歩ともいう。
一気に近寄り、拳で顔面を打とうとしたが、
「知ってるぜ、その歩法!」
転助はあらかじめ跳ねながら空中で体の向きを変えており、常春の拳を紙一重で避けた。
さらに着地と同時に、右腕を風車のように振り、常春の側頭部を狙った。
対し、常春も回転し、転助の左側へ身を逃した。そのまま回転の勢いを込めた裏拳へつなげる。
転助の左腕に受け止められる。
常春は受け止められた拳にねじりを加えながら押し下げ、転助の左腕を強引に降ろさせた。がら空きになった顔面に素早く突きを打ち込んだ。
一瞬ひるんだところへ、常春は距離をつめ、一瞬で五発の拳を打つ。さらにその次の一瞬でもう五発。
それによって転助の足元がさらによろけたところへ、腰を落として踏み込み、自重が十分に乗った正拳突きを腹のど真ん中へ叩き込んだ。
「ゴホッ……!」
転助はうめいて退がりつつも、足を踏ん張らせて踏みとどまった。
「エイヤァ!!」
痛みをこらえつつ、気合とともに腕をなぎ払った。たとえガードしたとしても、そのガードした腕の骨を打ち砕くほどの一撃。
なので、常春はしゃがんで、その腕刀の下をくぐった。
なぎ払いが頭上で振り抜かれた瞬間、常春は片手を軸にして両足を垂直に跳ね上げ、真上にある転助のアゴを二連続で蹴った。穿弓腿と呼ばれる蟷螂拳の蹴り技だ。
「ごおっ!?」
真下からの衝撃に転助は強制的に上を向かされ、戦意と意識が一気に削ぎ落とされた。
ドシャッ、と地面に倒れ伏す転助。
完全に伸びていた。
「テメェ、この野郎!!」
「よくもウチの総長を!!」
周囲で見物していた団員らが、怒りに任せて飛び出そうとしたが、
「——あなたたちは、トップの命令も満足に聞けない烏合の衆か」
常春の鋭い正論を受け、その動きがピタリと止まった。
腹立たしいが、言っていることはもっともだった。「魔王軍」の規律を乱したはみ出し者には、総長じきじきの「ヤキ入れ」が待っている。統率の取れない人の群れほど厄介なものはないと、総長は知っているからだ。
「しばらくすれば目を覚ますはずです」
そう言い残し、常春は廃工場から立ち去ったのだった。
——神奈川県有数の勢力を誇る暴走族「魔王軍」の総長が、ただの高校生に負けた。
この事実は、近いうちに神奈川全体に知れ渡ることになる。
そしてまた新たな争いが、常春の日常を乱そうとしてくるのである。