アニオタ、血塗られた『非日常』に想いを馳せる
「書いたー!」と喜んだものの、保存したはずなのに文が更新されていないことに遅れて気付き、また最初からやり直しに。
だるーんとやる気を無くしていったん放置し、また最執筆して現在に至る。
常春が息を詰まらせながら追憶するのは、いつだって『非日常』のことだ。
そう——あれは常春が十三歳の頃だった。
宗教対立によって争いが絶えないアフリカの某国。師とともにとある街で一泊していた時のことだ。
敵対勢力による襲撃が突然起きた。
送り込まれたのは、金で雇われた傭兵達だった。雇い主はダイヤモンド鉱山を所有しており資金が豊富で、傭兵をたくさん雇う余裕があった。
銃弾が飛び交い、知っている人間が次々と倒れゆく。
そんな『非日常』の地獄の中、常春は決死の思いで戦いに加わった。知らん顔して逃げることも出来たが、異国人であるはずの自分に優しくしてくれた安料理屋のおじさんが血を流して死んでいるところを見て、頭に血が上ったのだ。……今にして思うと、かなり心が未熟だったと思う。
弾道という死のラインをかい潜り、常春は傭兵を一人、また一人と鎮めていった。多くは乱射魔みたいな奴ばかりだったので体術はお粗末の一言。拳法の間合いに入ってしまえば扱いは猫よりも容易かった。
傭兵は需要は高いが、ハイリスクローリターンな職業だ。死の危険がある割に、見返りは実に少ない。
そんな職業にわざわざ身をやつす人間の種類は、主に二種類。
戦場という『非日常』の中でしか生きられない者。
戦場という『非日常』に何かを求める者。
——常春が出会った「その傭兵」は、一体どちらに分類される人物だっただろうか。
驚くべきことに、日本人だった。
精強な戦士といった精悍な面構え。だが暴力だけが取り柄といった感じではなく、どこか理知と悟性の雰囲気があった。短く切られた髪。オリーブグリーンを基調とした戦闘服を纏うのは、約180センチを誇る大柄な体躯。ピラミッドじみた盤石さを感じさせる重心。
何より驚いたのは——中国拳法を使っていたことだった。
心意六合拳。八極拳と並び称される、剛拳の最高峰。
しかも、政変で改悪されたものではない。古きの中に高い実戦性と殺傷性を秘めた、「本物」の心意六合拳だった。
もし敵でなかったのなら話をしてみたかったが、あいにく状況がそれを許さなかった。
常春はその男の命を本気で奪いにかかった。手加減して切り抜けられる相手ではないと悟ったからだ。
懸念通り、その男は只者ではなかった。高い功夫は言うに及ばず、戦い慣れた身のこなし。銃と拳法を上手に使いこなし、常春を攻撃してきた。その男もまた、常春をただの子供と思えなかったのである。
常春は久しく苦戦を強いられた。拳も銃も、ともに常春の命を一撃で奪い去って釣り銭が来るほどの威力を持っていた。それらをかい潜って必死に攻め手を加えていく。
しかし、戦いの中で幾度も視線を交え、常春は気づいた。男の眼差しの異質さに。
戦場でするような目ではない。
まるで自暴自棄になっているような、何もかもを諦めようとしているようで諦めきれないでいる、そんな複雑な感情を想起させる瞳。
常春は手を止め、思わず問うた。
「あんた、名前は?」
その男は、乾いた声で名乗った。
「一条二三貴。一の条約に、二と三が貴いと書く」と。
常春の話を聞いた全員は、緊張で気を張り詰めさせていた。
「そうだったのか……」
浩然がそう相槌を打つ。愛弟子の行方が知れたが、その顔は浮かないものだった。
「彼は本当に強かったです。もし敵が撤退してくれなかったら、僕は今ごろこの世にはいなかったかも知れない」
あの時は常春だけでなく、師も戦いに加わらざるを得なかった。それだけの混戦だった。
一条と常春が死闘を繰り広げる間、師は猛烈な勢いで傭兵を潰していった。
さらに街の守衛が遅れてやってきて、安くて高性能なカラシニコフ小銃で応戦。
やがて、結構な数の犠牲者を出した敵側は戦況不利と見たようで、全員に撤退を指示。一条との勝負はそこでお預けとなった。
敵から街を守りこそしたものの、誰も喜びはしなかった。
血みどろに彩られた街並み。真っ赤な足跡。横たわる遺骸。風に乗ってやってくる様々な悪臭。大切な者との死別に嘆く人々の嗚咽、号泣。……勝利の余韻など、その『非日常』には存在しなかった。
「そうか……しかし、二三貴が傭兵をやっているなどとは……」
露ほどにも思わなかった、という言葉を言い淀む浩然。
きっとショックなのだろう。
人殺しを悔い、自ら警察に出頭した愛弟子が、また別の場所で殺しに手を染めていたという事実が。
李響は不快げに鼻を鳴らし、椅子の背もたれに強くもたれかかった。
「郭老師の昔の愛弟子を悪く言いたくはありませんが、あえて言わせていただきます。その男は畜生だ。その気になれば真っ当な道などいくらでも選びようがあったというのに、人殺しで飯を食う身分にあえて成り下がったんだ。確信犯です。もう二度と、光の道を歩めるとは思えません」
「きょ、響兄さんっ、そこまで言わなくても……何かそうしないといけない事情があったのかも知れませんし……」
「それは何だ宝仁?」
「そ、それは……」
言い淀む宝仁に、取り合う意味なしとばかりに李響はそっぽを向いた。
常春は助け舟を出すつもりで口を挟んだ。
「李響さん、前科者の社会復帰の難しさは知っているよね? もしかすると、そこに起因しているのかも知れない。彼はまたあなたの言うところの「光の世界」に戻りたかった。でも、世間がそれを許してくれなかったのかも知れない」
「そんなものは言い訳です伊勢志摩老師! 更生とはそんなに甘いものではない。苦しくても、歯を食いしばってしがみつかなければ、更生など叶いません」
彼の言う通りかも知れない。
けれど、
「でも、僕はあいつと戦っていた時、確かに見たんだ。あいつの目を。……あれは決して、殺しの快楽に取り憑かれている者の目じゃない」
常春は確かに見た。
一条の瞳に宿る、懊悩の光を。
それ以降、一条のことを口にする者は誰もいなくなった。
その話の決着が今つく事はなかった。
——だが、これからその問題と向き合わなければならない事態が訪れることになろうとは、この場にいる誰もが予想し得なかった。




