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アニオタ、世間の狭さを知る

 それから練習が終わり、弟子が帰宅し、夕方となった。


 『正伝聯盟(せいでんれんめい)』の『三老』含む、常春、麗剣(れいけん)宝仁(ほうじん)李響(りきょう)の七人は、中華円卓を引っ張り出して茶を片手に談笑していた。


「それにしても、随分な変わりようでしたね、あの男。まるで魂が入れ替わった別人みたいだ」


 李響が今日のことを振り返るように言った。無論、バリーのことを言っているのだ。


 常春は手元の鉄観音茶を一口すすると、李響の言葉に返答した。


「彼はもう大丈夫です。あのキツい『馬歩(まほ)』を、あれほど真摯に取り組んでいるのを見れば分かりますよ。彼はきっとアメリカでも地道に練習を積んで、またここへ来てくれるでしょう」


「……もしや伊勢志摩老師、あえて『馬歩』しかやらせなかったのは、打假(ダージア)……バリー・ロゥの覚悟を試すためだったのですか?」


 李響がそう問うてくる。


 昔の武術家は、弟子入りを志願してきた者に対し、まず地味で苦しい修行を課し、それを乗り越えられるか否かで適性の有無を見極めていた。


 一見意地が悪いやり方かもしれないが、武術家としても言い分がある。ホイホイ弟子を取っていては、落伍する者もその分多く出るだろう。それによっていい加減な伝承が広まることもあり得る。それを恐れていたのだ。


 真の武術の伝承は、カルチャーセンターで習うような趣味じみた覚悟では通用しない。師という人間の全てを受け継ぐ覚悟が必要なのだ。


 そんな意味を含んだ問いに対し、常春はかぶりを振った。


「いや、僕はそんな意地悪はしないよ。僕は、僕が習ったやり方をそのまま教えていただけさ」


「なるほど。やはり伊勢志摩老師は、我々と同じ修行を経ていたわけですか。門派は違えども、基礎はみな同じ。まるで生き別れた親兄弟に会ったような感覚です」


「僕もそう思うよ。やっぱり星の数だけ武術はあっても、それを形作る基礎は同じだから、そういう意味で中国武術は面白いものだね」


 お茶を飲みながら話しているうちに、茶杯が干上がってしまった。けれどそこへすかさず宝仁が注いでくれた。感謝しつつ、また味と香りを楽しむ。


 常春は、ふと思ったことを質問した。


「ところで、今日見た弟子達ってみんな中国人なんですか?」


 練習の時、日本語は一言も聞こえてこない。方言こそ違うが、聞こえてくるのはすべて中国語だった。


「そうだね。ルーツや出身地や方言はバラバラだけど、みんな中国人だよ。ある人は麗剣みたいに華僑の子孫だったり、ある人は本国の急速な変化についていけずに日本へ移住した人だったり、留学生だったり、いろいろだよ」


 『三老』の一人、郭浩然(かくこうぜん)が答えた。


「日本人や、その他の外国人の弟子はいないのですか?」


「他の支部にはいる。けれどこの神奈川支部にはいないね。殺人拳に関心を持つ日本人がこの辺にいないことと、神奈川県に住んでいる在日中国人の数が多いことに起因して……」


 ふと、そこで浩然の口調が途切れる。


 かと思えば、なんだか少し渋いような、寂しいような表情を顔に表した。


「いや……昔、一人いたね。私が教えていた、日本人の弟子が」


「そうだったのですかっ? 初耳ですよ郭老師」


「うん。李響、お前やそこの二人(麗剣と宝仁)が入門するよりずっと前に弟子入りし、そして去ってしまった子だからね。……そして麗剣、宝仁、お前達の兄弟子に当たる人物だよ」


 気が付くと、麗剣と宝仁も注目していた。


 常春も、少なからぬ興味を持って浩然を見つめていた。


 他の『三老』……晃徳(こうとく)景一(けいいち)は無反応。おそらく前から知っていたのだろう。


 これは話さねばならぬ雰囲気だと思った浩然は、ゆっくりと話し始めた。


「十五年前まで、私には一人の日本人弟子がいた。……彼はとても才能に溢れ、それでいて努力家だった。家庭環境が悪かった分、私の側にずっと付いて、修行をしたり、店の手伝いをよくしてくれたりしていた。私はその日本人の少年のことを、本当の孫のように思っていたよ」


 けれど、その日本人の弟子はここにはいない。


 これから話す内容が、決して穏やかな文脈ではないことは想像に難くない。


「だが、その子は十六の頃……武術を使って人を打ち殺してしまった。何でも、恋人を手籠めにしようとした連中と一人で戦って、そのうちの一人を拳法の技で殺してしまったそうだ。あの子はそんな事情を話してから、私に「俺は門派の面汚しになります。どうか師弟の縁を切ってください」と言い、自ら出頭した。……それからあの子は少年刑務所に入った。それ以降は行方しれずだ。私も懸命に探したのだが……どこにもいなかった。彼の家にさえも」


 広間に重い沈黙が訪れる。


 宝仁が気遣わしそうに、


「そ、そうだったんですか……」


「うん。だけど私は、あの子を破門になどしていないよ。確かに人は殺してしまったが、彼は欲望のために技を振るったのではない、愛する者のために自分の手を汚したんだ。それを「悪」だと断じるなら、武術は一体何のためにある? 本当の「悪」とは、もっと醜くむごたらしいものだ。だから私は、あの子のやったことを「罪」だとは思っても「悪」だとは思っていない。……もし、あの子がまた私の前に現れたら、私は喜んで迎え入れたいと思っている。残った伝承を、全てあの子に与えたいと思っている。……そう思っている間に、十五年も経ってしまったがね」


 寂しげな自嘲の笑みを浮かべる浩然。


 常に何か悟ったような振る舞いや面構えを見せる浩然とはかけ離れたその人間臭さに、浩然の愛弟子二人は同情の視線を送った。


 常春は古傷をえぐってしまったことに申し訳なさを感じ、謝罪した。


「すみません郭老師。思い出したくもないことを思い出させてしまいましたね」


「構わないよ。私自身、もう諦めかけているからね」


「あ、あの、ところで、その方のお名前は何というのでしょうか……」


 宝仁が恐る恐るそう尋ねた。自分に兄弟子がいたことに対し、興味を持っていたからだ。


 また蒸し返すか、とばかりに麗剣が宝仁にチョップをくれたが「構わないよ」と浩然が制する。


 浩然は、重々しく、かつての弟子の名を口にした。


一条(いちじょう)二三貴(ふみたか)


 ——ガタンッ!!!


 その音は、常春がいきなり勢いよく立ち上がった音だった。


 茶杯がその振動で横たわり、ホカホカの茶が常春の手元にかかる。


 だが常春は、みじんも熱いとは思えなかった。


 熱さを上回るほどの驚愕を覚えていたからだ。


 だって、





 ——かつて、命のやり取り(・・・・・・)をした相手(・・・・・)の名前が、こんなところで出てきたのだから。


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